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オートバイという乗り物の楽しさと愛しさと切なさと酒と泪と部屋とワイシャツと私。

私はオートバイが好きだ。

バイクを運転し直接風を受けながら走る開放感ったら、たまらなく気持ちが良い。

またバイクに乗って色々な所に行き綺麗な景色を見たり美味しい物を食べたりすることも楽しみのひとつだ。

初めてバイクに跨がったのは高校生の頃友達のバイクに乗せてもらった時。身体を伝わってくるエンジンの振動、そして唸るようなエンジン音。一瞬で虜になった。


あぁ、きっと"アイツ"も、こんな気持ちだったのか…


"アイツ"は16才の時にバイク事故で死んだ。

"アイツ"とは中学生の時に知り合い仲良くなりいつも一緒にいた。遊びに行く時も、部活も同じ所に入った。母親に「アンタたちホモか(笑)」と言われた程だった。高校を受験する時に離れてしまったが、私が通う高校に遊びにきたりしていた。きっと一生つるんでいくんだろうなぁと漠然と思っていた。

"アイツ"は、その時代に倣うように暴走族の真似事をしてバイクに跨がった。

会えばいつも通りバカみたいなやり取りをしていたが、バイクに乗って粋がっている"アイツ"はあまりカッコ良く見えなかった。だけどバイクの音だけは妙にカッコ良かったのを今でも覚えている。それは暴走族特有のバカでかい直管の音ではなく、キレイに響く排気音だったからだ。

「"アイツ"が死んだ」

"アイツ"の家のすぐ近所に住んでいた同じ中学の友達から久しぶりに電話がかかってきてその第一声。

すぐに「バイクだろうな」と思った。

バイクは悪だ。大事な友達をあっさり奪う。こんな危険な乗り物に乗る人の気が知れない。それが初めてはっきりとオートバイに対して思った印象だ。そしてバカなことをしている"アイツ"を止められなかった自分に対しても腹が立ち 尚更自分の情けなさをバイクに八つ当たりした。

ただ、"アイツ"の乗っていたバイクの排気音はずっと頭に残っていた。

それから一年。"アイツ"と同じく仲の良かった友達が高校を辞め通勤の為に乗っていたバイクになんとなく乗せてもらった。

単純に"アイツ"はどんな気持ちだったのか知りたくなったのかもしれない。

そして冒頭にある通りオートバイの虜になって高校を卒業した後免許を取った。

オートバイは危険な乗り物だ。

しかしきちんと交通ルールを守り普通に走っていれば自分から事故を起こすことはない。確かに身体が剥き出しな分、事故が直ぐ生死に拘わるという意味では車よりも遥かに危険とは思うが、「出来る限りの危険を予測しながら注意を怠らず走行する」という安全運転に於いての大前提は、車もバイクも同じ事。

私にオートバイの真っ当な楽しさを教えてくれたもう1人の友達は、23才の時に自動車事故で亡くなった。信号無視の車に体当たりされたのだ。バイクが好きだった友達が自動車同士の事故で死んでしまった。

仲の良かった友達が二人も交通事故で亡くなってしまうと、さすがに悪魔の力でも働いたのかと疑ってしまった。

そのような経験が影響しているのかもしれないが、私は交通安全にめっぽう煩い。そして車に乗りバイクに乗り、仕事は大型トラックを経由して現在バスの運転士として働いている。

自動車教習所の教官になり安全運転を啓蒙していくという選択肢もあったが、性分として現場が好きなので今に至る。

私は絶対に交通事故を起こさないことを自らに課し、"アイツ"が死んだ時一緒に泣いてくれた母親に対してバイクは決して危険なだけの乗り物ではないと、証明して見せたいのかもしれない。


日を跨いだので今日は"アイツ"がオートバイで事故を起こした日。そしてオートバイで命を落とした日だ。

朝になったら自分のオートバイに乗って墓参りに向かう予定だ。先日近くを通りがかったついでに墓に寄ったがまた行く。

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あれから30年経ち悲しみはある程度癒えたものの、喪失感と無念の気持ちはなかなか消えるものではない。

もし"アイツ"が生きていたら、一緒にバイクに乗って色んな所に行ったりしたかったなぁ

そしてバイクは夜中乗るより昼間乗った方が楽しいぞってめっちゃ上から目線で克つドヤ顔で言ってやりたかった。

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交通事故はものすごく たくさんの人を悲しい気持ちにさせるから、危険な運転は絶対にしちゃいけません。

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