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苦しくて死にそうになったから、僕の「希望」について向き合った日。

今日はなんだかとっても苦しかった。
なんとなく疲れてるのはわかってたんだけど、
家の水の音とか、ガタンっていう食器とかものの音とか咀嚼音とか、すごくうるさくて、耐えられなくて、手で耳塞いだけど、イライラが止まらなくて。涙が出た。

今落ち着いて文字が書けてるけど、
その理由について考えてみると、
仕事の疲れと、あと心が通じる人がいなくなったことだと思った。

仕事は、報告をちゃんとしないといけなくて、どこか持ち場離れるときに、「どこどこ行ってきます」って言わなきゃいけないとか、みんなにちゃんと何があったか言わなきゃいけない、確認何回もしなきゃいけない、人に話しかけなきゃいけないのが、たぶん苦手。

だからめっちゃ負担になってるんだと思う。

あとは、元々僕、母親と仲良くて、よく話してたんだけど、
今日話してて、全然話が噛み合わなくて。
今まで、ちょっと会話合わなくなってきたな、とは思ってたんだけど、
ついに「何言ってるかわかんない」って言われて、
今までなんでも話せる心通う人だったから、その人がもういなくなった感じがして絶望したんだと思う。

今、回復少しだけできたのは、
音楽を聴いたことと
好きなアイスを満足するまで食べたこと。
寝っ転がったこと。
時間が経ったこと。
少し休めたんだと思う。

それで、絶望したから、少しでもましな人生を妄想しなきゃ、希望持たなきゃって思って考えてみた。
絶望を救うのは、嘘でもいいから希望を持つことな気がして。

僕にとって(「希望」は一人一人違うから)、
「希望」は
生活費ただで、お金の計算とかしなくて良くて、人とあまり話さない仕事、頭を使わない仕事をして、音楽聴いて、お笑いみて、コンサート行って、美味しいご飯食べること。

仕事を変えたり、住む場所を変えるのは、本当に勇気と気力がいることだと思うから、本当にじっくり探す。

何年か後の、希望ね。

僕は、いますぐ死にたいけど。
死ぬことが痛くないなら死んでるけど。
まだ僕は幸せになれる、ってほんのちょっとだけ思ってるのよ。

今日は本当にギリギリで、明日までこの苦しさが続いたら、人生終わってたと思う。
今、だいぶ希望持てて、回復して、自分の未来の幸せを妄想できてるけど、また苦しくなるかもしれない。明日の朝とか。
それを考えるだけでまた怖くなってくるけど、とりあえず寝てみよう。

明日が来たら、住み込みの仕事とか、住んでみたい場所とか、調べよう。あと、他人には期待しないで、自分で自分を満たせるように頑張ってみよう。
気が合わないとか、嫌いな人は離れるようにしてみる。無理して笑わない。話が弾まなくてもいい。頭で音楽でも流しておこう。

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