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オオカミ村その一

胡蝶の夢

 珊瑚の家の赤い屋根が見えました。「おお、相変わらず細工が見事じゃのう。おーい、わしじゃ胡蝶よ」と、青龍さまは、家の中をのぞきました。
 胡蝶は、葦を敷いた寝床で眠りこけて、大事なお客さまが来たことに全く気がつきません。「相変わらず肝が座っているのか、よほど疲れているのか。ほう夢を見ているようじゃ。どれどれ、少し悪さをしてみようかのう」と、青龍さまはくわえた玉を胡蝶に向けて置きました。「おや、まだ若かりし頃の胡蝶ではないか」と、玉に映った像を見つめました。

 胡蝶は、修行の場でもの憂げに座っていました。「胡蝶、どうしたんだい」と、妙な生き物が出てきました。物思いのじゃまをするのは、おまえかい。なんだ、小さい龍だこと」。「胡蝶、私の言うことを聞いてくれ、早く立派な龍になりたいんだ、時間を早くする術はあるのかい」。「だめだよ、龍のくせに、そんな肝っ玉じゃ。人の世にいる天女の私には、できないことさ」。「そうかい」と、小さい龍は、しょんぼりしました。「胡蝶さん、私の身につかまって、一緒に空に登ってみないかい」。「いったいどこまで連れてってくれるのかい」。「決まってるじゃないか、龍の館だよ」。「龍王さまに、お目通ししてくれるのかい」。「もちろんだとも」と小さい龍は言いました。「お前の名前はなんと言うんだい」。「ミンというんだ」。「ふーん、かわいらしい名前じゃないか。よろしくな」。「胡蝶さんは、名乗らなくてもみんな知ってるよ」。胡蝶さんとミンは空高く登っていきました。あっという間に、修行場の竹林が小さい豆粒になって、山よりも高く雲の近くまで昇っていきました。西の山から東の山、北の岩山から南の海まで、全部みわたすことができました。「ミン、お前たちには、いつもこんなふうに見えているのかい」。「そうだよ、もっとこれから高いところまで昇って行くから、しっかりつかんでおくれよ」と言って、ミンは雲の中へ入って行きました。あたりは真っ白で何もみえません。遠くに、大きな龍が飛んでいます。「ミン、あの大きな龍は、何歳なんだい?」。「あのお方は、これから地面に潜りにいく黒龍の一族で一千年をちょうど越えられたんだ」。「ほう、天女の命は、400年ともいうから、龍の一族さまにはかないっこないわね」と、胡蝶は、悠々と雲の合間を降りて行く黒龍の姿をみていました。

 「胡蝶さん、ほら、もうすぐ龍の館に到着だ」。雲の上に大きな大きな山がそびえています。「このなかに、龍族の、黒龍、蒼龍、白龍、赤龍、黄龍が住んでいるんだ。」。「へえ、たくさんの種族がいらっしゃこと」。「これから行く館は、一番お歳を召した龍王さまのところだよ。さ、こっち」と、ミンは、胡蝶さんを連れて行きました。しんと静まり返った大きな洞窟の中は、金銀まばゆいどころか、何とも貧しい岩肌でできていました。「以外と、龍族は地味なんだね」「わるいけど、胡蝶さんには、見えないんだよ。ここは、とても立派なんだ」。「天井も壁も繋がった丸い洞窟の奧にようやく辿り着きました。「玉座ってのに偉い人は座っているものさ。龍王さまは、どこにいるんだい」。「ほら、あそこにいらっしゃる」と、リンは、お辞儀をしました。胡蝶がその方を見ると、そこには銀色の鱗でおおわれた大きな大きな龍が寝ていました。あまりのいびきの大きさに、胡蝶の挨拶は、かき消されてしまいました。「仕方がないなあ」といって、胡蝶は、袂から、小さい琴を取り出して「目覚めの歌」を歌い始めました。龍王はゆっくりまぶたをあけました。「ほう、善き歌を聞いて目覚めた。お前は、このようなところにいてはならぬ者とみるが、どうしてここまできたのじゃ」と、龍王はいいました。「龍王さま、私は、天女の修行中の胡蝶と申します。仰せの通り、わたくしは人の世に住むものでございます。しかしながら、『ああ、早く大きくなって立派な龍になれるように、時間を早めてくれ』とこのミンがもうしましたゆえ」と、胡蝶がいきさつをものがたりました。「ミンや、でておいで」と龍王さまがいいました。ミンは、胡蝶の後ろに隠れていたのです。

