見出し画像

東京で展覧会巡り 其の三

夏休みは作文が長いよっ。
で、ラストです。

私は「湯浅譲二 95歳の肖像」のブックレットを手にして読んでいる。帰阪してから机の上に置いたまま、ふとページをめくってしまうのだ。演奏された曲について、作曲家湯浅譲二先生ご本人が書いた文章が記されています。

今回、なつやすみの足を進めたのは、12日の湯浅譲二先生の個展でした。東京都現美から向かった先は、豊洲シビックホール。有楽町線の駅の真上にありました。

8月7日水曜日は、室内楽を中心に、12日は合唱作品による個展。
https://www.schottjapan.com/news/2024/240731_194502.html
その両方を聴くことはできませんでした。最初は7日の室内楽を聞きに行こうと思っていたのですが、日程の都合で12日の夕方からの演奏会となりました。「合唱」というと、ざっくりと大仰な感じを受けてしまうのですが、それは素人の思い込みに過ぎませんでした。同じようなことを美術に関して、他人は思ってしまうのだと、作品とはまず謙虚に対峙することを忘れているなと、ちょっと反省。

現代音楽について私が何かを書いたり説明したりということは、烏滸がましいので、できません。しかしながら、70年代から近作までの現代音楽の合唱曲を演奏すること。それは滅多にない機会だったことは確かです。今後も、自分が生きている間に聴くことができるかわかりません。

現代芸術は美術でも音楽でも、再展示や再演がとても難しいのです。

何かの縁が繋がって、ほんの数回ですが私は湯浅譲二さんの演奏会を聴く機会に恵まれました。
2007年に郡山市立美術館で開かれた個展の折には、作曲家の哲学を表す内容の展示がされていました。講演会やコンサート、音響体感の部屋、50年代からの数多くの図形譜が展示されていました。実験工房を通じて交流があった視覚芸術作家の作品も一緒に並べ、現代音楽と視覚芸術との刺激的な交感があった時代を表していました。
https://www.city.koriyama.lg.jp/site/artmuseum/19710.html

湯浅譲二先生は、音響美を発明された方だと素人の私は思います。数多くの実験的な作品はどれも音が美しいのです。そして講演会でもよくおっしゃってたのは、ご本人の宇宙観についてのお話でした。とても深いところに芽生えた種が最終的には空間に響く音になるまでのプロセスは完全にオリジナルだったと思います。
そういう意味でも演奏会ではなく作品の「個展」という呼び方が自然に思えます。

12日の合唱曲の詩は、谷川俊太郎さんが全て書かれたものでした。曲のリストを以下に記します。言葉になる前の声と響きが立体的に会場を巡るもの、歌う人も移動し、場所が変化していくもの、とても美しい詩情に満ちた旋律が重なり合ったもの。一人の作家のなかにある豊かさと包容力。
現代音楽、現代芸術のティピカルなイメージを軽々と変えてしまわれる独創性。心の現れと制御する理知のバランス。振り返って書くと、とても陳腐ですが、聞いている時は何も考えていませんでした。
__________________________________________________

・全曲湯浅譲二(b.1929)作品
全曲指揮:西川竜太

混声合唱曲「歌 A Song」(2009)詩:谷川俊太郎
混声合唱曲「雲」(2012) 詩:谷川俊太郎
混声合唱曲「海」(2015) 詩:谷川俊太郎
混声合唱団「空(くう)」

声のための「音楽(おとがく)」(1991)
「プロジェクション ― 人間の声のための」(2009)
ヴォクスマーナ

声のための「音楽(おとがく)」(1991)
「プロジェクション ― 人間の声のための」(2009)
ヴォクスマーナ

「芭蕉の俳句によるプロジェクション」(1974)
混声合唱団「空(くう)」・女声合唱団「暁」・男声合唱団クール・ゼフィール
悪原至(ヴィブラフォン)

「問い」(1971) 言葉:谷川俊太郎
混声合唱団「空(くう)」・女声合唱団「暁」・男声合唱団クール・ゼフィール」
__________________________________________________

帰阪後、スポティファイを流していないことに気がつく。
今は、PCを冷す小さな扇風機の音に囲まれている。膝の上のルカが身体を舐め、ほんの小さな声を出した。

 湯浅先生自身から制作の話を伺う機会に恵まれたことは、多くの出会いの中の一つにもかかわらず、不思議なことだった。大阪にもゆかりをお持ちだからかな?とも思ったり。昨年亡くなられた福岡道雄先生からも制作の話をたくさん聞かせていただいた。
全く異なる性質で、場所も違うところで活動されていたお二人は、もういらっしゃらない。そのことがなんとも言えない。私もそれだけ老いたという事実が身に染みる。

現代芸術の前衛をほんの少しの間近くで見ることができたことは、ただただありがたいです。

ここまでで、なつやすみ日記は一旦終わり。

・おまけ
国立科学博物館は、家族連れに揉まれて川で溺れるが如し。
今回のなつやすみのスケジューリングは、東京の友のおかげでした。
感謝。

©️松井智惠                2024年8月16日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?