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リーダーになったらハイドに陥らないよう気をつけよう(ベターアイデア? v3-71)

WEB会議をオフィスで。会議室を使わずオープンスペースで。アイム君が近くにいた。職場の仲間。

会議が終ったらアイム君が、ボクの会議中の「はい」、「はい」、「わかりました」の言い方を捉えて「ボクさんが新入社員かと思いました。普段と違いますねー。はきはきして、なんか、声も大きめで、素直な雰囲気でしたよ。」

新入社員?!?!確かに、年上の、株主でもある会社の、ま、気を遣う相手から、ちょっとした間違いを指摘されたので、平身低頭を装った、からかもしれません。新入社員と評価されるとは思わなかったけど、ま、ボクの意図した”演技”が伝わったということで狙い通りだった、とも言える。アイム君はボクの近くにはいたけど別の方を向いていたので、ボクの顔や服装など(=おじさんくさい)は視界に入っておらず、声だけだったので、なおさら、新入社員に聞こえたのだろう。

「あら、新入社員だった??? あ、でも新入社員の時の方が、自信があって、怖い物知らずで偉そうだったかも。本来の新入社員を今更って感じかな。年取って、柔軟になったかな。しかし、社内と社外とお客様の役職とかでころころ変わるよね。どれが本当の自分かわからない。。。」

「どれも自分なのですよ。」とアイム君。

「最近の科学では、自分も無いらしいよ。自分が思い行動する前に、脳が何か電気信号なのか、遺伝子なのか、決まっているらしいよ。」とボク。

「それでも、自分は自分ですよ。他人ではない自分。」とアイム君。

経営者は多重人格であるべきだ(多重人格になる。それを有効活用すべし)、とか、非情じゃないとやっていけない、とか、もはや現代では機能しないと思われるが、こういう考えのひとは一部、今でもいる。そう思っていなくても、社長という肩書きになった瞬間から、こういう要素を大いに見せ出すひとがいる。隠れていた暴力的な快感、キツい指示命令が効果的であることを見つけて(勘違いして)、それに心地良さを感じて、権力と共に、発揮し出す。。。

でも、ジキル博士がハイドに変身することを楽しめたのは、つまり、道徳から解放された自由、暴力、思いのままを楽しめたのは、束の間。制御できなくなって、勝手にハイドが現れるようになる。自分で自分がコントロールできなくなっていることを悟り、最後は、自ら命を断つ。同じように、多重人格だったり、非情になったら、組織は終ってしまう。これがボクの考えだ。ベンチャーの創業者が、ちょっとでも上手く行き出したら、それを自分のチカラと勘違いし、地道な愚直な継続努力を怠り、社員への感謝を忘れ、組織がついてこなくなる。最後は病気にでもなって逃げ出さざるを得ない、なんて話はこれと同じだ。

そういうボクも柔軟に、あっちではこんなボク、こっちではこんなボクになっている。自分でも演技しているからわかる。でも、相手にとって「間違っている」可能性はあるけど、それが相手にとって心地良いかな、その場にベターな状態かな、と思ってやっている。

でも、多重人格ではないのです。多重ではないのです。結果はいざしらず、相手にとってボクが思う正しい方向に進んで欲しいを前提に、ボクがどういう役割・演技をしたら、それが促進されるかな、を思ってのことで、つまり、一貫しているつもりなのです。多重ではない。ジキルとハイドではないし、くだらない非情マインドでもないのです。

今日のベターアイデア:
会社・組織のリーダーであるならば、昔言われたような多重人格、非情は効果的ではない、と肝に銘じるべき。相手に応じて声や発言内容や行動の柔軟性は必要だと思うけど(演技)、多重ではない。利他主義の一貫性があれば。利他主義はリーダーだからこそ必要だ。社員やお客様のために自分がある。TOPになって、リーダーになって、もてはやされて、権威・権力を持ったなら、ハイドにならないよう注意しよう。ハイドになるのはラク、楽しいからね。利他主義であることの方が難しいのだから、容易にハイドに落ちてしまう。。。

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