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女装パフォーマー/ライター ブルボンヌさんのレビュー

皆さん、ご無沙汰してしまい申し訳ありません。上映委員のLINDAです。京都の山々はだんだんと紅に染め上げられ、風も冷たく感じられるようになってきました。鴨川に手を浸してみたら、きーんと張り詰めた冷たさに背中のあたりがぞわっとしました。寒いもんなあと後ろを振り返ったら、私の食べかけのメロンパンを鳶が虎視眈々と狙っていました。どうやら武者震いだったようです。  ということで、皆さんの周りはいかがですか? 

さて今回は、はじめに私のことを書きたいと思います。というのも、このページではある方のレビューを紹介するのですが、その方への並々ならぬ私の思いも、皆さんにはどうしても共有したいと思ったためです。ただ、私のメッセージはその思い入れ故、少し長くなりそうです。ですので感想をすぐ読みたい方は、下の目次から「ブルボンヌさんのレビュー」へジャンプして頂き、ぜひお読みください。



ブルボンヌさん③



私がブルボンヌさんを知った日


上映委員での活動も終わりが見えてくるにつれ、私の中ではある驚きが日に日に大きくなっていることに気づきます。それは、私がこんなにも長い期間、一つのグループに所属し続けられているということです。尤も、長いとはいうものの、私が上映活動に参加してからまだ数か月しか経っていません。けれど、これは私にとって最長記録なのです。

私は小学校の頃から変わった子だと言われてきました。確かに、小学生が生意気にも松本清張を読み、大月みやこのカセットを聴き(古い…)、市川崑の「悪魔の手毬唄」を何度も観返し、お風呂でちあきなおみを大合唱… 「周りの子たちとは何かが違うなあ」と自覚するのもさもありなん、けれど奇跡的にも波長の合う子とめぐり逢って、孤立することなく過ごせました。けれど中学、高校は違っていました。本当に苦しかった。

私立の学校に通っていたこともあって、友人関係はリセット。ゼロからの出発へと踏み出す勇気も野心も好奇心も、全てが私の中にはもはや残っていませんでした。話の合う人は見つけられないし、周りの同級生は成績の話か誰かの悪口しか言わないし、教師たちからは大学受験というゴールばかり押しつけられるし、家には居場所もない。あの頃は一千一秒、周囲の人間から「なんでお前は普通に出来ないんだ?」、「どうしてお前はここにいるんだ?」、「いったいお前は何者なんだ?」という問いを仮借なく浴びせかけられているようでした。そしてクラスや部活、あるいは教室、学校、時には家族にさえ属することに恐怖を感じていました。日に日に目に見えない毒を含んでいった私は、誰かのどれほど心がこもった言葉にも背を向け、ブラウン管やラジオから垂れ流される、誰に宛てられるわけでもない言葉にこの上ない安らぎを見出していたのでした。

そんな時に出会ったのが、この方でした。初めてその声を聞いた時、「何なんだ、この人は」と目はテレビの画面に釘付けになりました。見たこともないメイク、『誰かが彼女を愛してる』の中山美穂みたいな話し方、ニュー着物みたいなお召し物。しかもよくよく話してることを聞けば、時に下ネタも交えながら、すごく面白い話をしておられる。何もかもが新鮮でした。一瞬で惹きつけられ、とりあえずその方の名前だけメモ帳に書き取りました。「ブルボンヌ」と。

そこから単調な私の日常に楽しみが生まれました。それはブルボンヌさんを追いかけること。ブルボンヌさんの名前が登場するところ、本当に面白いことばかりだったんです。ブルさん(私は親しみをこめて勝手にこう呼んでいました)のおかげで、中村うさぎさんやニクヨさんを知りましたし、『風の谷のナウシカ』への眼差しも変わりました。また映画を沢山観るようになったのも、ブルさんのおかげです。(大女優・三田佳子さんを知ったのもこの頃でした) 一気に視野が広くなって、グループからもしがらみからも誰かの悪口からも自由に解き放たれたような気持ちだったことを今でも覚えています。

ブルさんの上には、私の知らないところからやって来る「新しい風」がいつも吹いていて、私の頬をいつでもやさしく撫でてくれました。それはまるで、「自分らしさなんて考えても分かんないんだから、まずは好きなことをやってみな」と言ってくれているようで私には本当に心強かった。あの頃、絶えず所属グループ(属性)を意識し、自分のアイデンティティーの不在を突きつけられ、それを見つけることこそが大人への「通過儀礼」なのだと信じていた私にとって、ブルさんの存在は救われる思いでした。

時は変わり、大学に入ってからも私はブルさんのことをずっと追いかけていました。いや、厳密にいえば「追いかけ」る、すなわちただ一方的に知っているだけでは満足できなくなってもいました。どうにかブルさんにお会いできないか、お会いしてお礼を伝えられないかと。「今はこんなしがないやせっぽちの学生だけど、あなたのおかげでここまで来られたんです」という言葉を添えて。

でもチャンスはこんな私にも巡って来るもののようです。この映画の活動に参加しないかと監督に誘われた時、参加するからには絶対にブルさんにこの映画を観てもらって、ブルさんの感想をお聞きしたい。それを目標に頑張ろう‼そう決めました。一つのグループに長い間属したことがない私だったけれど、ブルさんともしかしたら繋がれるかもしれない、そう思えばなにも躊躇うことはありませんでした。

