生まれた時からマイノリティではなかった話をします


どうも、えいみです。

以前、「身体は女性でも心も女性という自覚はありません」という話を少ししました。
今日はその事について、もう少しお話させて下さい。


女の人を好きだと思ったのは大学生の時。ある授業で、それまで顔も名前も知らなかった後輩の女の子と授業でペアになったのがきっかけです。
その子と8ページの本を仕上げるのが、課題でした。
今でも忘れられない程好きですが、想いを伝えられぬまま私は卒業をしました。

柔らかい微笑みや、少し色素の薄い猫っ毛な髪の毛を思い出しては今でも元気にしているだろうか、仕事は何をしているのだろうか、絵を描く仕事をするという夢を叶えているのだろうか、いろんなことを考えてしまう。

こんな風に、バイセクシャルになったきっかけの恋ははっきりと覚えています。

でも、心がいつから女性としての自覚を持たなくなったのかは分からないんです。
ほんと人間て曖昧。

高校生の頃から、私の周りにはLGBT(Q以降割愛)フレンドがいました。ほんとはもっと前からいたのかも知れませんが、性的指向をオープンしていた友人がいたのは高校生からです。
そのうちの1人は今、インドで同性婚をして新婚生活を送っています。

もともとゲイもビアンも抵抗なく、オープンにされても「へー!そうなんだ人を好きになるのって素敵ね!ところでこないだあのテレビみた?」みたいな感じでした。

それでも、昔は女の人が好きになるのは男の人だけだと思っていましたし、女の人が好きになるのは男の人だけだと思っていました。だってそんな選択コマンド、教わってない。

でもそのうち、今はMTF、FTMとかそういう言葉になりましたがオカマやオナベを知り、漫画でホモというものを知り、映画でゲイやビアンを知りました。

えー?じゃあもう、なんでもいっか!人間には2パターンの臓器があるってだけだな!

そんな感じで、心の性という概念を無くしました。

まぁ、もしかしたら考えきれなかったのかも。難しいですから。当時はスマホは高級品で、調べるには文献や書籍や情報が足りなかった気がする。いや、調べる手段がわからなかった。

でもそのうち、FTXやMTXという言葉も認知されはじめて、改めて調べた時にやっぱり生まれた時に2パターンのうちどちらかの臓器を持って生まれてくるだけだなって思いました。

そうゆう考え方をしていたら必然的に自分に対しても、昔から言われ続けてきた「女の子なんだから」って言葉はなんの拘束力も無くなりました。

女の子なんだから足を閉じて座りなさい。
女の子じゃなくたって、足はある程度閉じて座るのがマナーです。スカート履いてる人は、下着が見えてしまうからぴったり閉じて座りましょう。それなら納得します。

女の子なんだから男の子とばっかり遊んでないで女の子とも遊びなさい。
たまたまその子がサッカーや野球が好きで、一緒にやってくれる人が男の子だった。それだけの理由です。わたしは、男の子が持ってる戦うゲームが好きでよく遊んでました。だって好きなものには参加したい。楽しいと思うものを無理に抑制する必要性はなかった。


今でも、拘束しようとしてくる言葉をよく言われます。

女性なんだからはやく子どもを産んで少子化に貢献しろ。
男性が子どもを産めるようになる研究は年々進んでいます。そんなに貢献度を気にしているのならば、その研究機関に寄付をして、貴方が子どもを産む選択肢と確率を増やしてみてはどうでしょう。

少子化と言いながらも家庭の事情による欠食児童は増える一方なのだから、不安なく子育てができる環境がないこの世の中でどう生きていけば良いかを教えてくれませんか?できれば高収入のパートナーを見つける以外の方法を。


つい言い返したくなります。

話が逸れましたね。すみません。
でも、こんな言葉を言われても、私はもう気にしないことにしました。
だって、性別の概念を無くして人と接しているから。


どう人を関わって行くか。どうやって恋愛をしていこうか。それにはまず人間としてどうあるべきかが前提に来るべきです。

女性車両問題やセクハラ、モラハラ、マタハラなどいろんな問題が日々ニュースに流れますが、それもまず人間としての問題です。

マイノリティも、その言葉で仕分ける前にどうか人間という一つの地球が生み出した生物としてみて見て欲しい。どうか、〜だからって言葉で縛らないでください。

それでは また違う夜に。




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