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【短編小説】白昼夢。


『白昼夢。』

(最後に簡単な後書きがあります)

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風に揺れる木々を見上げていると、どこか遠くへ連れ去ってほしい、と思う。私が歩いてきて、これから前進しなきゃいけないこの道ではなく、どこか遠くの、誰も知らない、草原か無人島の浜辺か、異世界でも何でもいいけれど、どこか遠くへ、と願ってしまう。

本当は、妄想にもならないような淡い現実逃避だとわかっている。だから、木漏れ日の落ちた幹を見上げて、少し肌寒い、その木陰の恩恵に与って少しのあいだ目を閉じる。


昔から妥協と諦めばかり身について、僅かな関心を鏡に映しては心から好きであるかのように見せるのが得意だった。世渡り上手と褒められるのを、笑って受け流した。ほら、こういうところ。

私の本心を誰も見抜いてくれないのは、私がそうさせないようにしているから。なのに、どうして、と思ってしまうのを止められない。


特に興味もない雑談に興じているとき。バイト先の飲み会で、本当は少し苦手な先輩が隣に座ってきたとき。忘れ物をして、ずぼらな性格を笑って友達に教科書を借りにいくとき。サークルのあと、みんなの嫌がる最後の戸締りを引き受けて感謝されたとき。誰もいない、暗い管理室にひとり鍵を返しに行くとき。

ああ。馬鹿みたいだ。


私が泣いてもどうせ知ろうともしないくせに(泣かないし、そのくらいじゃ泣けないけど)。わかった風に私を説明するサークルの友人も、親友も、いったい私の何をわかっているというんだろう。

週に一度、午後の空きコマに、コンビニのパンをもって近くの公園へ行くのが最近の救いだった。私が、私でいなくてもいい時間。誰も私を知らない、そのことを現実のものにできる気がした。だってほら、私にはこんな時間が必要なのだ。こんなにも、この空きコマを楽しみにしているんだ。それが、私を知る全ての人への、私を知らない全ての人への、小さな裏切りのようで気分が良かった。


樹の根元にしゃがみこんで、そのままずるずると腰を下ろす。少しぬるくなったコーヒーを膝に挟んで、そのほのかな冷たさを感じていた。木漏れ日の外がまるで異世界のように遠く見えるのはなぜなんだろう。犬のリードも、子供のはしゃぎ声も、フリスビーも、全てがずっと遠くの出来事のように思えた。

明日も同じ日が来ることに絶望してみたかった。明日もどうせ私でい続けるだろうということに少しだけ失望していた。日々を破るような勇気や行動力が私の中に湧くのなら、もう少しましだったかもしれないのに。

それなのに、誰かに知ってほしいと思ってしまうのはなぜなんだろう。
誰かが私に気がついてくれないかと、どこかで期待してしまうのは。誰かが私のそばで全てを知っていてくれたらいいのにと、願ってしまうのは。


悲しいような気がした。どうせひとりで生きていけてしまうことが。
むなしいのは、明日も明後日も私が変われないと知っているからか。それとも、それでも変わる気のない、このつまらない私自身に対してか。

眠れない夜があれば良かったのに。耐えられない苦痛があれば良かったのに。もっと理不尽な世界であったなら。私だって。

そんな、ひどいことを思ってしまう自分もどこかにいるのだ。もしくは、あの子みたいに無邪気に笑って生きていられたら、と。あの子のことなど、少しも知らないくせに。知ろうともしないくせに。私を知ろうとしない、多くの人と同じように。


頭上の木々を見上げる。私が抜け出せないこの日常を離れて、どこか遠くへ、行けたらいいのにと、無責任に理不尽に、願ってしまう。





木々を見上げる私のこの空間を、この木陰で囲まれた空間の静寂を、壊してくれる人はいないだろうか。










***

後書き。


僕がかつて、あるいは今も、ふいに陥ってしまう孤独感みたいなものを書きました。でもこれはフィクションにしたつもりだし、僕自身は今結構楽しく日々を過ごしているつもりです(ちょっとだけ学科の友人も参考にしました、というかその人がいなければこの作品は書かなかったかもしれない)。



僕は、小説の中でくらい登場人物には救われて(報われて)ほしいので、いつも何らかの形ですくわれるように描きます。ただ今回は、昼休みに木漏れ日を見ていて、ふと、思いついた感情と情景を書きたくて、文字にしてみたくて、Wordを開きました。この孤独感が、決してひとりのものではなく、似た感情を抱く誰かが、この世には確かに存在するのだということを示したかったんです。

この子は救われたわけではないけれど、読んで下さった誰かが、少し掬われたと感じてくださったなら、書き手としてとても嬉しいです。



もし、この小説に共感してくださる人がいたとして。私に大きな親近感を覚えてくださったとして。それでもきっと、私は私で、あなたはあなたなのだと思います。

これだけ胸の内をさらした(ように思えるような)作品で語っても、私のどれほどを、理解できるというのでしょう。同様に、読んでくださった方のことも、私は全く分からないのです。共感した、という感情は伝わっても、その解像度は「共感してくれたらしい」程度に留まります。


それは絶望なんでしょうか。


私はいっそ、救いであるかのように思います。



私たちは、きっととても秘密主義です。秘密を打ち明けるのが怖くて、でも誰かにふれたくて、知ってほしくて。あるいは反対に、誰かの秘密にふれることを望む瞬間があります。けれど、勇気を出して晒した秘密も、その多くは本質的にはまだあなたのものであり続けるのだと、そう思います。――大丈夫、どんなに頑張ってもあなたは鈍感にはならない――そんな言葉を書いたことがあるけれど、その思いは今も変わりません。


大丈夫。どんなに頑張っても、どれほど晒しても、あなたの秘密も孤独も、変わらずあなたのものであり続ける。


だから、晒してもいいと思える人がいるなら、その木陰の静寂を、破ってくれる人がいるなら、少しくらい、臆病に手を伸ばしてみてもいいのではないかと、私は思っています。だって、そうでないとみんな救われないじゃない。

少しでも、誰かが、胸を張って前を向けたらいいのにと願っています。他人を心の支えにするのはときに(心理的に)不健全な場合があるけれど、どうせ誰にも理解されないと、卑屈になってしまうのももったいないと、私は思うから。




どこかの誰かに、この小説が届いたのなら嬉しいです。



ヘッダーは、エリカという花だそうです。この淡い儚さと、花言葉から選びました。素敵な作品をありがとうございます。



聴きながら書きました

2023/5/11 18:24
行間の修正、後書きの一部加筆修正。


最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。