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SNSと距離を取ろう!~Twitter編~

物心ついたときから、私は母のPCで遊んでいた。
母のPCは、現代のPCと違ってモニターが大きく、ゲームでもしようものならすぐフリーズするようなスペックのポンコツPCだった。
それでも保育園の頃から私はインターネットに魅了され、現在もなおインターネットにどっぷりと浸かる日々を過ごしている。
SNSがそこまで普及していなかった頃は、母が見ている2chを後ろから覗いてみたり、ハンゲームのチャット機能を活用して様々な人と交流を取っていた。
当時はコミュニケーション能力がゴミカスだったので、チャットのメンバーをドン引きさせるような発言ばかりしていたが……。
しかし、何度もコミュニケーションを繰り返したことで、現在はそれなりに相手との対話スキルを身に着けられたと思う。

Twitterは小学6年生から使っていたから、約15年程のお付き合いになる。
昔は広告も無く、拡散するRT機能も無かったため、それぞれが思い思いに好きなものの話をしたり、結構平和なSNSだった。
しかし今は、見たくもないトピックがたくさん流れてくるし、誰かと誰かが喧嘩しているとか、あの人がダメだとか、マイナスな話題が目につくようになってきた。
特に障害を抱えてからは、似たような症状の人と分かち合う事が出来る反面、お互いが繊細であるがゆえに、人間関係の構築にかなり苦労することが増えた。
また、社会とのつながりがどうしても希薄になってしまうがゆえに、Twitterを辞めてしまうと、本当に孤独になってしまうのではないか、という不安に駆られ、どれだけ傷つくことがあっても辞めることができなかったのである。

しかし、ある日を境に「あ、辞めれそう」という感情が生まれた。
それは複合的な要因によるものだ。

まず一つは現実が豊かなものになってきたということ。
外に連れ出してくれる人ができたことで、自然とインターネットから離れる時間が増えた。
もちろん、Twitterで得た素敵な友達もいるので、必ず見ないと言うわけではないが、こちらから発信する内容も自然とポジティブなものが増えたように思う。

二つ目に、タスクを増やしたこと。
家事や勉強、創作活動(こちらのnoteもそう)に注力することで、ダラダラとTwitterを見て落ち込むことがなくなった。
もちろん調子が悪い時は布団から起き上がれない事もある。
だが、少しでも「しなければならない」ことを増やし、こなしていくことで、自己肯定感もあがるし、シンプルに生活環境が向上するのだ。
「鬱には掃除がいい」と言う話を聞いたことがある人もいるかもしれないが、あれは「体に鞭打って動け!」と言っているのではなく、「綺麗なお部屋は気持ちがいいよ」と言ってるだけである。
無理をしない範囲で生産的活動を行うのは、今後も続けていきたい。

三つ目は、別のSNSを活用するということ。
これは「そういえばinstagramで嫌な思いした事無いな」と思ったのが始まりだ。
instagramは身内の投稿を眺めているだけであり、基本ポジティブな投稿ばかりなので、そもそも落ち込む要素がない。
Twitterに比べて反応は少ないが、ヘイトを買ったり罵詈雑言を浴びせられる可能性も格段に減る。
SNSを完全に断つのではなく、Twitterの代替として新たな依存先を見つけるのは、私にとってベターな判断だったと言えるだろう。
ずっと家にいるからね…。

マイナスな出来事だけでなく、人はポジティブな出来事でも体力を削られる。
特に人間関係に対するキャパシティが少ない私みたいな人間は、SNSに魅了されやすく、逃げ出すのも難しい。
そんな時に、別の依存先を何個か作れるようになると、心の負担を減らすことができるのではないだろうか。

インターネットの魅力は計り知れない。
そして、人と人のつながりもまた、美しいものだ。
時には嫌なモノを見てしまうが、そんな時は少し周囲から距離を取って、自分の部屋に帰り、大きく息を吸って、「くたばれ!!!」と叫ぼう。
できるだけ大声で。ファックポーズも忘れずに。
大声を出すのも、また感情を整理するためのデトックスだから。

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