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成長を祝うフィードバック

子どもたちが成長しているのかどうなのか。大人には分かっても、子ども本人にはわからない事がたくさんあります。

改めて実感する為のフィードバックは、その子にとってとても良い刺激となるものです。ほんのわずかな成長を祝い、フィードバックし、『私』を作るお手伝いをする。子育てにおいてとても重要なサポートです。

子どもたちは、混沌の中に生き、不安定な精神や肉体を持ち、迷い、もがき、苦しんでいます。

無邪気に笑っていられる子どもたちを見て、昔を思い出し、うらやましく思う大人の目線には、子どもたちの抱えている困りごとが見えない事があります。

経験の無いことが繰り返し起こり、歴史や過去から学ぶ事ができないのが子どもたちです。それは単に能力の問題では無く、時間や体験の問題や、身体の未熟さによるものも多く存在します。

無邪気に笑っているのは、分からない事が多い、知らない事が多い、という事でもあるのですから、笑っていたかと思えば、混沌の中で混乱し取り乱したり、広い世界に取り残され恐怖を味わったり、眠る事が死を予感させたりと、大人がとうに忘れ去った問題と日々戦っているのです。


子育てをしていると、親は子どもたちの行いに善悪や良い悪いなどのジャッジをしなくてはならない事が山のようにあります。子どもたちがとった行動の結果に大人たちは注目し、怒ったり、褒めたりするでしょう。

悪い事や、誰かに迷惑を掛ける事、やって欲しくなかった事に対して怒るのは簡単です。けれど、少しだけ。怒った後でも構いませんから、考えて欲しいのです。大人には善悪の区別が付くので怒りたくなってしまうのは当然かもしれませんが、子どもたちにとっては当然ではないかもしれません。

以前は起こらなかった悪い事を起こせる能力がどこかで、確実についています。その成長があって始めて何かが起こったのです。それはとても素晴らしいことです。

善悪や良い悪いを教えるその前に、子どもたちの一体どこが成長を遂げたのか?それを探してやってはもらえないでしょうか。

そして、ここがこんな風に成長したね!以前よりもできることが増えているよ!この力をどうやって使えばいいのだろう?と一緒に考えて欲しいのです。そうすれば、使い方がまずかった行動をすることを止めて、成長した力を別の方向に使う方法を考え出すかもしれませんし、何がいけなかったのかの話に耳を傾けてくれるかもしれません。

結果が大人にとって都合が良ければ褒められ、悪ければ怒られる。それを繰り返していても『私』は育まれません。結果が周りにとって最悪だったとしても、その子にとっての成長というのは存在します。

良い行いのみに注目し、褒めるというやり方だけでは上手く行かないのは、成長に対する注目を忘れているからです。結果がどうあれ、子どもたちは日々成長を遂げています。力の使い方を教える為には、力が付いたことを自覚しなくてはならないのです。それを共に祝い喜べる。子育てとはすばらしいお仕事だと感じます。


子どもたちの行動や、ほんのわずかな成長を見逃さずにフィードバックしてあげる事は、ナビゲーションにある現在地を表すカーソルに色を付け、育てているようなものです。

これまでの経験や、これから起こる事を説明する事は、混沌の中に地図を作るとこに繋がります。

カーソルと地図が両方ある程度育つことで、始めて何処へ行きたいのか、何がしたいのか、地図のその先を想像し冒険の旅へ向かう意欲を持ちます。

私は何者なのかを自問自答し始め、羅針盤を探し、使い方を覚え、そして飛び出して行く。


親の持っている地図が、子どもたちの地図と同じにはなりません。時代が変わり、常識は常に変化します。私が通った道を子どもたちも通るとは限らない。

私の地図と、私の羅針盤を子どもに託しても役に立たないでしょう。私と子どもは別の人物であり、別の人生を歩むのですから。

親がしてあげられることは、混沌の中でカーソルを育て、小さな地図を共に作り、地図の作り方を教え、羅針盤を探す事を見守り、冒険に出かけるその日には背中をそっと押し、破れて帰って来る場所に小さな明かりを付けることくらいでしょう。



現在の息子たちの様子。兄は羅針盤を探し始めようとしています。弟は地図の作り方がずいぶん上手になりました。

これからも、わずかな成長を見逃さずフィードバックを続けよう。羅針盤が見つかるかも知れないし、地図がより詳しくなるかもしれない。まだ見ぬ地図のその先へカーソルが向かうその時に、小さな自信が勇気に変わるために。

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