恋人という名の生命体たち

こんばんは、えいみです。

今年に入ってスーパームーンをちらりと見ました。月をのんびり追いかけながら、個人的には爪切りから出てきた爪の欠片みたいな二日月も好きだなぁと思いました。

こうゆう素敵な景色って、他愛もないけどすこし微笑んでしまうような話をしながら見たくなります。例えば家族や友人、いま恋をしている相手と。
外も良いけど、家でゆっくりしながら、ベランダで寒い寒いと文句を言いながら。

そう、例えば。

今日帰り道で見た子猫の背伸びの話。シャンプーが目に入って痛かった話。明日の天気の話。新しく買った本をまだ読めていない話。携帯に少し傷ができていたけれど心当たりがない話。

そんな、重要ではないかもしれないけれど、とても大切な話。

ゲームや、映画、好きな本を観るのも良いです。共用したいと思ったものを、共用したい人と楽しんで悲しんで驚きたい。

そうゆうものは少なくて良いんです。そりゃ多いのも結構ですが。


街で男女の恋人が、隣同士仲よさそうに歩いてることがとても気持ち悪いんです。
こうゆうと、嫉妬とかそんな言葉で片付けられるんですけど、決してそうではないんです。

違和感というか、気持ちが悪い生命体に見えてきてしまう。
なぜなんだろう。

仲がいいことは本当に、とてもいいことです。良くない時っていうのは、それが例えば通行の邪魔になるほど互いを見合っている場合くらいでしょうか。
公の場を害してますもん、あれ。
あとは満員電車で恋人を庇おうと必要以上に空間をとってくるあれ。腕で頑張ってスペース確保するあれです。
なんの牽制??恋人に触れるなってこと?それとも恋人か息苦しいのが頂けないってこと?
だめです。邪魔。


そのくらいの感情乗り越えられない人と一緒に、例えばUFOとかに遭遇して異界に連れてかれても絶望しかありません。宇宙語覚えて通訳買って出るくらいの根性が欲しい。
ほんとうに宇宙人があるかはさておき、ですけど。


わたしも、恋はします。恋というか、いいなぁこの人、条件がとっても合うわ。という極めて打算的な感情がほとんどですけれど。

だからかもしれません。お互いが好き合ってる、仲よさそうに「恋人」をしている人をみると自分にはないモノがそこにある。違和感を感じる。
バイセクシャルだと言いながら、未だに「ほんとうに?」と自分に問いかけているから、性的指向がはっきりしている人をみるとなんだか頭がぐらぐらしてしまう。

好きな人ができたって、いつも「本当に?」って問いかけています。そうして会話を重ねて、体も重ねて見るけれど、この人は私が好きなのではなく私という条件を好きなんだなと感じます。
思いっきり、ブーメランです。
この人わたしと同じじゃーん(ズテーン)って感じです。

今度こそ、そんな恋愛はしないんだ!って意気込むんですけどね。もはや、次に私を好きだと言う人は結婚詐欺師か不倫したい人じゃねーかなって、そう思ってました。


でもなんか、もしかしたら、結婚詐欺師でも既婚者でもない人と今おつきあいしてます。


わからないなー。





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