そして、今日私は、上映委員の一人として、そのブルボンヌさんからの感想を皆さんに共有させていただくのです! もうこれ以上、私から申し上げることはありません。
ブルさん、本当にありがとうございます。私はあなたがいてくれたからこそ、ここまでなんとか生きて来て、こうしてこの文章を書き、更にはあなたの文章を皆さんに紹介することが出来るのです。
これからも素敵なブルさんでいてください。そしてお誕生日おめでとうございます‼




ブルボンヌさん②


ブルボンヌさんのレビュー


 障害のある方と接することは「自分の中の偽善」と向き合わされる気がして、しんどいことでもありました。憐れんだり、特別視するのではなく、軽やかに当たり前に接することができればと願いながら、結局はそういう素敵に想える態度を演じている自分を感じさせられるのです。
 『僕とオトウト』の中でも、プロデューサーの方から、監督であり知的障害をもつ壮真くんの兄でもある髙木さんが、「一段高みからだ」と、「かわいそう、という目線が『切ない』という言葉に現れている」、などと鋭く指摘されています。それはまさしく私にも向けられた言葉でした。
 でも同時に、「だってそう感じてしまうんだから!」と悔しさをあらわにする髙木監督に、「そうだよ、子どもの頃からずっと一緒に、しんどい想いをいっぱいしてきたあなたが、他人からそんな風に言われるなんて酷い話よ!」と、バーで愚痴るお客さんを励ます女装ママのようになっている私もいました。

 自覚的にやっていようがいまいが、それを見る人たちからすれば、大きな声を上げて激しく動くことも、おじさんが昼間から派手な女装で大げさに振る舞うことも、「奇行」です。露骨に嫌な顔をする人もいます。親の期待に沿えないとしても、異性を好きになり孫を見せることができないという、身体と心のどうしようもなさもあります。生まれた場所が違えば、今この時代でも、同性を好きなだけで死刑にされてしまうほどの罪と罰を負わされます。
 それでも、今くらいの日本でなら、奇行を特技として認めてくれる一定の層がいて、頭がまわって仕事もできる私は、高みから壮真くんを見て「切ない」とこぼすのです。

 人は、生まれつき、の部分も大きいです。私の周りには、LGBTなんて言葉もなく、忌み嫌うべきオカマだとされた時代の中でも、のびのびと自分に自信を持って生きてきた人もいます。それは、そういう眩しさを私自身が求めてきたから。彼らが性分として持っていた、周囲の目など気にしない強さの傍にいることで、少しでも影響を受けたいのです。彼らならきっと、「いい人であろう」なんて演じる気持ちなどカケラもなく、笑いながら壮真くんと絡む姿が見える、そういう人に憧れて、きっと一生完全にそうはなれないけれど、その光を感じながら少しは進めるよう、生きていきたいのです。

 与えられた心も身体も立場も、人の事情は違う。けれど、事情や想いを伝え合うことで、人は震えて、瞬いて人生を描く。壮真くんのお母さんが「そういうのはもうとっくに乗り越えた」ように、髙木監督が兄弟という関係だけでなく、映画を通してそれを人に伝えるところに進んだように、その時ごとに自分のかたちと向き合って折り合いをつけていくしかない。
 まどろむ中でじゃれるように懐いてくれる裏表のない心があれば、どんなに暖かい気持ちになれるだろうか、でもその心が、わけも分からず自分の大事なものを壊してしまったら、許せるのだろうか。監督の現実を限りなく生モノのまま伝えてくれた『僕とオトウト』は、やはりしんどくて苦しくて、でもだからこそ、壮真くんは私にとっても、高みから育ててくれる存在でもあったと、気付けるのです。映像の中でだけ、ほんの数十分のご縁であっても、可愛い壮真くんも、一生懸命に向き合う髙木監督も、心から幸せになってほしいと願うのです。

              ブルボンヌ(女装パフォーマー/ライター)



(編集担当:Linda)

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【上映委員 ひとこと】
ある方が「好きなことをまずは続けてみることが大切」と仰ってくださいました。上映活動は楽しいことばかりではありません。大変なことも多いし、もどかしい気持ちになることも沢山あります。けれど、続けているうちにきっとなにか温かくて、綺麗な何かに出会えるんじゃないか。そう信じさせてくれる体験の数々が私の背中を押してくれているようです。
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【劇場公開情報】2021年11月6日現在
各回上映後、監督&日替わり特別ゲストによるアフタートークを行います!
詳細はこちら→https://boku-to-otouto.com/infomation/

大阪 @シネ・ヌーヴォ(本編48分、アフタートーク30分)
11/6(土)-11/12(金) 13:45~
http://www.cinenouveau.com/sakuhin/bokutootouto.html

京都 @京都みなみ会館(本編48分)
11/6(土) 12:00~
11/7(日)-11/11(木) 14:00~
https://kyoto-minamikaikan.jp/movie/12338/

神戸 @元町映画館
終映しました。たくさんのご来場、誠にありがとうございました!


「僕とオトウト」公式サイト https://boku-to-otouto.com
お問い合わせ bokutootouto@gmail.com




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