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大人ピアノ教室に求めること

娘のピアノの先生が「大人のピアノ教室」を開講することになりました。
今時珍しく「大人は教えていないんです」とおっしゃっていたのですが
「楽しいかも?!」と思ったのか、私と友達からの圧に屈したのか?
ついに開講されることになりました。

私は前から習っていた先生のところを正式に辞めたわけではないのだけど
なんとなく行かなくなって3年も経ってしまったので
もうやめたも同然ですが・・・。

大人のピアノに関しては何度か書きましたが「何を目的にどこまでやるのか」ということを考え、しかも考えた答えを継続して持ち続けることが難しいなと感じます。
趣味なんだから「やりたいときにやりたいだけやる」でいいじゃん、と
私の中にいるもう一人の自分は言うのだけれど、
もう一方で「いや、それじゃ面白くないんだよね」と言う人もいるのです。

友達と話していたこと。
それは
「やっぱりきちんとピアノを習いたい」

「きちんと習いたい=自分のレベルを先生に把握してもらい、レベルに合った選曲およびほんの少しでも良いからレベルアップさせてもらえるような選曲をしてもらいたい」

「そのためには、今の自分がどれぐらいのピアノを弾けるのかを
先生に聞いてもらわなければならない」

「その曲とは何か」

「その曲を先生に聞いてもらうためには、今のままでは恥ずかしいから
もう少し基礎練習をしてからにしよう」

「自主練では限界があるし、すぐに投げ出してしまうから
やっぱりきちんと習いたい」

で、最初に戻るわけで、これらのループ状態を、まあかれこれ2年は続けたでしょうか。
友達とも「私たちいい加減にしないと抜け出せないよね」と話しつつ
「何弾く?何聞いてもらう?」の繰り返し。
たまに火がついて「ハノンやりだした」だの「ツェルニーで手が言うこときかない」だの言って、その内仕事が忙しくなって「また3か月ピアノ触ってない・・・」の繰り返しだったのです。

それがここにきて、先生に見て頂けるということになったので
それではお願いします、という運びになりました。
そしてまた友達と「何聞いてもらう?」という会話を続けております。
でも、レッスン日が決まったので、とにかくその日に向けてどうにかしようと思っています。

私が地元のピアノ教室に通い出したのは「何年も習っていたのに
楽譜なしでは弾けない自分が嫌。そしてジャズピアノも習いたい」という理由でした。
習っていた先生は「とにかく音楽を楽しもう」という先生で大人の生徒さんもたくさんいらっしゃって、その方たちとの交流も楽しく
しばらくは「楽しくて楽しくて仕方がない」と思っていたのですが、
と同時に娘は本格的にクラシックピアノを今の先生に習い始め
娘のピアノの音の変化も聞きつつ、自分のピアノもやる、という日々をすごしていました。

私が習っていた先生に不満はなかったのですが
とにかく自分に不満がありまくり。
理想ばっかり高くて、つべこべ言ってなかなか弾かないものだから
結局「楽譜を見ないで弾く」ことも「ジャズピアノ」も上達しませんでした。先生が主催するセッションに参加しては自分の演奏の不甲斐なさを感じ
行かなくなりました。「私が求めているものはオスカーピーターソンみたいなピアノなんだよな」と思いながら何もしないから(楽譜だけは買った)
結局「なに、このアドリブ」とか「なにこのコード」など、いっつも不満に思っていました。
そして発表会ではジャズピアノではなくクラシックピアノを弾くのですが、自分の好みの曲を持って行ってなんとなく弾いて終わり。
真剣にクラシックを習っている娘のピアノの音と音楽とどんどんかけ離れていく自分を感じて、必要ないのに娘のピアノと比較してクラシックピアノも弾かなくなってしまいました。

最近、他のピアノ教室の発表会に行って思うこと。
それはクラシックの曲を弾く人がめちゃ少ないなということ。
時代はかわり、厳しくハノン・ツェルニーを押し付けて、それでも
辞めずにピアノを弾く生徒が少なくなったとか。
「楽しい」じゃないとやらない。
ハノンやツェルニーやバッハは確かに楽しくないかもしれない。
だからクラシックは弾かずに自分の好きな曲を弾く。
ある発表会では「人生のメリーゴーランド」が3回も演奏されていました・・・そりゃ、それぞれ好きな弾く曲のはいいけどさ・・プログラムの構成だって考えようよ・・と思いながら帰ってきました。

流行りの曲は楽譜を読めて、あるいは読んでもらって、簡単なアレンジをしてもらえて、先生に教えてもらえれば弾けるようになるかもしれない。
まあそれも楽しい。大人のピアノってそこだなと思いました。
とりあえず目的の曲を弾く。
でも、クラシックも「本当の」ジャズピアノも、ハノン、ツェルニー、バッハという基礎を嫌って言うほどやって、ショパンの大曲を弾くには
ショパンのエチュードもやって、やっと行きつけるところにそれらが
あると思うのです。

私が何年も「大人のピアノ」をやっていて、なんとなく腑におちなかったのは、そこに「積み重ねた先の何か」がなかったからかもしれません。
毎年一個一個の点で、それが縦にではなく横にぽつぽつと置かれているだけで、それらが集まって濃くなるわけでも形になるわけでもなかった、というか。

↑ここまで書いたのがたぶん4月ぐらい
同じような内容で書きたいと思ったら自分ですでに書いてあった(笑)
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