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悩む選択 v2-5:自分で決める人生後悔ばかり。誰か決めて!

ボクともぐらさんは、昔、会社の同僚で、共通の夢を持つ。やさしいひとになり、そう有り続け、やさしいリーダーになり、組織をやさしさで強くする、という夢。互いにそこに近づくことを約束。やさしさの強さを謳う「ぼくモグラキツネ馬」(絵本)が好きで、「やさしいひとになる」なんて夢は恥ずかしくて言えなかったけど、この絵本をきっかけに、夢の話を恐る恐るしたら2人が同じ夢だったことに気づく。勇気をもらったこの絵本を日々読み返しては、やさしさの強さを学んでいる。

やさしく強くあるためにも自分の判断には責任を持ち、仮に望んでいる状態に至らなくても(失敗という言葉は好きじゃない)、後悔せず・ぐちを言わずその解決に前向きに取り組みたい。

けど、決めがたい選択肢や、後悔すること普通にありますね。。。

今日の悩み:

A.自分の将来は自分で決めよう。後悔しないように。自己責任で決めていくべきだ

B.いえいえ、自分で決めても後悔だらけ。自分に辛くなる。それに決める力がない時も。他人のせいというわけではないが、誰かに決めてもらいその中で努力する人生でいい

ボクは大学卒業してからいわゆる大企業でサラリーマンしていた。結婚して家を買った先輩が来月からブラジルね。子どもが私立の小学校に入学できたと思えば来月から米国の子会社出向ね。上司に嫌われ(?)、日本に戻れずイギリスから来月からベネズエラね。

こういう場合は、自分の将来は自分で決めているのだろうか。この会社に入ると言う最初は自分で決めて(選択肢がなかったにしても)、後は上司や人事部が決める道を行く。その中で努力し、評価してもらう。自分の思いばかりを皆が主張していたら組織にならない。右向け右の世界。

でも、会社を辞める選択はとらず、また、人事評価が下がるリスクをとって、嫌だ嫌だとベネズエラ転勤を拒む、という選択はとっていない、という意味で、自ら意思決定をしている、とも言える。

家族が強く強く反対したから、米国の子会社行きはやめて、転職した。家族のためだ。家族の誘導があった、家族のためを思って、だけど、自分で決めている、と言える。

家族や子ども、仲間や後輩が、相談をしてきた。「2つの道でどちらか迷っています。アドバイスお願いします」。「今、このひとと結婚した方が良いか。」、「今、A社に転職したほうが良いか」、とか。「どっちがより良い?どうしたら良いと思う?」。

その結婚相手にも、そのひとが結婚した後の生活にも、既存の会社にも、転職先にも、利害関係が無いのであれば、どっちとも推薦せずに「答えは自分の中に実はもうあるでしょ?!他人や周囲は気にせず、自分の正直な気持ちで行くべきだよ。じゃないと後悔するよ。」とニュートラルに伝えられる。

同じく利害関係が無い場合に、「申し訳ないけど、客観的にはXXな理由で結婚しないほうがよいよ。」とか、「●●な理由で転職したほうがよいよ。」とか一方を推奨する意見もできる。

利害関係があるなら、自然にどちらかを推奨する。とにかく、他人は、利害関係や立場や、思考力も左右して、色々言える。

でも、「そしたら、やっぱり結婚しないよ。」とか、「よし、転職するよ。」とか、誰かの意見に引っ張られたとしても、最後は、最後は、結局、自分で決めている。。。

で、うだうだ書いちゃったんだけど、つまり、結局は、現実的には、突き詰めると「自分で決めている以外は無い」、のではないかと思うのです。本当は違う道を望む、と言いながら、自分でこっちを選択。会社からミャンマーに行って、と言われたから行ったとしても。結婚してと言われてしょうがないなと思って結婚しても。違う道に絶対に固執するほどではないので、しょうがなくても、結局、自分で決めている。ちなみに、戦争などの悲しい出来事がもたらず非情なる強制ごとはここでは除かせてもらいます。

だから、実体は自分で決めている、との定義が可能だと思うの。どうだろう。そうじゃないかしら。思考不足かな。だから、自分で決めたのだけど、誰かの指示やアドバイスを受けたら、他人に誘導してもらったようにあえて定義し、他人のせいにし、心を落ち着かせているのじゃないかしら。本当は自分で判断しているけど。

だから、だから、そうであれば、こうあるので良くないかしら:

・ボクは自分で決めて人生を歩む。
・今までも自分で決めて来た。
・色んな意見をもちろん参考にする。だけど、自分で判断した。
・大切な人の思いを優先することもあった。でも、自分で意思決定した。
・将来は読み切れない。後悔いっぱい。辛いことも。でも自分で決めた。
・これからも自分で決める。
・でも、何があっても自分を攻めはしない。自分は自分が一番大切にする。

「自分で決めてきたんだ」と定義すると、当然だけど二律背反なので、「他人のせい」にできなくなる。まったく同じ人間なんだけど、「自分で決めてきた」と自分に言い聞かせると、自己責任の強い、頼りになる、魅力的なひとに様変わり、する、と思うの。どうかな?あ、こっそり心の中で「本当は嫌だったんだけど、会社がアメリカに行けというから、しぶしぶだよ。。。全くこの不幸は会社のせいだな。」なんて他責にして心が楽になるならそう思うのは自由!自分にはやさしくすべき。自分のことは常に許して、たくさん自分を可愛がって。でも、こんな発言はこっそりね。

ボクは、友人が起業した会社で働いたことがある。小さな会社で”これから”、だから給料は半分しは払えない、けど助けて、って。が、入ってみてその人の経営スタイルはボクとは真逆。オーノー!。反面教師として学びはあった。ボクのスタイルの”正しさ”を再確認できた、とも言える。で、辞めちゃった。

「あいつのせいでお前のこの数年は無駄だったな。全くな。」と共通の知り合いに言われた。

で、これに反論した。まるで他人がボクの人生を操っているような言われ方が好きじゃなくて。「ボクの人生はボクが決めて歩んでる」。「誘われたけど入社はボクが決めた。すぐに辞めない選択もボクが決めた。今後付き合わないこともボクが決めた。翻弄されてなんかいない。自己責任。ボクの道はボクが決めて歩んでいるよ」って。

「でも、事実は事実じゃん。まともな経営だったら、こんな状態じゃないでしょ?」って。「それは過去を振り返ってわかること。将来を決める時は自分で決めた。ボクが自分で決めたんだ。自己責任なんだ。他人のせいにしない。後悔もないよ。ぜんぜん気にしないもの。学びたくさんだったよ」と。

そう、だから、結局、何でも自分で決めている、のだから、「よし、自分で決めているんだ」って思って、言い聞かせて。そしたら、強く生きているように思えて、自尊心も増して、自己肯定感も増さないかしら。周囲からもステキー!みたいな。

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