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美術館で怒る人

 女流現代美術家の私が初めて美術館での展覧会に参加した時のことから書きましょうか。

 たまたま会場に行くと、見知らぬひとに「どうしてこんな訳のわからない作品が美術館に並べてあるのか、私の知っている人で、もっと上手で長年やってる人がいっぱいいるのに!」と他の作家の絵画作品についてこっぴどく怒られました。身なりもまじめ、目つきもまじめ、しかも私が言わんとだれが言うといった感じでした。
 はた迷惑もいいとこですが、この意見は結構多そうです。今これを読んで下さっている文化人の方々にもいたりして。怒るひとが、どう美術を定義しているのかはわかりませんが、少なくとも問題にされた絵画作品は椅子に座った女のひとや、果物や、農家の風景などが上手に描かれたものじゃありませんでした。だからといってわからない作品が美術館に展示されているということに対しての怒りをモラルにまで高められても作家は困ってしまいます。そこまでいかなくても、目の前の作品が自分の定義する美術作品から離れれば離れるほど拒絶された感じを受け、わからないことを不快なことと感じてしまうのは、特に真面目に美術教育を受けてきたひとに多い傾向です。とにかく、この怒るひとは美術館の担当者に直接苦情を言うことは決してしないでしょう。なぜって、そのひとの本当の問題や関心は目の前の作品自体にあるんじゃないからです。

 ひとつ言えるのは、自分にわからないものがあることが認められないのを、上手だの、長年やってるだのでごまかしても仕方ないってことです。わからないものはあるんです。 でも考えたら、美術にかかわっているひとは、たいがいこういったことも含めて心の問題を抱えているのよね。もちろん私もその一人だけど。

2022年3月20日改訂 1994年7月2日 讀賣新聞夕刊『潮音風声』第一回掲載〜半年間続く


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