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ボクともぐらと 69_ノーブレス・オブリージュ。やさしいリーダーが職場でできること

ボクともぐらさんはやさしい人になることが夢、そうあり続けることが夢、やさしいリーダーになり、組織を強く導くことが夢。やさしさの強さを謳う「ぼくモグラキツネ馬」という絵本に共感、勇気をもらう。この絵本の話から共通の夢を持つことを偶然に知り、互いの夢を約束したのが、同僚のもぐらさん。夢への気づき・学びの徒然草。

突然ですが、ノーブレス・オブリージュ。好きな言葉です。フランス語です。フランス語、ぜんぜん全くダメです。この言葉の生まれた背景や西欧全般で使われているそうですが、本当の本当の意味を理解しているかはわかりません。でも、好きです。

フランス語で馴染みがないこともあり、なんだか気品、気高さ、誠実さ、そして、何か強い信念の響き、を感じます。ボクが読んできた本でこの言葉が形容している状況が、そう思わせているようです。類似の言葉は日本語や英語などにもあるのでしょうが、このカタカナ、なんだか好きです。

この言葉、本を読んでると結構登場しますです。

積んであった医療関係の雑誌をパラパラすると、「コロナ忌避のため対応不可とする医療機関が4割にも5割にも及ぶと指摘されているが、医療機関の医師にはノーブレスオブリージュの精神を思い起こしてほしいものである。」とあったです。

本棚から落ちていたヴェネツィア(ベニス)に関する本をパラパラすると「その貴族には、国の政治に参加できる特権以外、租税上の特権などはほとんどなかった。まさに「ノブレス・オブリージュ」という表現が相応しく、その姿は、かのモンテスキューが名著「法の精神」の中で「節制の精神」の模範と絶賛したほどだ。」とあったです。

高貴なひとに紐付く義務、ってな感じでしょうか。たまたま生まれてしまったところが貴族的家庭だったり、お金持ちだったり、自分の努力、および、あるいは、とても賢く生まれた結果、成功した人々が、地球のため、社会のため、周囲の精神的に豊かな生活のために、ビジネスとは違うところで貢献すべき(あなたにはそういう義務、責務があるのよ)、ってことかしら。

先の例では、医師や政治、国を作るひとの義務を果たすことへの言及でしたが、現代的により広く慈善活動、寄付みたいなことかしら。企業の寄付的、社会貢献的活動ではなくて、人に紐付く行動ですね。

昔、アメリカの会社に勤めていた時には、TOPや上の方が来日する度に、飛行機の中で見て面白い映画あったか?と、最近のアメリカでのノーブレス・オブリージュは何?を決まって尋ねていた。芸術へのサポートや貧困支援から、ある時から地球環境問題への対応に変わったのを覚えているです。

人生本当に全てが自分だけの力なんてありえない。運や支えに感謝です。だから、ノーブレス・オブリージュを果たすのでしょうね。

ボクも果たしてみたいです。憧れですね。もちろんこんなノーブルな立場でも地位でも階級でも成功者でもなんでも無いですから。なれたらいいな。そしたらオブリージュ果たしたいな、なんて空想です。

でも、ふと思うのです。ボクの想うやさしいリーダーが率いる組織では、やさしいリーダーはまさに、このノーブレス・オブリージュ”的な”を果たしていくのだと。社会とか地球とか、そんなおっきな対象じゃないけど、組織の中で仲間に対して。

自分の夢、ビジョンを実現させたくて行動を開始し、独力での限界から、仲間を集い、結果、リーダーとなる。夢、ビジョンの実現という大義のために仲間に行動を共にしてもらうためには、人格あるリーダーでなければならない。ボクともぐらさんが目指す「やさしいリーダー」です。

夢、ビジョンのために参加してくれた仲間に感謝し、同時に仲間の個々の目指したい成長の実現をサポートする。職場でできることもあれば、職場外での挑戦が必要なこともある。やさしいリーダーはそれを支える。

また、やさしいリーダーは仲間に集中しているから、仲間の悩みや課題に気づき、共感し、解決に共に尽力する。仕事と直接関係無い、かもしれない。でも、仲間だもの。解決したい。なお、自分のことだけ、自分の夢だけ、自分の給料だけを考えているようなひとは仲間の悩みに気づけない(=こういうケースはリーダーとは呼ばないけど)

聖書にある「善きサマリヤ人(びと)」の話をまた本をパラパラしていたら見つけた。「殴られて身ぐるみはがされて道ばたに倒れ苦しんでいる旅人を見かけたときに足をとめて助けた人の話だ。その旅人の姿を見た人はほかにも二人いたが、その二人は自分の身に降りかかる危険を案じて、道路の反対側に渡り、通り過ぎてしまった」(「フォーカス」ダニエル・ゴールマン著 日本経済新聞社出版)。

「ここで足を止めてこの男を助けたら、自分の身に何が起こるだろう?」
VS
「もしわたしが足を止めてこの男を助けなかったら、この男の身に何が起こるだろう?」

他者を見て、集中して注意深く見て、相手の波長に合わせ、共感できるか。自分本位か他人本位か。利己主義か利他主義か。”やさしい”リーダーは「この男」(仲間)を助ける、そうあって欲しい。そうありたい。

これって、ノーブレス・オブリージュじゃないかしら。リーダーの、やさしいリーダーの、仲間へのオブリージュ(責務)です。

物理的に体をつかって汗かいて助けることも、知的で誠実なアドバイスをすることも、単に笑って励ますことも、一緒に泣いてあげることも、仲間の波長にあわせて。

ボクは、高貴なひとや成功者、社会的な地位、立場は、無理そうだけど、やさしいリーダーになることが夢なんだから、いつかなる、と信じ、希望を持っている。だから、そうなれたら、ノーブレス・オブリージュ会社版、ができそうです。ボクともぐらさんの夢がもたらす小さくて大きな目標です。

あれ、逆か。仲間のために、ノーブレス・オブリージュ会社版をすることが、やさしいリーダーになっていくのですね。

最後はいつも「ぼくモグラキツネ馬」より:

「”オイラはとってもちいさい” モグラがいった。”そうだね” ぼくはモグラをだきあげた。”でもきみがいると 世界はでっかくかわる”」

「”ふりおとされても、わたしがたすけるからだいじょうぶ”」

「”この世界には きみにしかできないことがある”」


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