 「おおおおおおおおおお大じい様、ぼくは、早く大きくなって、おおおおおおおじい様を助けたかったんだ」とミンはいいました。「リン、人の世の天女に願いに行くとは、情けないことじゃ。しかも、ここまでその者を連れて来るとは、なんということを」と龍王さまは、深くため息をつきました。「胡蝶と、申したな、こやつの無礼を許してやってくれぬか」と龍王はいいました。「龍王さまにお目通りできると、欲張ったのはわたくしですゆえ、許すも何もございません」。「胡蝶とやらは、ここに来たおかげで、500年の時間を使ってしまっておるのじゃ。帰ることは、死ぬことになってしまう。それもわからぬのか、ミン」と、龍王さまは、リンを厳しい目で睨みました。

 「ぼくは始めは、この人の歌にさそわれて降りてしまったんだ。」「確かに胡蝶とやら、そなたの歌は、人以外のものにも聞こえる声を持っておる」。「ここまで来てしまったことはしかたがありませぬ。お褒めいただき、うれしゅうございます。ミンはなぜ、そのように急ぐのでしょうか。龍族の方々は、わたくしたちとは、別の世界とおもっておりましたが」。「胡蝶さん、おおおおおおおじいさまの寿命がもうすぐお亡くなりになられるのです。そうすると、ぼくは、他の種族のどこにもはいらず、さまようことになります」。「それも、さだめであろう、ミン。そうじゃ、胡蝶、このリンは、わしの種族、今はなき銀龍の最後の子じゃ、どうかここで育ててやってくれないか」さすがの胡蝶も、それには驚きました。「天女にもなっていないわたくしには、そのようなことはできませぬこと。どうか、ごかんべんくださいませ」。「いや、小さくとも龍がえらんだ者であるからには、その役目ができるということなのじゃ。帰れぬこととなって申し分けぬ。面目もたたぬが、わしからの願いでもある。どうか聞き届けてはくれないか」と龍王様は、こうべを垂れて言いました。

 胡蝶は「龍王様の願いともあれば、お断りすることができませぬ。ミンと龍王様と、ここで一生をくらします」と深々とおじぎをし、琴をならして歌い始めました。するとどうでしょう、ミンはみるみるうちに、足がはえ角がはえ、うろこが大きくなってきました。「なんということじゃ、地上からきたものが、このようなことができるとは」と龍王様も驚き、よろこびました。ミンは、「わ!わ!わ!大きくなったよ。どうして地上で、してくれなかったの、胡蝶さん」と、たずねました。「この歌はね、天女の歌じゃないんだ。わたしがミンのように、小さかった頃、育ててくれた人が歌ってくれたものさ。まさかね、龍にもつうじるなんて思っても見なかったよ」。「胡蝶さんを育ててくれた人って?」と、ミンは聞きました。「ああ、私を拾ってくれた、歌姫さ」龍王様は、再び眠りにつき、そのそばで胡蝶とミンも眠りにつきました。


 目が覚めると、胡蝶は、ここが地上でないことを知り涙を流しました。わからないくらいの時が経ちました。ミンは、胡蝶のうたのおかげで立派な銀龍になりました。龍王様は、嬉しそうでしたが、まぶたをあけることも、少なくなってきました。いよいよ、最後のときがやってきました。「ミン、そなたは、地上の者に育てられた、最初で最後のの銀龍。よくよくそれを忘れず、地上の者たちを見守るように皆に申し伝えよ。わしは、1万年生きたことになるが、不死ではない。この玉をこれからはそなたが持ってくれ」と、龍王さまは、あごの下の玉をミンに渡しました。「胡蝶、そなたには、この身から鱗をいくつでもはがして持つがよい。他の龍は、一枚しか持っておらぬ」と、ことばをいうと、龍王様は、まぶたをとじました。胡蝶とミンは、なみだが枯れるまで泣き、あたりは水面になっていきました。胡蝶は、龍王さまのうろこをはがし、大事に琴にはりつけておきました。そして、「いにしえの歌」と「とこしえの歌」を続けて歌いました。ミンは、泣き止み同じように歌をうたい、龍王さまの身体が消えてゆくのを見届けました。

「胡蝶さん、もうすぐ他の種族がとむらいにやってきます。ぼくはここにのこらなければなりません。胡蝶さんは地上にお帰りください。龍王様の鱗がが、必ず助けてくださるはずです」「何をいうの、ミン、わたしもここにいますよ。地上での私の命はとうに尽き、ここでの命も、あとわずかですから」と、胡蝶さんは、きっぱりと言いました。そのところに、黒龍、蒼龍、白龍、赤龍、黄龍の長が、東西南北、天地をつらぬいて集まってきました。長たちは、それぞれミンに挨拶をしました。「そこにいるのは、人界の者ではないか。ミン、これはどういうことじゃ」と、一番くらいの高い黄龍がいいました。「この方は、胡蝶と申されます。地上で天女の修行をしておられておりました。わたくしが幼いころ、このかたの歌に誘われて地上に降り立ち、ここまで連れて参りました」。

