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悩む選択 v2-44:失敗したら厳しく怒って。それが免罪符 vs やさしく許して、解決に注力して

家庭、職場で、人生、悩ましい二者択一、二律背反、二項対立ってあります。「ANDの才能」を発揮し、2つを両立させられるといいですね。でも、どっちかを取らないといけない時にどうするか。その結果、自分が形成され、人生が変わっていきますね。

ボクともぐらさん、会社の仲間。やさしいひとになり、そうあり続け、やさしいリーダーになり、組織を強くする、という夢を持つ。やさしさを学べる絵本「ぼくモグラキツネ馬」から互いをあだ名付け。組織での二者択一の場面で、やさしくあるのはどちらかを、考えている今日この頃。

今日の悩み:

A.ミス・失敗した時は厳しく怒って欲しい(怒鳴ってもいいよ)。それで帳消し気分。免罪符。怒られないとなんか割り切れないし、ずっと背負いそうで嫌だ。

B.ミス、失敗した時も、怒られず、理解・許容され、原因究明・解決にやさしく指導されたい。で、再チャレンジに導いて欲しい。

エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を読んでます。ルッターの宗教改革の話の中で、免罪符について:

「免罪符を買う習慣は、中世後期にますます重要な役割を演じ、ルッターの主要な攻撃の的となった ~ 法皇の密使から免罪符を買うことによって、~ 人間はすべての罪から許されると期待できるだけの理由をもった~。 一見したところ、煉獄の罪のゆるしを法王から買うというこの行為は、人間は救われるためにみずから努力しなければならないという考えと矛盾するように思われる。~しかし~、一方この行為が、希望と安定の精神をもっていることも確かである。もし人間が、それほどたやすく自己を制裁から解放することができるならば、罪の重荷は非常に軽くなる」。

つまり、単純化すると、何かミスっても、免罪符を買えば、それでOK、許されたぁ。ってこと。気が楽です。ちゃらですね。プラスマイナスゼロです。公式に許されたことになります。

前職で、会社を先輩と作って9年ほど、先輩が社長で、ボクは取締役として現場仕切っていたのです。で:

社員のミスを怒鳴らず怒らず許す方針。もちろん、意図的な法令違反や仲間を陥れるような悪質でなければですが、そもそもそんな悪質なことをする仲間はいない。原因を特定し、再発しないよう仕組み化し、再度やってもらい、ミスしないことを確認し、今後も気にせず色々挑戦することを鼓舞。許容、指導、学び、仕組み化、挑戦、をキーワードにしていた。

ひとは誰でもミスをする。自分もミスる。が、自分には怒る上役はいない。自分だけが怒る・怒鳴る権利を持つのが嫌だった。それに、怒るとチャレンジしない社員ができあがり、ミスを隠す社員ができあがり、組織にとってマイナスで、これらを回避したいと思っていたので。

ただ、「怒ってください。自分にも他の社員にも」という社員が一定数いた。おそらくどこにでもいる、と思う。

これ「免罪符」なのです。「免罪符思考」です。怒られて、怒鳴られて、それでちゃら。自分の「あぁミスしてしまったぁ・・・」という心の穴を怒られたという事実で塞いで、元通りにしたい。他人のミスも、批判したい気持ちが正直でてくる。自分が迷惑を被ったりしたら、特に。だから怒られている姿を見たい。あるいは怒られたな、という気になりたい。それで許す。

自分というより誰かを怒って欲しいマインドの方が強く、ただ平等的に自分がミスしたら怒られることはしょうがない、というひともいます。

上司が怒るなら自分も部下を怒れる。怒ることでストレス解消できる、というマインドの方もいます。

だから、とにかく怒られないと困るのです。でないと、ミスした申し訳無さだけが残る・仲間に迷惑かけただけが残る。仲間からの慰めも得られない。やさしく許され、気にするな、と言われて(それでも気にする)、誰でもミスするさ、って言われて(そんなことわかっているよ)、解決策も一緒に考えてくれて、改善されて。つまり、自分の貢献が無く、申し訳無さだけが残り、自分の存在意義がまったくない。仲間に対しても「迷惑かけた。のに許されただけ」という弱っちい自分だけが残る。上司の怒鳴り・怒りに耐えた、謝罪に徹した強い自分はいない。「そんなに怒らなくてもいいのにね」って慰めてくれる仲間もいない。。。

だから、怒って欲しい、怒鳴って欲しい。帰りに居酒屋寄って、酒飲んで、「こんなことで怒鳴るんだぜー、あいつ!」って、仲間と愚痴るネタももらえて、整理したい。

程度の差はあっても、この思想はひとにはある、と思うのです。”提供する”側の、ボクは怒りたくない。”受け取る”側は怒って欲しい。提供するボクは、やさしいリーダーシップを発揮し、隠し事に包まれた裸の王様リーダーになることを回避し、ミスを恐れない挑戦を継続させ、助け合いの組織をつくりたい。一方で、受け取る側は怒って欲しい。

1.自分の心の整理のために
2.自分も部下などに怒る権利を得るために
3.ミスした仲間が怒られている姿を眺めて、せいせいするために。

もちろん、逆に、怒られることが嫌いなひともいます。こっちの方が多い気はします。。。

いずれの性格も理解します。で、ボクの好きな考えは、どっちが社内に多くても、ミス・失敗をやさしく許容することを貫きたいのです。結果として社内の輪が乱れても、助け合いのマインドが薄れるという本末転倒が起きても、「やさしさ」を貫きます。すぐに理解しない仲間がいるかもしれないし、怒られる方を選択したい仲間もいるでしょうが、どうにか説明して理解促進したいと思います。

ボクはこっちの方が、心が「強い」と思うからです。で、ボクの会社に集まってくれた仲間には、ボクが勝手に思う、この心の「強さ」を持って欲しいのです。

ミスした仲間が怒られている姿を見て、せいせいするような低レベルではない。自分もミスをする。のだから、仲間のミスに怒らず、許し、助けることに一生懸命になり、仲間の将来の挑戦マインドをくじかせない。これが「強い」心。

自分のミスも受け入れる。上司に怒られることに耐えてプラマイゼロなんて安易な弱い解決に逃げない。こんなことで腐らず、解決して、再発防止して、次も挑戦する。今後も失敗することあるさ、ひとは完璧じゃない、ただ、仲間のためにも会社のビジョンのためにも自分の成長のためにも挑戦続ける「強い」心を持つ。

本当の「免罪符」は、「怒られることに耐えること」ではなく、「解決+再発防止+挑戦継続」だと思う。

「はぁ」
「どうしたのため息ばかりで」
「ミスしちゃったんだ。結構大きな。。。」
「えええ、たくさん怒られたの? 迷惑みんなにかけたの? クビとか?」
「いや、怒らないポリシーなんだ。うちの会社。。。ミスはみんなするさ。気にするな、って感じ。怒らず、皆で解決して、再発されない仕組みができたんだけど。どうしてあんな失敗しちゃったかなぁ。」
「えええ、ステキな会社じゃない。そしたら、逆の立場のときは一生懸命に仲間を助けないとね。それにみんなに助けてもらって解決したなら、感謝を忘れず、でも失敗はもう忘れて、次に向かったら。ため息はもう要らないんじゃない!そんなステキな会社にいて幸せじゃないの。」

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