【湊谷翔×ゆっずうっず】「夜明けに祈る」
(こちらは、ゆっずうっずさんに曲を添えていただいたコラボ作品です。)
『夜明けに祈る』
ドアを開けるほどの勇気はなくて
代わりに覗いた窓の向こう
誰かの話し声に
夜の街の風に
一歩先を行く明日を見ていた
届かない青の向こう
一歩先を行く明日を見ていた
あの青は切り取れない
あの夕陽に手は届かない
それでもその先にある世界が見たくて
僕はまたカーテンを開けた
指先をすり抜ける風に泣いて
それでも前を向くよって
開いた瞼の向こう
今日に差し込んだ確かな青に
明日の灯りを祈るんだよ
届かない青の向こう
一歩先を行く明日を見ていた
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改めまして。湊谷翔(みなとや かける)です。noteで散文や詩、小説等を書いています。今回、noteで知り合い、stand.fmでもフォローさせていただいているゆっずうっずさんと、コラボ作品を創作させていただきました。
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ゆずゆさんは、noteで日記や小説等を書かれているほか、スタエフではピアノ演奏もされており、noteにおいてもオリジナル楽曲を公開されています。
そこで、今回ゆずゆさんに曲をお願いする形で、2つのコラボ作品を一緒に創作させていただきました。
テーマ
『窓の向こうに』
創作をするにあたってのテーマです。このテーマに沿って、まず私が『夜明けに祈る』の詩を、ゆずゆさんが『カーテンを開けた窓の向こうに』の曲を作りました。
ルール
テーマに沿って作品を作る(僕が詩、ゆずゆさんが曲を作る)。その後、作品を交換して、お相手の作品に新たに詩や曲を添える。2つのコラボ作品のうち、自分が先に創作したものを自分のnoteで公開する。
それぞれ、『夜明けに祈る』の詩(この時、この詩にはまだタイトルがありませんでした)と、『カーテンを開けた窓の向こうに』の曲を作りました。その後、それぞれの作品(言葉や音のイメージ)から、お互いの作品に沿う形で、新たな詩と、曲を添え、2つのコラボ作品が完成しました。
作品概要
・『カーテンを開けた窓の向こうに』(ゆずゆさんのnoteで公開中)
タイトル・曲:ゆっずうっず
詩:湊谷翔
・『夜明けに祈る』(この記事)
タイトル・詩:湊谷翔
曲:ゆっずうっず
経緯
今年の8月に、(何らかの形で)コラボしませんか、と声を掛けさせていただきました。ゆずゆさんが曲を作ってらっしゃることは以前から知っていたので、コラボ作品を作ったら楽しそうだな、と思っていました。テーマ案を出し合い、ルールを決めて、作品を作って。なかなか遅くなってしまいましたが公開することが出来ました。
後書き
「夜明けに祈る」について
まずは僕の詩に、素敵な曲を添えてくださり、本当にありがとうございます。寝静まった街や夜明け時のまだ肌寒い空気を連想するような、僕のイメージによく合う曲を作っていただき、ひとつめの和音を聴いたときから引き込まれました。こんな風に、僕の言葉を読み解きゆずゆさんの世界の言葉(音)で表現してくださったこと、とても嬉しく思います。
当初、タイトルが思い浮かばず詩の本文のみをお送りしたのですが、曲のリンクとともに「タイトルは僕に」とのお言葉をいただき、曲調のイメージをお借りして、タイトルをこのようにさせていただきました。どこか手をあわせるような、願いを込めるような、そんな作品になったように思います。
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この詩は、”窓の向こうの世界に手を伸ばす”ような、そんなイメージで言葉を織り上げたものです。窓の向こうには、眩しいほどの青い空もある。オレンジ色に染まる夕焼けも広がっている。…けれど、この窓辺からいくら身を乗り出そうとも、そこには届かない。この安全な部屋から飛び出して、あの空を追いかけてみる勇気なんてなくて、安全地帯の外にある大きな街に飲まれるのが怖くて、手を伸ばすばかりで。
小さな自分の不甲斐なさのようなものもありながら、きっと、いつかこの子も窓の向こうの世界に一歩踏み出すのでしょう。そのための、明日に向けた小さな祈りではないかと、私はそんな風に思います。
あとはそうですね、誰に向けて書くか、というのも思考の片隅にはあったと思います。僕はこれに曲を添えていただくのだから、曲を添えたくなるような、ゆずゆさんと僕の共通項に近くなるようにと、そういった感覚もありました。だから悲しいだけの詩にするつもりはなかったし、明日に願いを込めたくなるような、夜明けを迎え、ここから始まる今日という窓の向こうに、目をやる瞬間のような、そんな作品にしたいと思っていました。
