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インスタントフィクション妄想解説#5「大きな空を吹き渡って」

noteで投稿されているインスタントフィクションを勝手に解釈させてもらっています。どうも墓穴掘男です。
今日は2022年9月21日に投稿されたうぉんのすけさんの「たぶん」を妄想解説したいと思います。

あくまで個人の会見であり、作者の意図を読み取ったものではないことはご了承くださいませ。
※下記から内容のネタバレが入っているのでぜひインスタントフィクションの記事から閲覧ください。

「たぶん」という曖昧な言葉は「私」の人生そのものだ。

主人公(私)はタイトルの「たぶん」との関連性を妄想するに自分自身に自信がなく断定して物事を決めることができないタイプで、誰かに感情を伝えることも苦手なタイプなのだろう。イメージとしては誰の話にも同調して話すことが得意だが、自分の意見を求められると困ってしまう/またはどっちつかずで曖昧な表現でごまかしてしまう。少数派より多数派の意見を尊重して自分の意志を持てない、そんな女性の主人公(私)に何が起こってしまったのか。

最初の文章を読むと「明日という日はこないだろう」という一文で彼女は死の淵にいることがわかる。どうして死の淵に「私」は立っているのか。ここでは仮に「交通事故」と考えるのが妥当であろう。一人の人間が窮地に立たされてしまう身近の原因は交通事故だ。日本では交通事故件数は年々低下傾向に向かっているが、今でも多くの人々の命が交通事故で亡くなっている。その上でこの文章を読んでみると最初の「たぶん」という言葉で綴られる文章は交通事故にあった瞬間の走馬灯のような時間経過を「私」の脳内が言葉に表しているように感じる。

たぶん 明日という日はこないだろう
たぶん 友だちが会いにくるだろう
たぶん 多くの人が涙を流すだろう
たぶん 怒る人もいるだろう
たぶん 感謝する人もいるだろう

彼女は交通事故に不運にもあってしまい、体は吹き飛ばされ空中で180°回転しているその刹那。たぶん 明日という日はこないだろうな〜(死ぬだろうな)だったり、たぶん 多くの人が涙を流すんだろうな〜(葬式で家族とか泣くんだろうな〜)とか瞬間の出来事なのに脳内ではスローモーションのように時間が感じて死んだあとの事を考えてしまっているんじゃないでしょうか。

意識が朦朧とする中、死を間近に感じたときに思い出すのは「あなた」の事でした

「だけど」につづく言葉は交通事故に合ってしまい重体になってしまった「私」は救急車で運ばれ、救急病棟に運ばれるさなか、意識が遠のくその瞬間、脳内にフラッシュバックするのは「あなた」という存在だったのではないでしょうか。ただ言葉の表現から「あなた」との関係はすでに恋人または夫婦だったとしてもすでに解消していることでしょう。それでも死に際に「私」は、明日はこないんだろうな〜。こんなことになった私をあなたは忘れてるんだろうな〜。笑ってるんだろうな〜。と思い出してしまっている。どうして私とあなたの関係が終わってしまったのか?

それは妄想するに私の性格や心情を素直に表現できないことがきっかけになったんじゃないでしょうか?
「あなた」は「私」の事を好きになってくれたけど、最後まで「私」は「あなた」へ曖昧な関係や対応をしてしまったのではないだろうか。「あなた」が私に対して「好きだ」といってくれた言葉に対して私は最後まで「好きだ」とはっきり伝えることができなかった。そんな自己肯定感が低い私は「あなた」に嫌われて別れを切り出されてしまう前に私から別れを切り出した。自分が傷つくのを恐れるがゆえに「あなた」のことを傷つけた。
だからそんな私のことを「あなた」は会いになんてこないだろうな〜。涙なんてながさないだろうな〜と未練を残したのではないでしょうか。
そしてその瞬間に改めて私は「あなた」のことが好きだったんだな。愛していたんだなとはっきりと心から感情のままに思えたのかもしれません。

命の灯火を私は空から眺めていた

「まさか」こんなことになるなんて、死を覚悟した私は病棟の窓際のベッドに呼吸器を繋げられて意識不明の状態。そんな状態の私を窓の外から俯瞰で見ている私。幽体離脱?もしくは未練を残して浮遊霊?私は私に近づくこともできずに窓の外から覗くことしかできない。ここでの「まさか」な状況は幽霊として明日を迎えてしまったことともう一つ。それは「あなた」がやってきたことだった。あなたは私の状態を見るなりベッドに駆け寄って、涙をながしながら話しかけた。言葉は聞こえてこないが、唇の動きをみて私の名前を叫んでいるのがわかる。私はそんなあなたを見て「まさか」と同時に「どうして?」「あんな別れ方をしたのになんで?」と思ったことでしょう。でも彼(あなた)が怒り、感謝する姿をみた私は気がついたはずです。「あなた」もまた「私」と同じ気持ちだったことを。

「きっと」これが罰なんだろうね

「きっと君は来ない」なんてことを山下達郎さんが歌っていたが、あなたが毎日、私のところまで来てくれることがこんなにも苦しいことなんて。あなたは私がこうなってから毎日欠かさず来てくれる。明日もきっと来るだろう。その次の日も、その次の日もきっと。あなたは私が目を覚ましてくれることを「きっと」信じている。私はそれでも窓の外から動けないで眺めている。もしかしたらもうとっくに動けるのかもしれない。とっくに動けて窓をすり抜けて、あなたもすり抜けて、あなたが優しく私に語りかけた際に、奇跡の生還を果たすように仕向けて、私は私の中に入り込んで目を覚ます。あなたの喜ぶ顔をみて何が起きたのかわからないふりをして目を覚ます。そんなことがいま動き出せば、できるのかもしれない。だけど私はここから一歩も動けないでいるのだ。それが本当に幸せなのか不安でたまらないのだ。私が目を覚ましてからの人生において「あなた」といることが許されるというのか。自問自答を繰り返し「私」は悩んだに違いないでしょう。

「あなた」もいまを生きてほしい

やっぱり 明日はこなくていい
やっぱり あなたはこないで
やっぱり あなたは泣かないで
やっぱり あなたは怒らないで
やっぱり あなたは感謝しないで

もう 明日という日はこない
私は今を生きるだけ
あなたも今を生きてほしい

「やっぱり〜」のあとに続く文章が「あなた」に語りかける。また「もう明日という日は来ない」のに「私は今を生きるだけ」という矛盾した文章。墓穴掘男がこの文章を読んだ時は脳内に秋川雅史さんの「千の風になって」の曲がバックボーンに流れてきた。

もうこの時点では、「私」の肉体は死を迎え、あなたが私の墓に訪れているシーンなのではないか。そして「千の風になって」の歌詞をこの場で借りるのであれば、「やっぱり〜」の部分は、墓に訪れて泣いているあなたを慰めるように、そこに私はいません。眠ってなんかいませんと語りかけているのではないでしょうか。「私」という存在に明日は来ないけど、千の風という存在になって大きな空を吹き渡って、今を生きている。そしてあなたを森羅万象の存在となって支え続けていく。あなたが嬉しい気持ちになった時は、鳥になって美しいさえずりを鳴らし、あなたとともに喜ぼう。あなたが悲しくなった時は、夜空を照らす星々になり、あなたを慰めよう。だから私のために泣かないで、怒らないで、感謝しないで。あなたもいまを生きてほしい。

交通事故から壮大な存在へとあなたを想い続ける。そんな妄想解説をさせていただきました。

すばらしい作品を作っていただきありがとうございます!

またぜひインスタントフィクションの投稿楽しみにしています!

それでは、さよならまた今度ね。


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