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ボクともぐらと 95_普段から最大パフォーマンスを!

ボクはボク。もぐらさんはもぐらさん。会社の同僚で、同じ夢を持つ。やさしいひとになり、あり続け、強い心が作るやさしさを持つリーダーとなり、組織をやさしさで強くすること。「ぼくモグラキツネ馬」(絵本)から互いを命名し、やさしさの強さを再確認し、日々ページをめくりながら自分のものに。組織が必要とするやさしさの強さの学び・気づきの徒然草。

今日は転職をするもぐらさんに付き添ってリハビリ専門のお医者さんにご挨拶。色んな話をしている中で、高齢者の健康、運動機能の維持、筋肉の話になった。本ドクターのご専門。

で、高齢者は、時に、自分の手と手でパーとグーで強く瞬発的にパンチするとか、ラジオ体操であっても本気で腕を素早く大きく動かすとか、ジャンプも高くするとか、シャドーボクシングするとか、「最大パフォーマンス」を発揮する必要がある、とのご意見。体が不自由になったり、こういう動きが怖くなる前からやっておくべき、とのこと。

自分ができる範囲でおさまっているならば、それは筋肉に効果が薄い。だんだん、その範囲しかできなくなり、弱くなっていく。最大状況(最大という言葉が適切かはわからないが)というのか最高状態に至れる体、筋肉を維持するためにも、「最大パフォーマンス」の瞬発力を発揮すべき。

ボクの表現が医学的?には適切ではないかもしれないが、要は、無理をすべき、自分をいためべき、ただ、高齢者だから瞬発的に、ということと理解。

アスリートは日々鍛えるだろうし、ジム通いの方や日々運動されている方は問題無いのだろうが、ボクは運動習慣が無い。だから、毎朝、会社最寄駅の地下鉄の深い階段を(だれも階段は使わない、エスカレーターを使う、とても深いから)一段抜かしで、ダッシュしている。ゆっくりではなくダッシュ。降りる際は、3段上から飛び降りる。電車に間に合わなそうな時は、あえて走って乗れるか挑戦(車掌さん迷惑?かも)。

要はこういうことと理解し、この先生の話を受けてから実施している。習慣として。

ある時、仲間が数人に対するプレゼンを、ボクからしたら、一生懸命でなく、準備もテキトーに、こなしていた。やさしいリーダーはこういうことこそ嫌い。数人だからと手を抜く。ダメ。指摘してみたの。

ボクには手を抜いているように見えたの。ボクはそれが嫌いで、なんか悲しかったこと、でも、理由があるかもだし、本人はそうは思っていないかもだし、仲間の自己評価や手抜きの理由を対話した。

小規模だから、これぐらいでいいかな、と思った。本番というか、数百人のときはもっとちゃんとやる、とのこと。

なんで地震や火災想定の避難訓練をするのか?危険を感じると人間の体は無意識に硬直して動けなくなる方向になるから、それを避けるため、であり、知識として逃げる方法や避難経路を知っている方が効率的であり、確実性が高まるから。本番だけではリスキーだから。映画のように切り抜けることなんて難しい。脚本はないんだもの。

少人数向けのプレゼンが高パフォーマンスでできるかがわからないのに、どうして大規模向けで、自分の本領が問題無く発揮される、とわかるのだろうか。プレゼン慣れしていて、どんな観衆の前でも、任せてね、みたいなTEDスピーカーなら話は別だけど。

準備こそが大切。そして、準備の時にも、テキトーにやらず「最大パフォーマンス」で臨む。また、日々の業務での小さな役割においても「最大パフォーマンス」を発揮する。でないと、慣れないし、指摘を受けられないし、学びがないし、成長しない。

やさしいリーダーは手抜きを見逃さない。仲間の改善、成長を目指しているから。指摘し、自分の感情を伝え、相手の思いを確認し、どうすべきかを対話し、自らの次どうするかを考え、決めてもらい、感謝する。次は大丈夫だね、と信じる。

毎回毎回ベストばかりを求めると、そりゃー疲れてしまうよ。緊張ではりつめっぱなしで、耐えられないかも。この意見もわかる。だから、自分の夢に近づくこと、成長したいこと、目標にしたいこと、にフォーカスして、日々、「最大パフォーマンス」を頑張ってみる。これでどうだろうか。

とにかく、何かの時、危機の時、重大な時、にだけ、力を発揮する、と思って、日々、力を抜いていると、そんな時に力を発揮できるわけがない。

毎日が、日々が、習慣が、準備が、大切ですね。普段から「最大パフォーマンス」!

先生への挨拶の後、もぐらさんと2人で、次の会議が迫っていたため、地下鉄の駅まで、夏の暑い中、猛ダッシュ。もつれそうになりながら、最大パフォーマンス。もぐらさんの転職前の最後の日に良い思い出。


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