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先天性横隔膜ヘルニアの話

今年、初めての妊娠・出産の経験をしたが、この1年は結構壮絶だった。
妊娠してから産後ももうずっと大変だった。

けどそれが今月ひと段落ついたので、何があったのか自分用のメモも兼ねてまとめてみようと思う。

まず妊娠初期。
初期は「妊娠悪阻」でだいぶ辛い思いをした。
これは以前まとめたものがあるのでそっちを見てほしい。

次に妊娠中期。
妊娠悪阻が落ち着いて安定期に入ったあとのこと。

妊娠20週、妊婦健診でエコーをした時に赤ちゃんに異変が見つかった。

「心臓と胃の位置が違う…?」
エコー中に先生が呟いた。

私は意味がよく分からず、頭の中は「?」だった。
その日は大きい病院から先生が来ている日だったので、その先生にも診てもらうことになった。

2人目の先生に診てもらって異変についてはっきりと言われた。

「先天性横隔膜ヘルニアですね。」

状況がよく分かってない私は、病名を言われてやっと深刻なことが起こってるんだと理解した。

そして横隔膜ヘルニアについての説明を受ける。

先天性横隔膜ヘルニア


・横隔膜ヘルニアとは胸と腹部を隔てている横隔膜に穴が空いており、腹部の臓器が胸に脱出してしまう病気である
・腹部の臓器が胸に脱出することで、肺や心臓の胸の臓器が圧迫され十分に成長しない低形成(または未形成)が起こる
・私の場合は妊娠20週という早い段階で発生していて、肺が十分に育ってない状態で起こっているので重症度が高い
・今はへその緒から酸素が行くから問題ないが、産後は肺呼吸になるので上手く呼吸ができず危ない状態になる
・今後悪化する可能性も高く、生存率は30%を切るくらいになるかもしれない
・生まれてすぐ手術することになる
・設備がちゃんと揃っている大きい病院じゃないと対応できないので転院してもらう
・まだ中絶できる週数なので、妊娠継続するか中絶するかは転院先の病院で決めてほしい

このような説明をされたが、自分で思っていた以上に深刻な状況になっていて言葉が出なかった。

私は岡山に実家があり、里帰りする予定を組んでいたが、里帰り先の病院でも、このクリニックでも対応は無理だと言うことで大きい病院を紹介された。

先生がその病院の産科の先生にすぐ電話をして予約をねじ込んだ上で紹介状を書いてくれた。

これが土曜日の話で、すぐに転院先の病院で診察を受けてほしいとのことで月曜に病院に行くことになった。
その間の日曜日、私は横隔膜ヘルニアについて調べていた。

・横隔膜ヘルニアは2,000~5.000人に一人の出生率
・日本では毎年200~300人発症している
・発症する原因はよく分かっていない

正直、なんでうちの子が?と思った。
辛い妊娠悪阻を乗り越え、これから妊婦生活楽しむぞと思ってた矢先に子の病気が見つかって気が滅入った。

そして次の月曜、転院先の病院に行き診察を受けた。
これが今年4月3日の話。

転院先の先生にも改めて「横隔膜ヘルニア」の診断がされ、生まれた後の生存率の話や、今後妊娠中に起こりうる症状について説明された。

とりあえずこのまま悪化しなければ生存率は30~50%ほどと考えられるらしい。

またこのまま悪化してしまった場合、肺の成長を促すために胎児治療を行う可能性があること、臓器が脱出していることで羊水の巡回が上手くいかず羊水過多になるかもしれないこと、羊水過多になったら除去の処置をするかもしれないこと、分娩方法は帝王切開になるかもしれないことなどを説明をされた。

そしてこれらを踏まえて妊娠継続するか、中絶するかを考えてほしいと。

この日、夫も付き添いで来てくれていたので、診察後少し時間を貰い夫とどうするかを話した。
話をして、妊娠継続することに決めた。

生存率が多くて50%あるということだったのと、もうこの時期には胎動があり、赤ちゃんがしっかり生きていることを感じていたので中絶は選べなかった。
今後大変な思いをすること覚悟で妊娠継続を決めた。

