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言語(英語)はもう学ぶの不要ですか、AIさん?(素敵なリーダーになりたい編_v4-63)

英語を学び、ヒアリングでき、しゃべれ、書ける、ってことは、この先、必要だろうか。他の言語でもいいのだが、世界の共通語としての英語を一定レベルで使えるようになる、という意味で。

自動翻訳機はどんどん進化する。例えば: 耳にかけられるようにって、小声であっても日本語で囁くとマイクから英語が適切なボリュームで発せられる。相手の英語は日本語でイヤホンが伝えてくれる。

相手の想定距離を調整でき、遠くの人にも、多数の人にも伝えられる。雑音が多いところでは音量アップが自動調整される。そして製造・販売数が増えると規模の経済で価格はどんどん下がってくる。お手頃価格に。誰もが必要な時はさっと耳にかける。

映画を見ていても、音楽を聴いていても、さっと耳にかければ翻訳した声が、小声が聞こえる。俳優モードにすれば、英語のトーンや喜怒哀楽も表現してくれる、日本語で。

文章だって、本やらチラシやらポスターやら切符やらチケットやら「紙」などに「書かれる」ということが今後は無くなる。だから、全てが端末の中のデジタル処理。あっという間に英語で表示される。訳す必要はない。ま、今もすでにそうだけど。端末に日本語を書けば自動で英語に。

英語のヒアリング・スピーキングの練習がAI相手にできる、というサービスが出てきているが、そもそも、この練習すら、必要なのか。。。

ノーブレス・オブリージュについて、こんな話を読んだことがある。政治家なのか、経済人なのか、知識人なのか、貴族なのか、こんな上流階級というのか、そんな人達は、その昔、芸術(絵画やクラシック音楽やらオペラやら文学やら)の知識が社交場での雑談テーマであり、その発展・保全に自分の資産を振り向けるべき、であったらしい。それが、「世界の貧困問題」、そして「気候変動・環境」に対する知識と考えを持ち、資産を振り向けるべき、に移っていったらしい。今はもしかしたら、AI、シンギュラリティへの一家言だろうか。

そして、それらをもちろん英語で話し、社交する。

しかし、今後は、英語を学ぶという、人間の個々の努力が不要な時代になるのだろうか。

学校の英語の授業で、もう自動翻訳機が発展するから言語を学ぶなんて不要ですね、なんて真っ当な声が聞こえそうだ。文科省のダメダメ?と言われる英語教育がダメダメ?のまま、今後は不要になって、消えていくのかもしれない。。。

知らない部族・民族に遭遇し、言語を紐解き、意思疎通ができてくる。太古の人々は争いばかりだったかもしれないが、意思疎通できた時の喜びは、素敵な満足感だったのではないかな、なんて想像。ロマン。

ロマンを感じて、ドキドキしながら、アメリカに留学した。寮を去る時に、ルームメイトのGabe君が言った。「これ、お前の冬物コートじゃないの。忘れてるよ」。こんな言葉が、聞き取れず。2回聞き直してやっとわかった。国際政治の授業で99点を取り、経済の授業でレポートを誉められたのにこんなくだりが聞き取れず。1年が何だったのか。でも、日本に戻っても勉強続けようと思わせた。1年なんかじゃ、全然しゃべれないし、分らない、って気づいていたし。

でも、これが人生だな、って。最後は悔しかったけど、良い思い出も。Gabe君はとても良いやつだったし、2人部屋がGabeの彼女も途中から参加で3人暮らし。ボクのダメダメ英語を2人は我慢して聞いてくれた。ボクに彼女ができたら喜んでくれたり、一緒にアルコールを年齢詐称して買いに行ったり、クリスマスにはコロンバスの実家によんでくれた。

自動翻訳機でこんな関係になれるのかな、なんて思うのは老人思想なのかな。自動翻訳機の方が優れていて、ニュアンスも適切で、より良い関係になれるのだろう。英語を学ばなくても、自動翻訳機を製造する方々の努力の頭脳に感謝して、それを使わせてもらう。自分は努力無し。他人の努力に感謝。そんなことは言語の勉強に限らず、人生のあちこちに。

あるいは、言語教育がAIのお陰で効果的になり、日本でもほとんどの学生がしゃべる、聞き取れるようになるのかもしれない。もはや自動翻訳機の日本語ー英語間は売れなくなるのかも。こっちのケースもありうる。

ま、いずれにせよ、アナログ的に英語を学んでいた時間が不要になるから、その時間を他のことに使えば良いのだものね。ありがたいことか。。。本を読んだり、映画を見たり、音楽したり、エクササイズしたり、スポーツしたり、俳句したり。。。これらはAIに置き換わるかなぁ?ありえそうだ。

と、英語学習が今後不要になるのか、自動翻訳機に任せたら良いのか、効率的学習ができて皆がしゃべれるようになるのか。アレコレあれこれ考える。努力も意思決定も要らなくなる社会を前に、自分の過去は否定しにくく、賛美したくなるもの。。。

「素敵なリーダー」: 人間の試練か。人間と人間の意思疎通・関係構築への、言語の壁という難易度の高さ、それを超える努力と喜びへの、それを不要とする大いなる挑戦が目の前に。あるいは、技術のお陰で、教育が進化し、日本でもほとんどの人が英語をしゃべれる時代になるのか。でも、もう少し時間がかかるかな。数年ぐらい?

ChatGPTに尋ねると、他の言語を学ぶメリットを多々、提示してくれます。今のところ、でしょうか。ま、それは世の中がそういう文献をデジタル化して保存しているから当然ですね。真新しい発見は無い。

個人的には、英語を学ぶのは、リーダーなら、国内で事業運営していても、良いような気がします。人口が急激に減る日本をいつかは飛び出さないとならないときが来るかもですしね。あ、でも、その頃は自動翻訳機が完璧になっているか。。。ま、他の言語をしゃべれる、嗜むのは素敵なことですね。

こんな素敵なリーダーになりたいですね。


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