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双極性障害2型の28歳。 自分なりの生き方をnoteにメモしています。

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双極性障害2型の28歳。 自分なりの生き方をnoteにメモしています。

最近の記事

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ニート精神障害者が持つべき人生の目標だとか

ここ数週間でかなり環境を変えたことにより、躁転しているのか、それとも調子がいいだけなのかさっぱり分からなくなってしまった。 今までは躁が終わると鬱状態になり、精力的な活動ができず、希死念慮を寝てやり過ごす日々だった。 しんどくはあるがパターン化されていたことにより、「ああ、今はこういう時期なのだな」と諦めることができていた。 しかし、『ニート』『精神障害者』という基盤は変わっていないので、何が変わったかといわれると説明が難しい。 ただ自分の中では確実に、はっきりとあらゆる面

    • 飼い猫が死んだ

      2か月ほど前に猫が死んだ。 17歳、大往生だった。 猫が家にやってきたのは私が小学生の時。 姉は連れ来るや否や、子猫だったそいつを私の腹の上に載せた。 小さな黒い毛玉が爪をキュッと出し、寝転がる私に捕まると、静かにおしっこを始めた。 安心感だったのかは分からないが、とにかく猫と私の出会いはそんな感じで始まったのだ。 名はもずく。オス。おおらか。 お利口な猫で、変な場所で爪とぎをしたり、物を倒すようなことはしなかった。 とはいえ、17年一緒にいたからそれなりに喧嘩もした。

      • 無駄こそ人生のエッセンス

        今年の2月あたりに、己の内側がそっくり入れ替わったような感覚がした。 以前までの私は部屋の片づけができず、家事もできず、浪費家で、いわば無駄の集合体のような人間だった。 現在は生活習慣を是正し、常に部屋をきれいにし、たどたどしくも家事をこなし、衝動買いを堪えられる、以前よりも善い人間となった。 周囲から「無職の癖に」と攻撃されることも減ったように思う。 自分自身現状について、無駄を排することが善であり、人生が上向いていくに違いないと疑わなかった。 現在6月中旬。 いよいよ少

        • 双極性障害2型における軽躁の過ごし方、対策について考える。

          6月、梅雨目前。 1年ぶりに扇風機を出した。 気温の上昇とともに、軽躁が顔をのぞかせている。 双極性障害になって10年が経とうとしている。 うつがベーシックな状態に近い私にとって、軽躁は厄介なものだ。 一方で、軽躁はうつ状態の時にできなかったことができたりするので、数年前までは好き放題やっていたのも事実。 しかし、感情の波は言うことを聞かず、サーファー気取りの私を放り出してどこかへ行ってしまうし、波に置いて行かれ濡れそぼり震える私を、頼んでも無いのに希死念慮が迎えに来る。

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        ニート精神障害者が持つべき人生の目標だとか

          完璧主義と希死念慮

          上記の記事に触発されたので、自分の希死念慮について書いてみる。 双極性障害2型と診断を受けて、10年ほどになる。 毎日の記録をこまめにつけているわけではないし、鬱でこの期間の記憶は明瞭に思い出せない。 ただ、ずっと暗くて、周囲の人々よりずっと下の、深い深い穴のようなところにずっといたような気がする。 精神障害になって、希死念慮という言葉を知った。 私の中の希死念慮は、「自分はこの世にいてはならない」「自分がいないことで世界は循環していく」「周囲の人を不幸にしているのは自分

          完璧主義と希死念慮

          chocoZAPのスターターキット簡単レビュー

          4月4日、chocoZAP入会 入会後即chocoZAPでトレーニングできるということで入ってみた。 運動着を着ていなかったので、試しにカラオケへ入ってみることに。 機種はJOYSOUND。「この曲が無い!」ということは無かった。 1日最長1時間程度しか利用することができないものの、新曲の練習などには十分使える。 ただ、カラオケ好きな人にとっては1時間は短いので「カラオケ屋でフリータイムしたいなあ」という気持ちにはなる。 帰り道で「スターターキット」なるものの存在を認知。

          chocoZAPのスターターキット簡単レビュー

          目標を立てたところで無理は無理なのだ。

          ここ一週間、希死念慮に襲われている。 家事をこなしていても、一人飲みに行かなくなっても。 良いことをしているだけなのに、希死念慮は襲ってくる。 これが双極性障害の正体なのだなと、いたく痛感した。 根底に何があるのだろうと探ってみると、どうやら「お金を稼げていない、生産性が無い自分」に対して希死念慮はチクチクと刺しているようだった。 しかし、インターネットで希死念慮の対処法を検索しても「とりあえず休む」「気晴らしをする」以外に解決法は無さそうだった。 焦燥感で昼寝ができない

          目標を立てたところで無理は無理なのだ。

          ニート精神障害者28歳女、料理はじめました。

          母は料理が好きだった。 日常における食事はもちろん、ぬか漬けを家で仕込んでみたり、イチゴジャムを作ってみたり。 大みそかにはお重を買って、たくさんの料理を作っていたのを思い出す。 そんな中、ふと私が料理を作ろうとすると、母は下ごしらえを全部やって、何なら煮込む段取りまでしてくれていた。 もういい大人なのだし、振り切って練習をすればよかったのだが、「やってくれるからいいや、私は料理が得意じゃないから」と言い訳をして、アラサーになるまで料理をしてこなかった。 父は料理人だ。