それまでは4週間に1度の妊婦健診だったが、転院後は週1で通うことになった。
毎週、子が悪化してないことを願いながらの通院だった。

4月に転院し週一で通い2ヶ月。
6月12日、いつも通り診察を受けていたのだが、
「曽根さん、今日これから入院ってできますか?」と突然言われる。

緊急入院

「入院できますか?」と突然聞かれて悪化してるんだなと理解してショックだった。

子は左側の横隔膜に穴が空いていて腹部の臓器が入っており、左肺の低形成が起きている。
そのため、出生後は手術するまでは成長している右肺に頼るしかないのだが、その頼りの右肺の胸腔内に胸水が発生していた。

この胸水の影響で右肺が圧迫されてしまい、出生後に右肺もうまく機能しない可能性が示された。
それと同時に羊水過多にもなっていた。

そして「MFICU」という「母体・胎児集中治療室」に緊急入院となった。

緊急入院が決まってからは検査の連続だった。
コロナの検査、心電図、レントゲン、MRI、採血、採尿とバタバタ検査をこなし、夜に夫が来て夫婦で先生から説明を受けた。

胸水の影響で右肺がうまく機能しないかもという話の他に、羊水過多で母体が苦しくなればお腹に針を刺して羊水を除去すること、またミラー症候群といって赤ちゃんに出ている症状が母体にも出て危険な状態になることがあること、出生後は赤ちゃんはNICUに運ばれることを聞いた。

だから管理のために緊急入院が必要になったとのことだった。

入院中は毎朝体重測定、腹部・子宮底の測定、赤ちゃんの心音確認があり、日中はNSTモニター、夜にもう1度赤ちゃんの心音確認があった。
そこに数日に1回エコーの診察が入る感じ。

NSTや心音確認、エコーの時、お腹の赤ちゃんの胎動が激しいことが多く、毎回「元気すぎる」って笑われていた。

私は赤ちゃんに助かってほしいと思いつつも、助かる可能性を信じてダメだった時が辛すぎるので、もうなるようにしかならないんだ、助からなかったらそれもこの子の運命なんだと考えるようにしていた。

赤ちゃんのことを考えると辛くなるので、なるようにしかならないと考えることで少し気が楽になっていた。

入院中は悪化することはなく、経過観察で胸水は減っていって羊水過多も自然と解消されたので、MFICUから普通病棟に移り、約1ヶ月の入院を経て一度退院した。

本当はそのまま入院した方がよかったのだが、私の退院したいという気持ちを汲んでくれて一度退院となった。

退院から5日後にまた健診があり、胸水がなくなっていればそのまま家に帰れたのだけど、胸水がなくなっていなかったので再入院となった。

二度目の入院も特にトラブルはなく。
分娩方法の決定のため、主治医から話があった。

私はもともと無痛分娩をしたくて里帰り先も無痛分娩が出来るところを予約しており、帝王切開だけは嫌だと思っていた。

帝王切開が嫌なのはお腹を切られるのが怖いのと、産後の回復が一番遅いと聞いていたため。

(無痛分娩が楽とは思ってないけど、少しでも痛みを抑えたいのと、産後の回復が早い無痛分娩がよかった)

が、赤ちゃんの状態を考えると帝王切開をして出生後すぐに処置をした方がいいと説明をされた。

主治医も私が帝王切開を嫌がっていたことを知っていたので、無痛分娩できないと思うのは申し訳ない、帝王切開でどうにか納得してくれないかと私にお願いするような感じで話をしてくれた。

夫婦で考える時間をもらい、2人で話し合った。

夫も私が帝王切開が嫌なのを知っているので、最後まで経膣分娩できないのかと考えてくれていたが、私は帝王切開で助からなかったらもう何しても助からなかったんだなと納得できるが、無理やり経膣分娩を選んで助からなかったら、帝王切開にしとけばよかったのかもと一生モヤモヤしてしまう気がした。

