自粛警察改め自粛レーマーはどこから来たのか〜自身があちら側に行かないために〜
※本項は想像の域を出ない話が多分に含まれます。
いわゆる自粛警察と呼ばれる存在の話になるのですが、wikiによると警察とは
軍隊と並ぶ国家の実力組織であり、権力行使を以て国家の治安を維持する行政作用及びその主体をいい、社会の安全や秩序を守る責任を課された行政機関である。
とのことであり、警察と呼ぶには程遠く、警察と呼ぶことが勘違いと助長に繋がるのではとする論もあるので、本項では自主的に自粛を迫るクレーマーということで自粛レーマーと呼ぶことにします。
自粛レーマーは、自分ルールで他者を粛清しています。エスカレートしたケースでは、他県ナンバーの車に嫌がらせをしてみたり、決められた範囲の中で営業しているお店に嫌がらせをしてみたり。SNSで誹謗中傷をしてみたり。
その行動原理については想像の域を出ませんが、自分が我慢しているのに我慢していない人たちへの苛立ちや怒り、自分や周りの人が感染して死んでしまうかもしれない恐怖や不安など、負の感情を制御する方法として他者を攻撃することを選択しているのではと推察しています。
私自身、自粛期間中にまったく負の感情を抱かなかったわけではありません。ゴールデンウィークにスーパーマーケットでマスクも着けずに騒ぎながら買い物する人たちの籠の中の大量のおつまみとお酒を見たときはさすがに「正気か!?」と思いました。十中八九、この後に宅飲みするだろうことが容易に想像されましたが、十中一二で勘違いかもしれないので、特にクレームつけることなく「周囲の関係者の皆様におかれましてはお大事に」と心の中で呟くに留まりました。別項で紹介した通り私はだいたい「お可愛いこと」で乗り切ります。多くの人も他者への攻撃ではない何らかの方法で、負の感情を制御していることと思います。
今回の自粛レーマーはどこからやって来たのでしょうか。元から他者を攻撃しがちな人がたまたま今回の自粛を動機として行っているだけなのでしょうか。それとも元はそうでない人が今回の自粛という特殊環境下でそうなってしまったのでしょうか。
私はどちらのケースもあるのだろうなと思っています。今回の自粛以前の災害等で自粛レーマーになってしまい慢性化してしまったケースも、今回の自粛で新規自粛レーマーになってしまったケースも。恐らく大変な目に遭われたのでしょう。その延長線上を考えたとき恐ろしいなと思うのは、今現在、私含めて自粛クレーマーを冷めた目で見ている人も、第2波や別の災害が来たときに自身が次世代自粛レーマーになってしまう可能性があるのではないかということです。
私自身は既に祖父母の代を亡くしているので自分含めて感染しても死亡リスクの高い身内はいませんし、幸いにも自粛で直近いきなり給与がなくなる職業でもないので、比較的穏やかに第1波をやり過ごせたほうだと思っています。しかし今後、何かの拍子で心がポッキリ折れたタイミングで第2波が来てしまったら自粛レーマーにならない自信はありません。別の災害で家や職や身内を失ったりしたら自粛レーマーにならない自信はありません。
自粛レーマーは自分ルールに従う一方、素人目に見ても社会ルールを逸脱し、刑事訴訟や民事訴訟に発展しかねない案件が散見されます。言ってしまえば身勝手な行動で誰も付いてきてくれないため、徐々にエスカレートしてしまうのだと想像します。一度自粛レーマーと化してしまった人が戻ってこられるのかはわかりませんが、自粛が落ち着けば落ち着く一過性自粛レーマーがいたとして、我に返った時に何を思うのでしょうか。ある日訴えられるかもしれない恐怖に怯えながら日々暮らす人もいるのでしょうか。
そんな生活だけはまっぴら御免なので自粛レーマーにならないよう、負の感情をうまく制御しながら穏やかに生きていきたいところです。そのためにはどうすればいいのか。なかなか難しい問題ですが、「自分は絶対そうならない」と慢心することなく、「なるかもしれない」という前提で、自分に合った心のブレーキを有事の前に見つけておくことは、自粛レーマー化の防止策のひとつになるのかもしれません。
これは何も自粛レーマーに限った話ではありません。日々のニュースの動機に注目して「ならないように気を付けよう」と指差し確認するのは私の思考パターンのひとつです。短いようで長い人生、「踏み外しそうになる」タイミングは何度かあると思うんですよね。「テンピンならいいんじゃないか」とか「みんな叩いてるし匿名ならいいんじゃないか」とか。そういう時に踏みとどまれる人間でありたいと、私は思っています。
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