 「なんと、ではこの者は、龍の館で過ごしておったと!」と赤龍が声を荒げました。「ならぬことを、龍王様はそのままになさっておいでであったのか!」と白龍も叫びました。「胡蝶は、龍王さまの命を長らえることを、されました。わたくし」とミンが言いかけたときです。「偉大なる龍の種族、その長の方々に、地上の者が申すことをお許し下さい。わたくしは地上に帰りましても、もはや寿命はつきております。ここ龍王さまの館に参りましたのは、ここにおわせられる銀龍の長ミンさまをだまして参ったのでございます」。「銀龍をだますなど、地上の者にできることではない。そなたは、まことをのべてはいない」と蒼龍がいいました。「地上の者は、ここで命を絶つことは、許されておらぬ。地上へおりていただく」と、黒龍がいいました。ミンは、胡蝶を助けたい一心でしたが、胡蝶の目はミンに鋭いまなざしを送りつけました。「最後に歌をうたわせてくださいませ、長の皆様方」と、胡蝶は歌いだしました。その歌声には、龍族の長たちも黙ってしまいました。胡蝶がうたったのは「菩提樹の歌」でした。王たる龍族も初めて聞く歌でした。「さようなら」と、ミンへ告げると、胡蝶は龍王の山のふもとまで走って行きました。

 山から胡蝶は、身体を空に投げ出して落ちて行きました。「胡蝶さん!」とミンは追いかけようとしましたが、龍の長たちが道をふさぎました。「地上の者に害を与えることは、龍族は快く思わぬ。しかし、この館に呼び、ならぬことをした銀龍のミンよ。最後の銀龍で龍王となるおかたではあるが、さまよいの龍として生きていただかなければならぬ」と黒龍が言いました。「では、龍王は、どなたが」とミンはいいました。「龍王は、長い時を経て、また現れるであろう。われわれ龍族の世界はそのようなものなのじゃ」と白龍が言いました。「わたしは、誤っておりました。龍王さまがいらっしゃらなくなれば、龍族の間で争いが起こると恐れていたのです」。「それは、地上の者たちのこと。有るか無きか、それすら時の中にとけこんでいるのが、我々の世界じゃ」と、赤龍がいいました。

 「さまよえる龍ミンよ、そなたにも銀龍としてなさねばならぬことがあるのじゃ」と蒼龍が言いました。「龍王が次にいづるまで、この場所のありかを、見つけ出そうとする者たちが現れるであろう。そなたは、そのものたちから、この場所を守り続けなければならぬ。それは銀龍であるそなたにしかできぬことじゃ。『さまよえる龍』の大事な役目がわかったであろう」と蒼龍は、静かに語りました。ミンは、種族の長に丁寧にお礼を述べました。「愚かであったわたしは、今日から『さまよえる龍』となりました。いつ、いかなるときも龍族の皆様を、お守りし続けます」ミンは、龍王の座に頭をたれて空へ飛び立ちました。長たちも、龍王の座の入り口を塞いで、それぞれの世界へかえっていきました。

 ミンは、胡蝶や地上の者たちを守るようにという、龍王さまのことばを胸に銀色の鱗をなびかせました。胡蝶は空中を漂いながら、ミンが飛び立つのを見守っていました。ミンに気づかれることはありませんでした。胡蝶の琴は銀の鱗が、ひとりでに調べを奏でていました。調べは、胡蝶が地上に降りたときまで続きました。そうです。ミンと出会った修行場に胡蝶は、降り立っていました。胡蝶が生きながらえて人界に戻れたことは、銀の鱗に込められた龍王の胡蝶への恩愛でした。胡蝶は、銀の鱗を大切につなぎ合わせて、履物をつくりました。そして、琴と一緒に袂の底に大切に入れました。

「胡蝶よ、わしじゃ」。と、青龍さまは玉に向かって大声で言いました。「あ、青龍さま、いらっしゃってたのですね。すっかり眠りこけてしまって、ごめんなさい」「えらく昔のことを夢に見ていたようじゃな。ミンのことが、そんなに気になっておるのか」。「いえ、それよりもオオカミたちの様子が変なのです、青龍さまもお気づきと思いますが」。「そのことは、わしも聞いておる。で、ネズミの細工工場の女の子たちも関わっているのかのう」。「それは、まだわかりませんが、ネズミの親分が水脈に何か悪さをしたようです。

2021 2月12日改訂 胡蝶の夢


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