          ニート精神障害者28歳女、料理はじめました。

          母が使い、父が使う台所、そして

          #今日の振り返り 実家の台所を整理した。 最近家事をするようになって、ふと気になったからだ。 台所事情が分からなければ、献立を考えることもできない。 私は、いわゆる『他人の台所』に足を踏み入れたのだ。 他人の台所を整理していると、様々な気づきがあった。 私は2年前に母を亡くしているのだが、まだ母の片鱗が台所に残っていたのだ。 とはいっても、母は整理整頓や掃除ができない人だったから、謎のストックが膨大にあった。 ココナッツミルク缶4個。 シナモンパウダー2瓶。 チリパウダ

          母が使い、父が使う台所、そして

          精神障害持ちほぼ引きこもりニートが家事を始めるまでの過程について

          ――私、御年28。まだ、家事は知らない。 幼いころ、母と姉と暮らしていた。 いわゆる母子家庭で、母は女手一つで私と姉を育ててくれた。 しばらくすると姉は一人暮らしを始め、私と母の二人暮らしに。 精神障害を患い、状態が安定していない私が一人暮らしできるわけもなく、ずっと実家に入り浸っていた。 いわゆる、子供部屋おばさんである。 そして2年前、母が亡くなった。 くも膜下出血であっけなく逝ってしまい、家族全員心の準備が全くできない中、変容する暮らしを受け入れるしかなかった。 そ

          精神障害持ちほぼ引きこもりニートが家事を始めるまでの過程について

          ニートほぼ引きこもり精神障害者でも人生の目標を立てたっていい。

          ここ数週間でさまざまな変化があったことは前回のnoteで書いた。 このnoteを見ている人の中で、明確に目標を持っている人はどれだけいるのだろう。 日々仕事やプライベートに忙殺され、とりあえず一日一日を生き延びるだけで精一杯の人もいるに違いない。 また、目標の持ち方について検索してみると、「仕事」や「ライフプラン」といういかにも目標があったらよさそうな単語がヒットしまくる。 これまでの私のように、家で猫とウネウネしているだけの人間は、とりあえず人に迷惑をかけないようにひっそ

          ニートほぼ引きこもり精神障害者でも人生の目標を立てたっていい。

          ポンコツ配信者の生存戦略

          久々にゲーム配信をすることにした。 久々、というのも、私は数年前にゲーム配信をしていた事がある。 当時は好きなゲームを頼りない機材を用いて配信し、時折視聴者から 「画面止まっていますよ」 と言われ、発狂するだけの不毛な配信であった。 もちろん視聴者も少なく、1~2人程しか見ていなかったのではないかと思う。 その後は、配信をすること自体つまらなくなって辞めてしまった。 そんな苦い思い出があるゲーム配信。 当時は承認欲求も拗れに拗れまくっていたから、余計に続かなかった。 今回

          ポンコツ配信者の生存戦略

          『部外者』である私

          2024年、元旦。 祖母の家から帰宅し、酒を飲んで横になっていた。 しばし微睡んでいると、地震が起きた。 天井を眺めて収まるのを待っていたが、次第に揺れは大きくなっていった。 父の部屋に行き、慌ててテレビをつける。 アナウンサーの切迫した声から、とんでもない事が起きていると理解した。 岐阜も何度か揺れ、またスマホからサイレンが鳴るのではないかと気が気でなかった。 2024年、1月2日。 少し気持ちを落ち着けることができたので、のんびりと正月を過ごしていた。 父と晩酌をしてい

          『部外者』である私

          母の遺言、達成。

          生前、母に「FPを受けなさい」と言われた。 当時私は就労ができず(今もだが)、家で猫とウネウネするしかやることがなかったので、その意見を受け容れ、資格勉強を始めた。 FP3級合格を伝える前に母は急死したが、これは遺言だと思い、私はFP2級まで取得しようと決意を固めたのであった。 正直、簡単に取得できるものでは無かった。 上記の通り、私は精神的に具合が悪いと、文章を読むことがかなり厳しくなってしまう。 そのためひたすら書き、文字を指で辿りながら読み直し、理解力が乏しくなって

          母の遺言、達成。

          SNSと距離を取ろう!~Twitter編~

          物心ついたときから、私は母のPCで遊んでいた。 母のPCは、現代のPCと違ってモニターが大きく、ゲームでもしようものならすぐフリーズするようなスペックのポンコツPCだった。 それでも保育園の頃から私はインターネットに魅了され、現在もなおインターネットにどっぷりと浸かる日々を過ごしている。 SNSがそこまで普及していなかった頃は、母が見ている2chを後ろから覗いてみたり、ハンゲームのチャット機能を活用して様々な人と交流を取っていた。 当時はコミュニケーション能力がゴミカスだった

          SNSと距離を取ろう!~Twitter編~

          アイドルという存在

          以前から好きだったアイドリッシュセブンの映画『劇場版アイドリッシュセブン LIVE 4bit Compilation Album "BEYOND THE PERiOD"』のDAY1を見に行ってきた。 簡単に言うと、アイドリッシュセブンとは二次元の男性アイドルグループ達が奔走するゲームで、現在ではライブ、アニメ、映画など様々なツールで彼らと邂逅することができる。 今までのライブはキャラクターを演じている声優さんが歌い踊る感じだったが、今回はキャラクター自身がライブを行うスタイル

          アイドルという存在