あと、"窓"というのは"ネットの海"、と同じで暗喩としてもよく使われますよね。そのため、そういった風に読み取れるように、とも思いました。なので青、は暗喩ですね(それならもっと厳密に、緑も入れろよ、オレンジって何だよ、という感じですが)。
(あとこれは『カーテンを開けた窓の向こうに』のゆずゆさんの後書き?を読んで思い至ったことですが、「カーテンを開けた窓の向こうから、明るい色(あるいは陽の光)がさしますように」という僕がときどき使うフレーズのイメージが、この『夜明けに祈る』にも含まれている気がします。ただ、光という言葉は、沈んでいるときには眩しくて日常と解離しすぎることもある気がしていて。なのであえてその言葉を使わず、別の言葉を使うことも多いです。今回はそのようになっていますね。)
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以下、ゆずゆさんからいただいた感想、考察および後書きです。
ゆずゆさん寄稿
こんばんは。初めましての方は初めまして。
今回すすきさんとコラボさせていただいた、ゆっずうっずです。
noteでは日記を書いたりオリジナル曲を公開したりしています。
すすきさんから受け取った、「夜明けに祈る」(わたしがいただいた当時はタイトル未定でしたが)の詩について、わたしのメモを残します。
話者は、「ドア」を「開ける」ことができない。
テーマである「窓の向こう」は「代わり」であり、しかも「開けた」ではなく「覗いた」。
勇気がないことのたとえ……?→話者は繊細な人なのかな
「今日」と「明日」についての言及がたくさん出てくる🤔
「青」とは何か(これも何度も出てくる)
空の色の青だという仮説(すすきさんが書かれていた空の色についての投稿を思い出す)
「隣の芝は青い」の青だという仮説(ちょっと藪から棒かな?)
自分の「こうありたい」という理想を指すという仮説→「指先をすり抜ける風」は、それがつかめない、ということか
「青」や「夕陽」の向こうには何が見えるのだろうか?
「今日に差し込んだ確かな青」
「切り取れない」「手は届かない」とあったはずの「青」が、「差し込ん」でいる。
「青」とは程度があるものなのかな。想定した程度の濃さの「青」ではないが、それが「青」であることには間違いないのだろうか
果たしてわたしの考察や段差が妥当だったかは、きっとすすきさんが書いてくださっていることでしょう。(謎のプレッシャー笑)
お門違いのこと書いてたらごめんなさい。
こうやって作品に対して段差を元に考察する楽しさ、それを誰かと共有して、さらに考察を深めること。
わたしはそれらをすすきさんから受け取りました。
一緒にすてきな作品を作れたこと、とても嬉しいです。
いつもありがとうございます。
そして、コラボのお声がけしてくださってありがとうございます。
ゆっずうっず🍊
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是非、ゆずゆさんのnoteの方で公開している『カーテンを開けた窓の向こうに』の方も覗きに行ってみてくださいね。ゆずゆさんの曲に、僕が詩を添えさせていただいています。
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誰かと作品を作るということ。誰かに僕の世界観を読み取ってもらう(読み取ってもらえる)こと。読み取った世界観を、その人の世界の言葉(や表現)でもってもう一度形にしていただけるということ。
背景を、その世界観を、言葉を、表現を、僕がよく知る誰かの世界観を読み解くこと。読み取ったものに僕の世界観を重ねて言葉を織り上げること。
その楽しさは、感動は、そう簡単に出会えるものではなく、こうして快くコラボを受けてくださり、曲を作ってくださり、本当にありがとうございました。
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いつも読んでくださっている方、久しぶりに読みに来てくださった方、コラボの文字に惹かれて開いてくださった方、ゆずゆさんのページから遊びに来てくださった方、ありがとうございます。
ご感想等ありましたら、是非コメント等でお知らせください。
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最後まで読んでくださりありがとうございます。
あなたの夜を掬う、言葉や音楽がありますように。
明日に明るい色があることを願います。
どうか、良い一日を。
最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。