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家族の危機に私がとった行動Ⅱ『のに』の生まれるところ

前回のお話はこちら↑

私は『のに』を恐ろしく思っている。

『のに』は私を支配する
『のに』は相手を支配する
私は『のに』に依存する

『のに』は恐い。私には、とても扱えない。

ひと度『のに』を発生させてしまったら、『のに』は猛威をふるい、私の問題だった出発点を、相手の問題へとすり替えて、私の問題を無効化できたと勘違いしてしまう。『のに』を使えば、私は私の問題から上手く逃れたようないい気持ちにさせてくれる。

そして、すべてを忘れて相手の『せいで』こうなったのだ。相手が私をこうさせたのだ!と胸を張って堂々と言えてしまえる。我を忘れ、相手にのめり込み、まるでそこにあった自分の世界を相手が壊してきたかのように錯覚を起こす。

すべてが自作自演。

はじまりの1歩が、その1歩に自信が持てなかったばっかりに。その1歩を踏み出す勇気が持てなかっただけなのに。自分の弱さと自分の不甲斐なさの責任を『のに』を使って私が私を騙し、『のに』を使って相手に擦り付け、『のに』を使い続けて正当化しようとしてしまう。

まるで、蟻地獄のような『のに』から抜け出すのに、これまで何度も何度も苦労した。『のに』は私を守るものではなかった。『のに』は私を疲れさせ、私から元気を吸い摂り、闇へと誘う。

『~あげたのに』『~だったのに』『~のに』

私の中に『のに』が生まれる時、『のに』を作り出す初めの一歩は、いつも決まっている。

①私が私に嘘をついた時。

②私が他者へ、自分よがりを押し付け見返りを求めた時。

この二つ。この二つさえ作り出さなければ、私は『のに』を使わなくても済む。

『のに』を使わなくて済めば、どんなことがあろうとも、家族を愛し、どんなときも家族を思い。どこまでも、幸せでいられる。嵐が去った後の宴を家族と共に楽しむと言う、私の欲望のためだけに、この二つをしない縛りを作った。

①私は私に嘘をつき、我慢しながら、夫や息子と会話することはしない。嘘のない本心のみ発言する。本心であっても言わなくても良いことは言わない。思うのは勝手。言わなければ、私は『のに』を生まずに済む。

嘘のない会話は、元々夫から学んだこと。これまでもやってきた。だからきっと大丈夫。感情の綱引きに私は参加しない。どんなに力強く引っ張られても私が綱引きの綱を持たなければいい。壊れたレコードのように伝えたいことを何度だって伝えよう。それだけでいい。

②私が相手のために、などと考えて行動はしない。相手のためではなく、自分がそうしたかったからしたこと。それだけに絞る。そうすれば、相手へ見返りを求める必要もない。私は私のために、私がそうしたかったから、だから行動する。そこに『のに』は生まれない。

あなたのために、と考えた行動の中身が、私のためにならない我慢であったなら『のに』が生まれてしまう。『あなたのためを思ってしてあげたのに』一番の厄介者だ。こんな『のに』はまっぴらゴメンだ。我慢なんてするからいけない。我慢など必要ない。私のために、私は生きているんだから。私が元気で生きている。だから、家族が今4人なのだから。私のために生きて、私のために私がしたいことをする。夫や息子のためを思ってすることは無い。結果的にそうなるだけのこと。そこには見返りも何もない。私は私の人生を歩こう。

~To be continued~

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