だから私は帝王切開で出産することを決め、先生にもその旨を伝えた。
予定帝王切開になるので、後日出産日は妊娠37週5日目の7月31日になると連絡があり、その後産科の先生や麻酔の先生、NICUの看護師さんが入れ代わり立ち代わり来ては手術の説明やNICUでの赤ちゃんの処置、面会方法などの説明をしてくれた。

赤ちゃんは生まれたあと呼吸の管理をし、安定して2~3日経ったところで横隔膜ヘルニアの手術を行うとのことだった。

出産

そして手術当日。
手術前にシャワーを済ませてNSTモニターと主治医の最後の診察があった。
手術前も赤ちゃんはお腹の中で元気に動いていた。

こんなに元気に動いてるのに、生まれたら死んでしまうかもしれないのかと悲しくなった。

診察が終わって手術室に移動。
腕に点滴をつけ、背中と腰に麻酔を打たれて保冷剤で麻酔が効いているか確認される。
麻酔が効くの激早かった気がする。

麻酔が効いていることを確認し、手術スタートしたが、本当に何も感覚がなくてすごいってなった。
途中気分が悪くなり麻酔科の先生に訴えたら血圧が下がってて顔が紅潮してるって言われ、血圧を上げる薬を入れてもらったらすぐに気分の悪さは改善された。

そして10:25、先生方の「おめでとうございます」の声と同時に「オギャ!オギャ!」と産声が聞こえた。

横隔膜ヘルニアの子なので、息がしにくくて産声出さないかもしれないと最初に言われていたが、産声が聞こえて頑張って泣いたんだなあとほろり。

ただ、産声を上げて空気が体に入ることで腸とかにも空気が入ってさらに肺が圧迫されるため、すぐに処置に入ったので産声が聞こえたのは一瞬だった。

赤ちゃんは手術室での処置を終え、NICUに移動する前に私の前に運ばれてきた。
呼吸のための管が入っていて眠っていた。
本当に自分の中に赤ちゃんが入ってたのかって驚きと感動と、生まれてすぐにこんな状態になってごめんねという気持ちがあった。

(この後の私の処置や産後の痛みなどはここでは省略する)

出生後の経過

産後、ベッドに寝たまま助産師さんに運ばれてNICUに面会に行った。
いろんな管に繋がって眠ってる赤ちゃんに「頑張れ」と言うことしかできない。

正産期になるまでお腹の中で成長してもらうために頑張ったけど、生まれたあとはもう私に出来ることはなくて、医療の力と赤ちゃん自身の力を信じて待つしかない。

面会が終わって病室に戻ってきてその日の夜、NICUの先生が来て、呼吸状態が悪く肺高血圧を起こしているので危険な状態だと説明をされた。

生まれたその日に、明日まで生きられないかもしれないから覚悟してほしいと言われた。
赤ちゃんに何かあるとすぐに助産師さんを介して連絡が来るらしい。

最悪のパターンも十分ありえるので、その時は両親どちらもすぐに来れるようにと夫も急遽病院で寝泊まりすることになった。

幸いその日は赤ちゃんに関しての連絡がなく、次の日の生後一日目の朝を迎えた。

そしてこの日が1番の修羅場だった。
赤ちゃんは生まれたその日に呼吸状態が悪くなったが、夜中に一度持ち直して何とか乗り越えてくれた。

けど、1日目の日中にまた呼吸状態が悪くなった。
横隔膜ヘルニアの手術をしたいが、この状態ではできない。

このままでは横隔膜ヘルニアの手術を行える状態になる前に死んでしまう。

次の処置としてECMOに乗せるという話をされる。

(ECMOはコロナ禍をきっかけに耳にした人が多いと思うけど、心臓と肺の働きを補助する機械のこと)

