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ボクともぐらと 66_覚悟って?まだ人生で1回も無い。やさしいリーダーの覚悟とは。

ボクともぐらさんは会社の同僚。2人はやさしいひとになることが夢。「ぼくモグラキツネ馬」(絵本)が大好きで、やさしさの強さを教えてもらい、やさしくあるには精神的な強さが必要と確認し、やさしさの力を信じる。会社ではやさしいリーダーになろうと互いに約束し、気づき・学びを語り合いながら一歩一歩、日々進んでいる。その徒然草。

もぐらさんはボクのデスク(と言ってもフリーアドレスというかシェアオフィスでどこにでも居れる)に来ると、「のっくのっく」と声をかけて、元気な挨拶をしてくれて、上から目線でボクをちょっといじってから、本題に入る。でも、そのもぐらさんも転職なので、もうオフィスでは出会えない。

全ての出会いは別れの始まり。常に別れの途中。ひとはいずれ別れますね。「のっくのっく」は、さようなら、です。寂しいな。でも、今の時代、いつでも出会えますね。画面越しで。便利な世の中に感謝!世の中、10年後には、画面越しでしか会わなくなるかもですね。そして会っていなくても触れられると感じられる時代になるかもですね。技術革新の恐ろしさ・便利さ。大学時代の3枚目のカッコ悪い(?)先輩の口癖が、「オレは持てるからな。見つめるだけで妊娠させてしまうんだよ!」。こんなことが現実になるかもです。

今日は、もぐらさんが、転職活動中の相談の中からひとつ。「転職先候補で、悪くないのですが、うちに来る「覚悟」はありますか? って聞かれたんです。むむむ、「覚悟」???面接中には、はい!がんばりたいです!って言ったのですが、「覚悟」ってなんだ?と違和感が。ボクさん、どう思いますか?「覚悟」って。。。」

「覚悟」。人が使う言葉は、一般的というのか多くの人がだいたい同じ意味で認識するから、会話になりますね。でも、こういう抽象的な言葉は時にすれ違いますね。ボクの定義が正しいとは思いませんが:

「覚悟」とは、何か一生に1回か2回のことで、生死も絡むような、何かのGOODのために、自分を犠牲にして、困難を受け入れる、時に使うようなような・・・。で、ボクは、人生でまだ一回も「覚悟」したことがない。ぬるま湯なのか、ラッキーなのか。

人生節目の意思決定はもちろんあったのですが、でも、「覚悟」はしていない。学校をどこにするとか、結婚したり、留学したりとか、何度か転職したし、会社もゼロからスタートしてみたし、1億円の買い物も?。くだらない話だと、中近東にお酒を持ち込んだし、絡まれて道端でケンカもしたし(ボコボコにされたけど)、海外で海遊びしていて判断ミスで2回死にそうになったし(でも、死ぬ「覚悟」はせず、冷静に!って自分に言い聞かせたです)。母のガン治療で副作用が高リスクのある薬を処方するか選択を突きつけられたこともあった。まさに「覚悟」だけど、選択し「覚悟」したのは母(結局、副作用で亡くなった)。自分で「覚悟」した意識はない。

人生でいろんな「覚悟」をした方々も、もちろんいっらしゃる。だから、ボクはラッキーにも「覚悟」不要で生きて来たのかな。

話を戻し、転職で「うちに来る覚悟はあるか?」と問われる。どんな会社なんだろう。もぐらさん同様、ボクもなんか違和感がある。転職って、「新しい仲間と、新たに共感したビジョン・想いの実現に向けて、そこでの自分の成長も探しながら、新しい職場で挑戦する」こと。だから、前向きな、楽しいことのはず。もちろん不安はある。仲間も、社内の雰囲気も、本当に自分が貢献・活躍できるかも”未知”だから。未知は不安に感じがち。でもでも、前向きなことのはず。

「ぜひ、うちに来て一緒にビジョン・想いの実現を目指しませんか!」という問いではダメなのだろうか。「覚悟」を求めるのはなぜだろう。単に本気度を確認する気軽な質問なのかな。。。

「覚悟」って、まるで「困難しかないイバラの道」が思い浮かぶ。もしかしたら、新しい職場は寝る暇も無く、知力・体力も限界まで使って死ぬほど大変かもしれない。だとしても、その先のビジョン・想いが実現されることに共感しての参加であれば、わくわくする話で、やっぱり「覚悟」ではないような。

「こういう点が色々大変です。本当に大変なんです。大変なことを隠すつもりはないです。でも、こういう喜びがあって、あういう楽しみがあって、世の中にこう貢献できて。だから達成感や幸せを感じられます。だから、うちに来ませんか。助け合いながら一緒にやりましょうよ」、ではダメなのだろうか。困難の先に素敵な光がある場合、転職はそうだと思うのだけど、それは「覚悟」がいることなのだろうか。「覚悟」という言葉が使われる場合は、素敵な光は見えていなかったり???

ま、そんな深いことではなくて、転職活動しているひとの「本気度」を単に聞いただけなんだろうけど。

いずれにせよ、繰り返すと、ボクが思う「覚悟」という言葉の意味が違っているかもしれないけど、人生で「覚悟」をしたことがない。イバラの道を感じない鈍感なのか、未来は明るいと常に楽観的なのか、ありがたいことにイバラの道が無かったのか、いつもイバラが来ると自分から逃げていたのか。

とにかく今までは無かった。けど、誰かの役に立つために、自分がイバラの道を進む、その行動を「覚悟」したいと思った。人生で1、2回しか無い気がするそんな大切な瞬間に、逃げずに「覚悟」したい。

やさしいリーダーは仲間のために「覚悟」する。やさしいリーダーが、その強さを、やさしさを発揮すべき、まさにその時。一緒にいる仲間のためと思えば、怖がらずに「覚悟」できる。仲間のために、利他のために、リーダーが自ら定義したビジョン・夢・想いのために、希望の将来のために、「覚悟」する。

まだまだ、真のやさしいリーダーにはほど遠い。「覚悟」する機会が無いのだから、それほど揉まれていない、ということかな。もぐらさん、これからも一緒に、やさしいリーダーを目指して歩んでいこう。「覚悟」をしないといけない、その瞬間を楽しみにしながら!

最後はいつも「ぼくモグラキツネ馬」より:

「”みな、なにがをこわがっている” 馬がいった。”でもいっしょなら、こわくなくなる”」

「”くらい雲がきても・・・前にすすむんだ”」

「”じぶんではどうにもならないと感じたときは・・・目の前にある大切なものをじっとみつめる”」

「”なにかがおきたときにどうふるまうか。それこそが、オイラたちにあたえられているさいこうのじゆうってもんさ”」

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