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「店に無関心の人」が常に歩いている新宿地下という場所

新宿地下のラスボスと呼んでいた〈鰻の双葉〉。圧倒的雰囲気と高価格帯はラスボス以外形容しがたい。

土用の丑の日に合わせ念願のラスボスへ出向く、予定だった。しかし、鰻は今や絶滅危惧種に設定され、様々な激論が渦を巻く。どの情報が正しいのかまだ解らない。ただニュースを見ているうちに鰻に対する食欲が消えてしまった。鰻や双葉は決して悪くない。


B「ほんと身勝手なんだけど、寿司行きたい。」
S&Y「はい。」

2016年に閉店した〈和食処天きん〉は何よりご飯が美味しくリピートした店だ。跡地にはすぐに〈北海寿司うに丸〉がオープンする。地下に寿司屋がまた増えた。驚きである。


キレイな店内に響く有線演歌はどこか田舎臭く地下特有の哀愁を感じる。天きんの面影は一切無いね、と話していると、静かに運ばれてきた寿司。丁寧に握られていて美しい。ここは新宿なのか?本当か?と何度か疑うほどだった。良い意味か悪い意味かは確かめてほしい。

新宿地下は、基本的に私鉄・JRなど様々な路線をつなぐ連絡通路である。そしていつも付きまとう地下飲食店の哀愁はどこからきているのか。それは店の目の前が「通路」であること、絶え間なく行き交う「店に無関心の人」が常に歩いているからではないか。


目的地に急ぐ人たちに紛れ、小腹を一人満たすOLや昼間から飲むサラリーマン。それを長年見てきた私たち。他人のささやかなプライベートを垣間見る時の人間臭さももちろん哀愁として地下に放たれる。


一方で利用客のよそ行き感がゼロという点も見逃せないが、違和感がないのは、店も人も主張をしない、それに尽きる。メインは通路、店はおまけという暗黙の了解を経ている。その結果、知る人ぞ知る名店が多い。でも長蛇の列にはならない。そこが新宿地下の魅力に違いない。


東京オリンピックに向けて再開発の影響もあり、新宿地下がどんどん変わっていくが地下通路の目まぐるしさは変わらない。
往来する人々を眺めていると、なんだか自分がひとりの空間にいるようだ。それは決して寂しさではなく心のどこかがホッとする。2017年現在、都会のオアシスは確かに新宿地下に存在している。(了)

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