第20回放送「国語の専門家に聞いてみた♪①ー言葉が広がる、言葉でつながるー」をまとめてみた!📕
こんにちは🌤ボケットです。
ちょっと遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます🌅 今年もよろしくお願い致します🙇♂️✨
さて、今週から新学期もスタートしたのではないかと思います。 みなさん、新学期のスタートはいかがでしたか??
新年一発目の「僕創・スッチーまとめ」は、第20回放送「国語の専門家に聞いてみた♪ー言葉が広がる、言葉でつながるー①」(2020/8/7放送)のまとめからスタートです!📕
この回もゲストが登場します💡
この回のゲストは…、国語の専門家「ケイちゃん先生」です!!!
国語に対して熱い思いを持っている方のようですねー。 一体、どのようなことを語ってくれたのでしょうか??
では、早速、ご覧ください↓↓↓
⑴「国語」って、実は「?」だらけの教科😳
みなさん、「国語」はお好きですか??
「好き」という方も「嫌い」という方もいらっしゃると思います。
僕は、個人的には「好き」ですが、国語のテストは嫌いでしたねー。解法はあるにしても、
もっと「自由な読み」をさせてほしい。
もっと「自由な書き」をさせてほしい。
そう思いながら、学生時代を過ごしていました😖
今回ゲストとして登場しているケイちゃん先生はどうなのでしょうか??
教えて!ケイちゃん先生!!
「国語は元々好きではなかったです。一番、意味不明だと思っていました笑」
なんと‼️
「だからこそ、専攻しました。国語って、普段使っているものだし、どうやって学ぶの?と思って。日々の生活の中で変わっていくものでもあるし、一人ひとり違うものでもあるし」
たしかに😳
「国語」って、主に「言語」を学ぶ教科ですよね。言語自体は日常生活の中に有り触れている。日常生活の中で言語を獲得しようと思えば、多分、可能。でも、その日常生活は一人ひとり違っている。
そんな状況の中で、改めて、「国語の授業」として「クラスの中で学ぶ」ことって、どんな意味があるの???
あ、なんか、改めて考えてみたら、頭の中が「?」となってきました汗。
ケイちゃん先生が言いたいことを、少し整理してみると…
言語に対する状況は一人ひとり違うのに、
それを改めて「国語の授業として、クラスで学ぶ意味」って、何??
ってことだと思います🍃
ケイちゃん先生。とんでもない、問題提起をされましたね!!😳
「国語」って、算数とともに毎日学ぶ教科であって、主要教科の中でも「メイン」の教科。ある意味で、国語の授業をすることは、先生たちにとっては「当たり前の日常」。
なのに、なぜか、こんな問題意識、僕は持たなかったな…汗。
ちなみに、この点について、答えはあるのでしょうか??教えて!ケイちゃん先生!!
「(この点については、僕も)未だに、日々、迷っていますね。笑」
そうなんですね😅
でも、ここで気づかされましたけど、実は国語って「?」だらけなんじゃないでしょうか?
もしかして、今まで気づいていませんでしたけど、意外とはっきりとわかっていないことが多い??🙄
あれれ??
⑵イメージとしての「国語の系統性」
ここで、国語に対して「?」が浮かび上がってきました。
では、一つ、素朴な疑問。
「国語の系統性」って、どのように考えればよいのでしょうか??
例えば、スッチーさんが得意としている「体育」。
体育は、
・「この年齢までには、おおよそこのくらい」とか
・「この運動を行うためには、前段階としてこの運動ができていることが条件」
というものは、運動学的にある程度認められるはずです💡
では、「国語」については、そのようなものは明確にあるのでしょうか??教えて!ケイちゃん先生!!
「(言語獲得の状況が)一人ひとり違うので、系統性についても「?」ですねー。あるのかないのか、わからないです👍」
出ました!「?」✨やはり、国語には「?」が多いですねー笑
ですが、「教育」や「学習」という視点から考えると、ある程度の系統性がないと「学問の教授」としては意味をなしません。極端な話をすると、系統性が全くないというのは、「どこから教えてもいい」ということにも成り兼ねないので、それはそれで話は違うしな…汗。
やはり、それ相応の順序はいくらかでもないと「教授法としての国語」は成立ないだろうし…🤔
この点について、ケイちゃん先生は「スパイラルのようなものはある」と仰っています💡
「スパイラル」のようなもの…😳!一体、それはどのようなものなのでしょう??
「国語には、『話す・聞く』『書く』『読む』みたいなそれぞれの領域がありますよね。子どもの発達段階によって、それらの積み重ねがあって、どんどん進化していく。そんな感じかな。最終的には、自分がどう表現したいかを獲得していくみたいな」
なるほど。なんか、フワッとしてますねー☁️
やはり、意外と研究未発達な領域なのでしょうか・・・😟
と、ここで、僕創先生が、すかさず質問します!
