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発達障害児の見る世界(特性と誤学習)


のつづきです。

発達障害(ASD ADHD)の息子にとって、自分以外の人と、自分の区別をすることは非常に困難でした。そして、相手の状況を推測することはほとんどできませんでしたし、ましてや相手の気持ちとなればもっとハードルは高くなりました。

これは恐らく、ASD 自閉症スペクトラムの特性だと思います。(今ならそうだと分かるのに。当時は全然わからなかったなぁ。)

一つの人間関係のトラブルに対して、なぜその様な事が起こったのか?を説明しても、息子には理解したり府に落ちることはありませんでした。

もっとも前提となる、

自分と他者の間には違いがある

と言う事が分からなかったからです。

定型の人たちには、当たり前に存在している、パーソナルスペースや、個人個人、一人一人と言うような概念が、生まれつき持ち合わせていないかのような状態だったと、振り替えってみると思います。

幼児に対して、
『これは○○ちゃんのもの』
『これは○○くんのものね』

こうした関わりをもつ事で、定型のお子さんならば自然と、それぞれの、一人一人のと言う概念が育って行きますが、発達障害児の息子にはその関わりだけではどうやら、他の子どもたちとは違った認識で世の中を理解してしまっていたと思われました。

ここでも、誤学習をおこしていました。

自閉症スペクトラムの人たちに見られる、こうした特性は、もちろん悪いものではありません。しかしながら、この特性でトラブルになってしまったり、本人が苦しんでしまうことがあることもまた事実です。

一年生になり、様々な事を吸収している最中だった息子にとって、この誤学習は成長の妨げとなっていました。

先生やお友だちと上手くいかない理由を、たくさん並べては毎日のように愚痴ったり、泣いたり、暴れたり、時にはかんしゃくを起こしたり、時にはどうすればいいのかを聞いてきていた息子でしたが、どの話を聞いていても、どうにも辻褄が合わなかったり、非常に偏った見方になってしまいます。

初めのうちは、一年生と言う幼さゆえのものだろうと思っていましたので、なぜその様な事が起こったのか?を一般的な範囲で説明していたと思います。

しかし、毎日聞いているうちに、やっぱり何処か不思議な捉え方をしているなと思えて来ました。

当時は、発達障害の診断どころか、受診もしていませんし、病院へ行こうとも考えてもいませんでした。

ただ、なんとなく『大切な事を分かってないな』そんな風に感じたので、『分かってないなら教えよう』そんな単純な発想で、自分と他者との間にある違いについてや、それぞれの、一人一人のと言う概念を日々、丁寧に伝える事を最重要課題として、取り組む事にしました。

『ただいまー』と返ってきたと同時に始まる、愚痴の嵐w
すごい熱量でした。

まずは、全~部全部、吐き出すだけ吐き出す。とにかく、もうこれ以上言うことないってところまで。

そこから、誤学習に対しての学び直しをしていく日々でした。

例えば、

お母さんは自分の事を全て知っていると言う前提で、話をしたり。

友達は、ぼくと同じ気持ちに決まっていると思っていたり。

自分が居たい場所に居ることが誰かの迷惑になっていることに気がついていなかったり、また、人と人との間にある空間が何を意味しているのか、が分からなかったり。

そうした、定型の人たちには『何となく』『雰囲気で』『だいたい』の『察し』が付くことの数々が、まるで理解できず、その理解できていないことで、回りから心ない言葉を浴びせられていました。

その一つ一つを紐解き、丁寧に解説していく。そんな毎日を送っていましたが、その根本的な見方を修正していく作業は、なかなか面白かったんです。それは、私が変態だからかもしれませんけど。なんというかね、ちゃんと分かってくれるんです。

息子が分かりやすいように、理解している事で説明をしました。

当時は電車や車などの乗り物に大変興味があったので、だいたいの説明は、乗り物の例え話だったと思います。

車の車種によって、得意な事が違ったり、走る場所や働く場所が違う事を、『人』に当てはめて考えてみる。
単線レールで、電車が事故を起こさない為に駅ではどんな工夫がされているのか。

そうした当てはめ形式の学びは息子には好評でした。

誤学習している部分は、息子の持っている『素』の状態な訳なんですが、その『素』で居ることで、何だか分からないけど、めっちゃ嫌なことが起きた!って言う怒りが、誤学習だったってことが分かると、『すとん』と府に落ちるような顔をします。そして、

『え?じゃあこれは、○○だってことなの?』
『ぼくは、いじめられてると思っていたけと、違うの?』

と言う疑問に変わっていくんです。
そうすると、ようやく、

『なぜこうなったのか』とか
『こんなときはどうすればいいのか』

そんな会話が耳に入ってくるようになり、

『一緒に対策を考えよう』
『次はどうしたらいいかな』

こんな建設的な会話ができるようになるのです。

一年生の一学期頃、こんな風にえっちらおっちら、フラフラしながらやっておりましたが、学校で起こっている事のスピードは、息子が誤学習を学び直すスピードよりも、遥かに早く押し寄せて来ました。そして、ついには学校へ行けなくなってしまうのでした。

その頃、私は担任の先生に対して、『なんちゅう先生だ』と思っていましたが、それと同時に、息子にとって、ものすごく重要な学び直しの機会だとも思っていました。その思いが災いして、息子の心はボロボロに砕けてしまったわけです。もう少し、私が上手くやれていれば、そこまでの事にはならなかったかもしれません。

今となっては、息子はあの頃の事を、

『一年生の時は散々だったよ。先生もひどかったし、だけど、あの先生よりもひどい先生ってもういないと思うわ。だって2年の先生も、3年の先生もどっちも最高の先生だって俺は思えるから。』

そんなことを言えるように成長しました。苦労を買ったと思って、これが人生の糧になってくれたらなと思います。

この頃の事を振り返って、発達障害児の診断について私が思っていること。

発達障害グレーゾーンと言う、なんともはっきりしない呼び名で、とても苦労されている親御さんも多いのではないでしょうか。特に、幼児期~小学校低学年あたりまでのお子さんで、グレーゾーンと言われるのは私の経験上では、無理からぬ事かなと思います。

専門科でも、判断が難しい時期なのだと思います。発達障害の特性なのか?それとも、幼さゆえの一時的なものなのか?そこが、非常に分かりにくい。そう言う時期であるのだと思います。

グレーゾーンとされていて、後に定型と分かる場合もあるでしょうし、その逆もまた可能性は否定できません。

けれど、学びを続けていくことはできます。私が出会ってきた様々な育児に役立つ方法は、発達障害児に対する特別なものではありません。定型のお子さんも同じ方法で、いやむしろ同じ方法の方がより分かりやすく、のびのびと成長していけるのだと思います。

発達障害は、悲観するようなことばかりではないのです。大切な一人として、充分に伸びやかに育ち、幸せで楽しく生活し、学校でも社会でも活躍することができると私は思います。

次回は、発達障害児の息子が、自分をコントロールする為に、行ってきた方法を紹介します。

~To be continued~

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