「鏡に息を」
「幕間」と「鏡」この二つの間で制作がとどこっている。
「幕間」は一昨年前から昨年にかけて、”picture”つまり私にとっての制作媒体である絵、写真、動画、それらを全て指し示す言葉の中に現れた空間だった。インスタレーションの作品からスピンオフしてしばらく経つ。私は物語や記憶の発生装置として、インスタレーションの構造を作っていたから、 記憶の瘡蓋を剥がし続け、物語=ナラティブの闘争が重苦しくのしかかる現実の中で生活をしていると、時代が経たことを強く感じ、少し考え込んでしまう。
もう直ぐ三月に行う個展は、工房を持つギャラリーとの作業によって作るモノタイプの作品展になる。この展覧会は、ギャラリーのディレクターによって「鏡」というテーマをモノタイプという版画の技法と重ねて提案されたことが契機となっている。ガラスまたはアクリル板に絵具やクレヨンで描いたものを紙にうつしとる。左右反転し、筆触や絵具の盛り上がりがないものに変化した、あっさりとした質感のものが出来上がる。しかも、一枚のみである。なぜ、一枚の転写のためにわざわざ絵を描くのか。「鏡」という意味深い言葉と、実際に出来上がった軽やかな画面との大きなズレに、悩む。
描くことは「幕間」の空間にいるままだ。なのに「鏡」の歴史に吸い込まれてなかなか舞台の光が見えてこない。夜に月明かりでうつる水鏡のような、おぼろげなものでもない。しかし、「鏡」は鮮明なイメージを持つというのも、単なる先入観ではないか。ラカンなどをなるべく想起させないような作品にしたいのだ。絵画と鏡の関係の落とし穴に入りたくもない。私にとって、鏡的な体験の初めは、夜中にガラスに映った自分の顔だった。そして掌の中のコンパクトミラーや手鏡。「幕間」が、より光の空間を表すのに対して、「鏡」には、包み込むような包容力はない。私やあなたが見たと信じているものを映す。
物語には「幕間」も「鏡」も含まれている。数十年ぶりに会う友との語らいも、その二つを充分考えさせられた。SNSではつながっていない友の展覧会を昨年の秋に見に行った。案内状と年賀状のやりとりは30年近く続けている。長い時間が立っていることが嘘のように、30代の時から感じている、現代美術への思いをお互いに心置きなく話すことができた。
同じ時期に制作発表を始め、学閥も関係ない作家の友とは、自分でも不思議なくらい素直に話をすることができる。それは、その友が決して声高にならず、ずっと自分の思考を細やかな形で発表し続けてきたからだと思う。熱量を含みつつ、繊細で深度のある映像と言葉の作品をずっと作っていた。人と話すことはお互いに鏡の役割を果たすことになる。声の調子や言葉の意味は反転することはなく、お互いを映し出す。画像以上に。
そのような友も、今年の年賀状の返事は返ってこなかった。体調を崩していた友は、展覧会後に天寿を全うしていたとを友の親族が送って下さった葉書で知る。幕間からほんの少し飛び出した刻が、私に再会と幸をもたらしてくれた。日常は、簡単に癒すことのできぬ哀しみの連続である。物語を編み直すには、空になる時間が必要なのだ。展示前の空間、品物を取り出した後の箱、データを消した後のハードディスク。
鏡に息が映らねど、幕間に今も友がいるような気がしてならない。
©️松井智惠 2024年1月11日筆
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