「ちょっと前、筑波の先生方が国語に関する系統的な本を出しましたよねー。あれって、今まで、そういうものがなかったから、出したんでしょうか??」(by 僕創先生)
「うーん、おそらくそうでしょうね…。フワッとしたものをある程度カテゴライズすると、いろんな人が使えるようにはなりますし💡」(by ケイちゃん先生)
おっ、なんかいい情報が出てきましたねー。 「ちょっと前、筑波の先生方が出した本」があるようです📙
早速、僕創先生に問い合わせて、紹介してもらいましたー。↓↓↓
筑波発 読みの系統指導で読む力を育てる (初等教育学の構築を目指して)
僕はまだ読んでないですけど、国語の系統性について深めるのに役立ちそうですね!
本の紹介欄にも「国語の授業づくりの難しさは、何を、どのように、どこまで教えたらよいかわかりにくい」と書いてありますし💡やはり、「国語の系統性」については、未だ謎だらけみたいですね😧
学問教授の視点からでは、系統性が見つかると、教授法がより発展すると考えるのが普通です。
早く、そういった系統性が明確になって、「子ども一人ひとりの言語獲得の状況の差を考慮した国語の教授法」が見つかるといいな、なんて思います😌✨
⑶ケイちゃん先生の詩の授業 〜一人ひとりの考えが混ざり合う〜
このように、実は「?」だらけの教科「国語」📕。しかし、もちろん、ケイちゃん先生は、僕たちと同じく、日々、現場の先生として、教壇に立っていらっしゃいます!
では、この「?」だらけの中、実際に、ケイちゃん先生はどのような授業をなさっているのでしょう??
ケイちゃん先生が国語の中でも特に好きな分野は…、ズバリ、「詩」だそうです!!!📃
「詩」か…😦。いや、「詩」が好きな人って珍しくないですか?! だいたいの人は、この質問に対して、「物語文です」とかって答える所ですよね笑
そもそも、「詩」の教え方って、意外と難しくないですか!? そこんとこ、どうなの?ケイちゃん先生!!
「詩はいろいろな部分がかなり省かれていますよね。どう感じ取るかは読み手に委ねられる部分がかなり多い。授業では、その読み取り方が混ざり合って、いろんな考えが出てくる😌それがとても面白い✨」
あー😮なるほど。
ちょっと、気づいたことがあるので、これまでの議論を、もう一度整理しますね🌱
ケイちゃん先生の問題意識は、上述してきたように…
言語に対する状況は一人ひとり違うのに、
それを改めて「国語の授業として、クラスで学ぶ意味」って、何??
でした。で、これをどうやって追究していこうか、と考えれば…
・いろいろな部分が省かれていて、感じ方が読み手に委ねられる部分が多くて、そもそもOKな題材を選ぶ必要性が出てきますよね💡
そうしたら、それは、やっぱり「詩」だ!!!
「詩」はたしかに、書いてある言葉に基づいてのイメージにはなるけれども、省かれている部分が多いからこそ、感じ方は一人ひとりに委ねられていて、それでいい!!(金子みすゞさんっぽい笑)
そして、その感じ方は「詩の言葉」を基にしながら、一人ひとりの言語獲得の状況や生活の状況に応じて、読み取られるものでもある🍃
すごい😲!!これなら、ケイちゃん先生が問題提起しているものに対して答えられる「国語の授業」ができるかもしれない!!
そうか💡だから、ケイちゃん先生は「詩の授業」に可能性を感じていらっしゃるのですね😲
⑷詩の授業実践:金子みすゞ 「土」 〜それぞれの「ッ」の感じ方〜
では、ケイちゃん先生は、具体的にどのような「詩の授業」を展開されているのでしょう??
ケイちゃん先生は、ラジオ動画の中で、印象に残る「詩」の授業の一つとして、「土」という詩の授業を挙げてくれています📄
「土」とは、一体、どのような詩なのでしょう??調べてみたら、なんと作者は「金子みすゞ」さんです!!(さっき、「金子みすゞさんっぽい」と言ってしまったのは偶然…?笑)
では、まず、金子みすゞさんの「土」をどうぞ↓↓↓
「土」 / 金子みすゞ
こッつん こッつん
打(ぶ)たれる土は
よい畠(はたけ)になつて
よい麥(むぎ)生むよ。
朝から晩まで
踏まれる土は
よい路(みち)になつて
車を通すよ。
打(ぶ)たれぬ土は
踏まれぬ土は
要らない土か。
いえいえそれは
名のない草の
お宿をするよ。
※金子みすゞさんの「著作権」に関わっては様々な議論があるようですので、引用とともに、「全集」のリンクを貼らせていただきました。
では、ケイちゃん先生はこの詩をどのように授業で扱ったのでしょうか??
