『せつなさ』のこと
これがあるからキュンとくる。
小さい時から、ダークヒーローが好き。
特に、妖怪人間(ベムベラベロ)、デビルマンが。
なりたくないのにそうなるしかなかった。
哀しみを背負い自己犠牲で正しいことをしようとする葛藤。凄いことをやってても評価されず報われない、でも人間のために戦う。去り際の背中、何も無かったかのように人間に見つからないように身を潜め、日常戻る。物悲しくてせつないよ…おどろおどろしくてどんグロいけどカッコいいなぁと。
昔の仮面ライダー、キカイダーやらも物語背景は主人公は心身に傷を負い、無理やり改造をされる。良心から悪を裏切り正義の味方になり命をかけて戦う。
原作の石ノ森章太郎、永井豪らはベースに「愚かな人間たちよ」って社会風刺もありましたね。奇しくもその選ばれし達が、愚かな人間達のために悪からわが身を呈する。
5人戦隊ものやタイムボカンあたりから、ダジャレ、下ネタ、ミニエロが入ってきたように感じる。子供ながらタイムボカンシリーズの下ネタギャグはおもんないし子供じみてて笑えなかった…ただミニエロにはきゅんときたけどw
親になり久々にみたヒーローは(たまたま見たのがそれかもしれないが)鍛えたり改造されなくても、ズブのイケメン素人が変身装置でライダーになれたり、人前でも変身するし、色んな個性があるヒーローが多数「ひな壇ライダー」みたいな。正義の怪物は社会に馴染んでてめちゃくちゃオープン。多様性社会、そして誰でも頑張れば君もヒーローになれるよ、みたいな…怪人の爆破もほぼなく、消えちゃう、生き返る、リセットみたいな。視聴者媚びまくりで、とってもライトでゲーム感覚を感じた。「好感度を気にする芸人かよ」「手の届くアイドルかよ」みたいな。
設定は「善悪もどちらにも大義がある」は面白いと思いますが、わかりつつも混乱しないか?と。制作が多分、親もターゲットにしたいなと。だからアイドル、イケメン俳優ライダーでお母様達が殺到するって…グッズ売れるもん、数字も稼げるもん。
前者の作家や円谷プロダクションが伝えたかった社会的なメッセージから趣旨がかわり数字や金…に思える。確かにエンタメだもんなぁ…戦隊もの5人がジャニーズなら視聴率取れるもんねって事です。
この戦いは人生と同じ道徳的なことも伝えていて。その場の状況次第でどうしようもない事、痛い、辛い、悲しい事もある、イケメンじゃなくても大丈夫、どんな時も力を合わせて行こうよ頑張ろうよってのはダメ?
その箇所を突っ込んでひっこめて排除にするより、頑張って戦っている人に称賛を贈るのはだめ?
僕らも、いま自分らが生きて行ける、この快適さも誰かの犠牲によって生かされているってことですよね。
★人間になりたかった妖怪人間の最終回
「自分たちが人間になる方法」がわかる。
妖怪人間を生み出したマンストール博士が「悪い奴らをやっつければ人間になれる」という「思い込み」を彼らに植え付けていた。
実は、肉体と魂を分離させて、自分たちの魂を人間の肉体に植えつければいいとわかった妖怪人間ら。そしてベロと同じ年恰好の男の子を見たベラは「あの子にベロの魂を乗り移せば……」とベムに囁きます。
もう少しで人間になれたが、彼らの「良心」から「ベロの魂を移せば人間の子供が死んでしまう」からと思いとどまる。「俺たちのような存在がいなくなれば、人間たちに悪さをする悪鬼羅刹の類をやっつけることができなくなる」…と、その去ってゆく後ろ姿が「せつなかった」すよ、ベム素敵だな。
ちなみにこの最終回はもうトラウマになるくらい超絶怖かった‥
もうちびりそうでしたよw
この制作側の媚びない姿勢に脱帽です。
『はだしのゲン』もクレームで差し止められたのでしょう…?
ダメなものを排除するって考え方。
なんでダメなのかその時にどう対応するかを想像させない、経験させないってことは、違う意味でバカせつないね。
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