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「やり手」と評されるひと。なんか胡散臭い。けど、避けずに近づくべき

「やり手」について:

今日、「あのひと、やり手、なんですよ」と、お客様が、そのお客様のお客さんのことを形容していた。あまり近寄りたくないのですけどね。。。って雰囲気で。

ボクは「そうなんですね!ぜひ、紹介してください!」と依頼。返事は「あ、そうですね、今度、機会がありましたらね。。。」

さて、ボクは「やり手」なんてひとは存在しないと思っていて、でも、一方で「やり手」と評されるひとがいたら、是非、仲良くなりたい、と思うのです。

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”やり手”: 
自信があって、賢く、先が読め、ひとを巧みにコントロールし、ちょっと高圧的で、主張的で、裏で手を回し汚い手も使うが、それが表面にでず、大きな何かを、スマートに、エレガントに、格好よく、大きな壁も乗り越えてやってのける。そんなニュアンス(ボクだけかも?)。

自信があって、賢いかもしれないけど、将来に不安を感じながら、夢を信じて、仲間を大切に、チームワークを育てて、優しく誠実で、大きな何かを、一生懸命に、壁にぶつかりながら苦悩しながら、やりとげる、というニュアンスではない(気がする)。

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で、こんな定義が「やり手」さんならば、そんなひとはいない、と思うのです。映画やドラマ、アニメの世界では描けるだろうけど、現実的にはいない、と。

というのも、賢くても、自信があっても、何かを簡単にやってのけるなんて、実世界ではありえない、と思うからなのです。

そして、何か大きなことをやり遂げるなんて独りでは当然無理だし、大きな夢を目指すほど助けが必要になると、すぐわかります。ならば、感謝の気持ちが前に出て、高圧的で、裏で手を回して、ひとをコントロールするなんて、できないし、したくもなくなります。

同じく、先が読め、なんでもスマートに、エレガントに格好よくなんてありえない。先は読めないし、泥臭く、愚直にやらないと、できないものですから。

と、そう思うのです。

カッコいいアイドルだって、バンドだって、スポーツ選手だって、大変な努力がある。でも、それを見せないもの。見えないもの。それと同じかなと。

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なので、「やり手」と評される(評したくなる)ひとがもしいたら、胡散臭さを感じずに、ぜひ、知り合いになって、色々話をしてみるといいかもですね。何かを裏で「がんばっている」もの。その「結果」の姿は別にして、そこに至る「プロセス」から学べるかもですし、自分とそんなに変わらないかも、と自信をもらえるかもしれません。そう思ったりします。なかなか身近にいない「やり手」ですから、出会えたら、その偶然は何かを意味しているかもですものね。



読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_38)


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