ケイちゃん先生は、まず、この詩の冒頭の「こッつん」に注目します👀
「こッつん」って、あまり日常では使わない言葉ですよね。まして、「ッ」はカタカナだし…。2回繰り返されているので、リズムが出て、そのリズムが金子みすゞワールドのリズムっぽいですねー笑(個人的感想)。
ケイちゃん先生は、授業の中で、子どもたちに、
「なぜ、『こッつん』には『ッ』が入っているんだろう?『ッ』が入ることでイメージはどう変わる??」と尋ねたみたいです🌱
すると、子どもたちは…
・「力加減が変わると思います😃」
・「上から下方向へぶたれているんじゃないかな…🤔」
・「強い力で叩かれている感じがします😀」
・「カタカナの『ッ』だから、硬いもので叩かれているのでは…🧐」
etc…
というように、それぞれの感じ方を話し始めたそうです✨
おっ。やっぱり、「ッ」というたった一文字ですけど、捉えるイメージは、人それぞれ違うんですね!!(金子みすゞさんっぽい笑)
この発言を分析すると…
・畑仕事の様子をイメージした子
・「打(ぶ)つ」強さをイメージした子
・「ッ」という言葉の感じから、「打(ぶ)っている物」をイメージした子
などのように、人それぞれ「ッ」から受けて、頭の中でイメージしたものは違うことがわかります💡
子どもは大人よりイメージする力が弱いので、それぞれが、
・部分としてイメージしていたり、
・全体としてイメージしているんだけど、うまく「言語」として表出できていなかったり、
するわけです💡
ですが、この一人ひとりのイメージの微妙なズレを、あえて、授業で共有し、掛け合わせたりして、「言葉」の持つイメージを深めていく!!😃
これが、ケイちゃん先生がやりたい「国語の授業」のイメージなんじゃないか、と思います☘
ケイちゃん先生は、先程、
詩の魅力は、「いろいろな部分がかなり省かれているからこそ、どう感じ取るかは読み手に委ねられる部分が多いところにある」
と仰られていました。
「土」という詩の冒頭の「ッ」というたった一文字に、あえて着目させると、
・それぞれの頭の中に浮かんだイメージに差が出る。
・それを利用して、そのイメージの差異を共有し、掛け合わせる。
⇒「言葉」に対する認識は、子どもたちの中でどんどん深まっていく。
すご〜い🙌この授業のポイントはここですよね?ケイちゃん先生!!
こういった、それぞれの差異を利用した「言語学習」って、ある意味、素敵じゃないですか👍一人ひとりが違ってるからこそ、できる授業😆✨
素敵だな〜。「違いが認められる国語授業」って。
ケイちゃん先生は、この授業について、
「言葉を目で見て感じることと、実際に話してみて言葉に出して感じることの違い」が出た授業と仰っていますが、
これも「差」や「差異」、「齟齬(ズレ)」への着目ですよね😌
この記事で何回も出てきているように、ケイちゃん先生の問題意識は、
言語に対する状況は一人ひとり違うのに、
それを改めて「国語の授業として、クラスで学ぶ意味」って、何??
でした。
これって、もうここで、これに対するある程度の答えみたいなものが生まれてませんか??😳
すごいです👍✨
そして、ケイちゃん先生は、放送の最後で、このようにも語ってくれています 。
「それぞれが持っているものの、違いの中での話し合いが、面白い👍✨」
さすがです!
やっぱり、ケイちゃん先生にとっては、こういった「詩の授業」が、
「教室の中での国語の授業」の理想形の一つなんじゃないでしょうか!😆
そして、その理想形は、
未だに実は「?」が多い教科「国語」の謎を解明していく実践になっていくのだと思います🗺✨
僕も、国語の授業を「ただなんとなく」やらずに、疑問や問題意識を持ちながら、日々、取り組んでいきたいなーと思いました😌
以上、今回はケイちゃん先生による国語シリーズ、
「国語の専門家に聞いてみた♪①ー言葉が広がる、言葉でつながるー」のまとめでした!
いかがだったでしょうか??
普段、何気なく授業をしている「国語」にも、まだまだ気づかなかった「深〜い」ところがありましたねー💡
次回もまた「国語」や「言葉」について深めていきますよ〜。お楽しみに❄️
こちらのマガジンでは、YouTubeラジオ動画「僕創とスッチーの二人語り」のまとめを行なっています!気になった方は、ぜひ、覗いてみてくださいね🌱
また、記事を見て「ラジオ動画を視聴してみたい!」と思った方は、 Facebookグループ「僕創とスッチーの二人語り」へ。
放送は「10分×3回」程度が、毎週末に更新されています!
では、また!
(2021/1/9:ボケット)
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