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発達障害児 次男 正義感が仇となってしまうパターン

「次男くんは正義感の強いお子さんですね」

これまでに何度となく言われた言葉。良い意味でも、悪い意味でも言われてきました。

それは次男が持っている素敵な所であり、自分を苦しめる部分でもあります。どの部分もやはり、良い面と悪い面がある。持って生まれた所を活かし長所にするためには、悪いパターンに入ってしまう時はなぜ起こるのかを理解しなくてはなりません。

しかし、具体的にどう説明して納得してもらえるのかがこれまで分からなかった。どんな事にも説明が必要になるのが次男。説明が納得できるものでなければ飲み込まない。それもまたある種の正義感という括りであるのかもしれない。


次男が悪いパターンにハマっていくとき、彼の中にある何か、(外側の人はそれを正義感と呼ぶけれど、次男の中ではそう言う名前のついてるようなものじゃない)が、相手への攻撃になっている。攻撃になっている正義感によって、返り討ちに合いそしてボロボロになる。

攻撃しているつもりなんてないのだろうけど、結果的にそうなってしまう。

誰にだって突かれたら困るような弱い部分や、悪いとわかっていてもやめられない事や、やましい事くらいあるものだ。

そこに踏み込むと言うことは、踏み込まれた方からしてみれば、攻撃されたと感じても不思議はない。次男も逆の立場なら逆上している。

アドラー心理学的に言えば、相手の課題に土足で踏み込む行為。課題が分離できていないという事だろう。

相手の悪い所を見つけ出して指摘するだけの事を正義感と呼ぶのはズレているなと思うけれど、先生方もどうにか良い言葉でそれを表現しようとして下さっての事。



相手を思い通りに動かしたい。と誰でも思う。でも、そんな事はできないんだよ。

これが、私が今まで次男に言えた事。でもそれはほんの一部でしかない。できない事を認めたり分かったりする事は確かに必要だけど、単に我慢するだけになってしまうのもおかしな話。

人間関係の中で、悪い所の指摘は必要なことで、誰からも悪い所を指摘してもらえなくなったらお終いという側面もある。

次男ができる事で、悪い所の指摘が生かされるパターンはどんなものがあるのか。悪い所を指摘する事が宣戦布告になってしまったり、火に油を注いだり、足の引っ張り合いになったりするパターンとの違いは何なのか。タイミングを見て話しておきたい。


悪い所しか探していない指摘は、ただの攻撃。

相手はこちらの思うようには変えられない。けれど、こちらが相手の良い面も積極的に見ている場合、信頼関係が築ける事がある。信頼関係があったとしても、悪い所を指摘するのはとてもデリケートな行為。関係が悪くなったり、相手を怒らせてしまう事も覚悟の上で、ただの指摘では終わらずに、一緒に歩まなくてはならない。指摘の先まで責任が伴う。


伝えるチャンスがあるとするならば、失敗した後。できれば、家族内での小さな揉め事くらいがいいな…。…。そう上手く行かなさそうだけど…。

モデルとなるような素晴らしい出会いも、反面教師となるような苦い経験もたくさんあった次男。人間関係が不器用な分、経験値は上がっているのだから、話のネタには困らないかな(^_^;)


次男は、悪い所を指摘する事で、良い事をしたと思っている節がある。あるいは、オレは悪くないのだから。と変な自信を持っている。そして返り討ちに合う、ボロボロになる…。あっちが先にこうしたから悪い。と憤慨する、そしてループする。

お互いに、入ったらダメな領域にズカズカ入り込み、お互いの大切にしたい部分を奪い合う。どちらが先に踏み込んだのかという論点にすり替えて戦いを続ける。

それを大人になってもやってると、自分だけじゃなくて、自分の大切にしたい事や、物、大切な人まで奪われる。犠牲になるのは大抵の場合、女、子ども、老人などなど弱い所から狙われて、守りたいものが守れなくなってしまう。


課題の分離を子どもに伝えるのは難しそうだ。けれど、伝えなくちゃいけないね。肌で感じて分かっていくタイプではない分、私がそれなりに言語化できれば大抵の事は伝わっていく。一回や二回で伝わるような話しではないから…何度も何度も繰り返し繰り返しだな…。


(๑•̀ㅂ•́)و✧母ちゃんは、次男の良い所を10百個でも千個でもいくらでも言えるぞ!

まずは、指摘したいと思った相手の良い所探しだぞー!できないなら、指摘なんてやめちまえー!そんなもん正義感でも愛でもなんでもないぞー!






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