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教えて下さい95:学業の意義。この説明でやる気が増すかも?(v5_もぐらさんの悩み)

10月4日。水曜日。高速道路でトラックの横転事故に遭遇。当然、渋滞。海外の方が運転手。アジアの方。警察と会話中。海外から働きに来て、中小企業に勤め、今日はトラック運転だったのだろう。

日本語はペラペラかな。仕事がんばって仕送りもしているのかな。今や海外から人気の無い日本に来てくれてありがたい。しかし、異国の地で事故は大変。トラックは使えないけどどうやって職場や目的地に行くのかな。仕事が首にならないといいな。怪我も無いと良いけど。そんな風に思う。

一方で、別にイライラしている訳ではないが、先日もこういう外国人の事故に遭遇した。具体的な数なんて知らないが、多い気がする。運転下手なんだろうな。携帯でも見てたんだろう。マナーが無いからな。こういうのが増えると困るよな。と冷静にコメントするひとがいる。正論。もちろん、このようなコメントをしながらも、上述のように色々心配をすることは可能だが、そんな気配はない。

これらの違いはなぜ起きるのか? 着眼点が違う。この2人は何が違うのか。

自分視点: 渋滞は自分にはマイナス。今後もこんな事故に遭遇し得るがそれに巻き込まれるのは回避すべき。同じ様なドライバーには気を付けよう。

相手視点: 事故を起こして大変だな。海外から日本に来て仕事して大変だな。言語も慣習も法律も違う。がんばっているのだろうな。気を抜くときもあるよな。うまく帰れるといいな。

どちらのタイプでありたいかは本人次第だが、思考は勝手に脳みそに思い浮かぶから、他の選択肢に気づきにくい。自然とどちらかになるが、この違いは、生まれつきなのか、小さい頃の家庭などの教育なのか、経験なのか。

答えはわからないのだが、ボクはこう思う。思考ができる程度には至っている小さい頃から、物事の定義・捉え方を、「良質」に「高度」に「人生で役立つ」ように学べていたら、良い人生だろうなと。当たり前と思っていた定義が大人になって違うと気づくと、もっと早く知りたかった。そう思う。

ボクのお気に入りは「学業の意義」について。試験で良い成績を得るため、偏差値の高い大学に入り、給料の良い有名な会社に入り、安定する人生を得るため、と勘違いしていた中学・高校時代。今は思う、「学業の意義」はそんなしょうもないことではない、と。

今日の悩み: 学業の意義はなんだ?。

案1:
受験で良い成績を取り、偏差値の高い大学に行き、給料の高い有名な会社に行き、安定した人生を得るため。受験に受かるために効率・効果的に勉強する。受験に不要な科目は不要。選択と集中。好きでできる科目も時間は割かなくて良い。合格点に寄与する科目に集中。

あるいは

案2:
嫌いな科目、苦手な科目も含め、自ら日々の勉強の計画を立て、やる気がしない時も、他の用事があろうとも、決めたことを逃げずに投げ出さずに愚直にやり切ることを経験し、精神力を鍛え、「自分はできるんだ」という自信、そして次のチャレンジへの勇気を得る、そのためだ。結果だけに縛られず、過程をやり切ることで自信を得る。これが学業の意義。社会に出たら、嫌なことが押し寄せる。逃げだしてばかりだと生きて行けない。学業は、つまり、社会に出て生きるチカラを得るためだ。

そもそも給料の高い有名な会社に行くことは安定ではない、と後から気づく。給料は確かに相対的に良いかもしれないが、社内での生存競争もあり、プレッシャーもあり、多忙な時もある。精神的に充実するかは全くの別問題。就職したことで、そこには安定があると安易に考えており、学業で訓練していないと打ちのめされる。自信が無いと負けてしまう。ま、そうなっても辞めさせられず給料泥棒できる、そんな安定は得られると言えば得られるが、心は満たされない。

学業とは、嫌いな苦手な科目にも逃げずに立ち向かうことで、社会に出てから多々遭遇する不条理、不安定、曖昧な課題に立ち向かうチカラを得るため、なのだ。スポーツなどの部活動でもチカラは付くが、自分で選んだ好きなことである可能性が高い。学生なのだから、やらされる学業こそが良い訓練なのだ。

ま、案1でも案2でも、どっちでも良いかな。ひとそれぞれ。第3の選択肢もありえる。人生に「正しい答え」無し。

大切なのは:
1.
どっちか悩む/どっちもあり/変化する、そんな自分を知ること
2.そして、自分と違う他人がいても、差別せず受け入れること
3.そして、大切な家族/恋人/仲間が悩み、辛く感じるその時に、案1、2のどっちがより心を落ち着かせ、安心させられる温かい言葉になるかを考えてプレゼントすること

そんな風に思ったりします。

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