が、前段階の処置の影響で全身が浮腫んでおり、首の血管に針を刺すという通常の方法では行えない状態になってしまった。

通常の方法では行えないため、胸を開いて心臓に直接取り付けるという方法を提案された。
これは手術をする先生もあまり経験がなく、生きるか死ぬかは半々で、手術中に死んでしまう可能性もあると説明を受けた。

このまま人工呼吸器での呼吸管理を続けるか、ECMOに乗せるか、選んでくださいと言われ、夫と私はECMOに乗せてもらうようお願いをした。

ECMOの手術でも死んでしまう可能性はあるが、このままの呼吸管理を続けてても改善されることはないからだ。
それなら改善の可能性があるECMOを選ぶしかなかった。

ECMOの手術の前に赤ちゃん見ていきますかと言われて赤ちゃんのところに向かうと、手術の準備でバタバタしていて、赤ちゃん1人に20人ほどの先生と看護師さんが集まっていて、その光景を見て「あ、これはもうダメかもしれない」と実感し涙が止まらなくなった。

手術の準備をしていたので赤ちゃんに近づけず、遠くから見て、泣きながら頑張れと念を送って一旦病室に戻された。夫も一緒に。

夫も私も精神的にしんどくなっていて、助産師さんに少しでも休んだらどうですかと言われ、病室では電気を消して仮眠をしようとした。
実際には目を閉じていただけだが、それでも少し楽になった。

しばらくしてNICUの先生が病室に来て、無事にECMO取り付けできて、赤ちゃんも生きていると報告された。

ECMOの循環のため、血液をサラサラにする薬などを投与しているので、何かの拍子に脳出血など起こってしまうと危険な状態になるため、まだまだ予断を許さないが、とりあえず一安心するところまで来れた。

ECMOの取り扱いはNICUでは出来ないとのことで、より重症度の高い患者さんが入るPICUに移動になった。

ECMO取り付けから2日後くらいにやっと横隔膜ヘルニアの手術が行われた。
朝から夕方までかかり、横隔膜ヘルニアの手術も無事に終わった。

赤ちゃんは横隔膜に穴が空いているどころではなく、左側の横隔膜がほぼ形成されていない状態だった。

最終的に胸に脱出していたのは胃と脾臓だったらしい。
肝臓まで脱出すると危険と聞いていたので、横隔膜がほぼない状態で肝臓が脱出してなかったのはラッキーだったのかもしれない。

産後5日目で赤ちゃんより先に私は退院し、面会のために病院に通い詰めになった。

赤ちゃんは時間をかけて回復していった。
ECMO離脱できないかもしれない、左肺が成長しないかもしれない、人工呼吸器が外せないかもしれない、手術や治療の影響で脳や聴力に影響が出るかもしれないと、本当にいろんなことを言われてきたが、全て克服していった。

ECMO離脱し、肺も普通の子とそんなに変わらないくらい大きくなり、人工呼吸器が外れて自分の呼吸だけで生きられる状態になり、脳や聴力にも異常は見つからなかった。

PICUからNICU、NICUからGCUと時間はかかったがどんどん状態が良くなり、7月に生まれて11月にやっと退院まで来れた。

横隔膜ヘルニアの影響で今も胃が小さくてミルクの吐き戻しが多いとか、まだ問題や心配事はあるが、死んでしまうかもしれないというところからここまで回復してくれたのは奇跡だと思っている。

医療の力ももちろんすごいが、何より赤ちゃん自身の強さを感じた。
生まれたばかりの小さな体で何度も手術に耐え、問題も克服しての退院は本当にすごい。
よく頑張ってくれたと思う。

命を救ってくれた病院と、頑張ってくれた赤ちゃんには感謝の気持ちしかない。

これからも普通に生まれた子に比べたら問題は出てくると思うけど、大切に育てていきたいなと思う。

とりあえず自分用も兼ねてここに書いたけど、この話は今後どこかのブログでもっと詳細に漫画にして残そうかなと考えているので、その時はまた見てくれよな!

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