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「あくまで私見」

 

 もうすぐ、京都市京セラ美術館で村上隆さんの展覧会が始まる。滅多に日本では見ることのできなかった、あの強力な作品が並ぶのだろう。とても楽しみだ。嵐の前触れのように、節分祭を前に、古都は静まり返っているような気がする。否、数多くの美術大学の卒業展でそれどころではないのか。

 村上隆さんという作家はは日本現代美術界の「踏み絵」なのかと思う時がある。作品の好みや噂の数々を聞くと、決して物分かりが良い作家ではない。

 奇異に聞こえるかもしれないが、私は、草間彌生さんと村上隆さんに共通するものをいつも感じている。現れ方は男女差、年代差、それぞれ全く異なるが、追い詰められたような脅迫感、これはどの作家も皆持っているものだが、それが人並み以上に増幅されたことが作品に結びついているのだということである。

理性的な側面と、それを統御できない尽きない情動の煉獄。
私はお二人の作品は痛々しい血みどろの作品だと、いつも思っている。

憎悪か愛か略奪か。

まるで映画のキャッチコピーのような言葉が自然と並んだ。

 ものを見る時の好悪は、実はそこに見る人自身の内にある否定と肯定の部分を見いだすともいう。かつて草間彌生さんの作品は、私にとってその対象だった。しかし今は、とてもニュートラルに見ることができる。作品の見え方は、自身の肉体や時間と共に変化するものだ。

©︎松井智惠              2024年1月31日 筆
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