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「阿倍野の窓女」

 昔、あるところに『阿倍野の窓女』と呼ばれる女がいました。

 宝玉を一つだけ身につけた窓女は、たいそうきれいな女の人でしたので、人々はもちろん、便所虫からタニシやフナ、あじさいに、いちょうの木、菊や豚やねずみまで、窓女のいるところでは、生き生きするのでした。田畑と泥沼のちょうど間のところで、窓女はくらしていました。たらいと布袋をきれいに並べて、色のはげかけた窓わくをいつも持ち、昼はゆりの花を探し、夜はほたるのひかりをあつめて、売っていました。

 たってからの、ある願いごとを頼もうと、あべのでいちばん大きなおやしきのごしゅじんは、窓女をさがして、毎日、ひろいあべのを歩きまわっておりました。たくさんのたべものや、きらきらとかがやくものが、ごしゅじんのおやしきには、あるというのに、何を願うのでしょう。
 海のかなたからきた、おさなごが、ごしゅじんのこどもでしたが、話すことばときたら、やしきのものも皆さっぱりわからずで、毎日たくさんのおとなたちが、あたまをかかえていました。「タァブー」というのが、おさなごのもとの名前でしたが、「青蓮丸(しょうれんまる)」という名をごしゅじんはつけました。すこしでも、あべのの土地になれてほしくて、それに海のかなたのことなど、忘れてほしかったのですから。

 雷神もおとずれる、あべのの泥沼には、青い蓮の花がそれはみごとなまでに咲いておりました。ただし、その様子をみたひとは、とても貧しいくらしをしなければならなくなったので、だれもみようとしませんでした。
たからをたくさんもっている、ごしゅじんも、窓女をさがすたびに、泥沼をみては、貧しくなっていたのです。
 すこしづつ、たからと、おやしきが小さくなっていきましたが、もともとの量が、はかりしれないので、そのことは誰もきづきませんでした。ごしゅじんの、「たっての願い」とは、なんだったのでしょう。おやしきにいるものも、だれも知りませんでした。ごしゅじんの胸のなかだけが、それを知っていたのです。               

 タァブーは、ひとりで毎日あそんでいました。はじめは、ちかくに住んでいるこどもたちも、タァブーに、かんたんなことばをおしえたりしましたが、タァブーは、おぼえられませんでした。話すことばがわからないので、そのうち、こどもたちも、しかたなく、タァブーからはなれていきました。
 ひとりで、ぶらぶらとあるくのが、タァブーはすきでした。道のかたちや、土の色、石や草花は、タァブーのいた国とはまったくちがっていたからです。もちろん、葉っぱや木にいる虫たちも。空のいろも、ちがいました。タァブーのいた国の空は、いちにちじゅう、ほとんど同じいろをしていました。けれども、あべのの空はいちにちで、いろが、どんどん変わっていくのです。

 お日さまは、沼地のほうからでてきて、高い塔のあるほうに消えてゆきました。そのあいだ、タァブーは、みちばたで、ときおり寝っころがって、たかいたかい空をみているのでした。そうすると、土のうえの虫もタァブーのからだのうえをどんどんとおりすぎたかとおもえば、小さな羽をもった生き物が、びゅんと、近づいてきたり、風にのって鳥達もあちらから、こちらへと、とんでいきました。とおくでは、獣がないているのが、きこえます。タァブーは、すこしのあいだ、目を閉じてしあわせなきもちに、なるのでした。もちろん、お日さまのでない日は、みんなきげんがわるくなり、雨がふる日は、虫も、鳥も、獣も、みんなどこかにかくれているのか、でてきませんでした。

 「きょうは、きのうとちがう道をあるいてみよう」と、ある日タァブーはおもいました。いちねんで、どんどんさむくなっていく頃でした。
 おやしきのひとたちは、タァブーが、さむくないように、うさぎの毛でできた、みじかいチョッキを着せました。おやしきのひとたちは、こまっていましたが、タァブーのことをすきだったたのです。ちかくのこどもたちも、タァブーのことが、すきでした。タァブーは、それは、きれいなすがたをしていました。でも、それをねたむひとはいませんでした。タァブーのそばにいくと、海のむこうがわからの、いいにおいがしていたからです。


 さて、ごしゅじんは窓女を探すことに、ますます、いっしょうけんめいになっていきました。やしきのひとたちも、しんぱいになってきました。
「ごしゅじんも、タァブーも、まいにち、どこへいっているのやら」と、番犬のシロは、あくびをしながら、みはりばんをしていました。シロがうつらうつらと、寝はじめたときです。すぅっと、うすい影がシロのよこを、とおりました。シロは、なんといっても、みはりばんですから、すぐにとびおきて、「おまえは、なにものか?」「おまえは、なにものか?」と、二かい続けてほえました。
 「わたしは、窓女です」と、影の先からへんじがありました。「わたしをさがしているお方が、このおやしきにいるときいて、やってきたのです。ゆく先々で、聞くおはなしは、そのことばかりでしたから、なにかよほどのことかとおもったのです。」と、静かに窓女は、シロにかたりました。
 シロは、びっくりしてあしをつっぱりました。ひとのすがたがなかったからです。じめんに、四角い木の窓枠がおちていました。窓枠は、すっともちあがりました。すると、窓枠をもっている手がみえ、だんだんと、ひとのすがたがあらわれました。「これがないと、わたしのすがたは、みえないのですよ、シロさん」と、窓女はいいました。

 ちょうどそのとき、ごしゅじんが帰ってきました。今日も、畑と泥沼のあいだの道を、なんかいもあるきまわったのでしょう、ごしゅじんの着物のいろは、すっかりうすくなって、もようもわからなくなっていました。「あなたは、どなたですか」と、ごしゅじんはおおきな声で、窓女にたずねました。

「窓女ともうします」

 ごしゅじんは、窓女が、まさかおやしきにくるとは、おもいもしませんでした。あれだけさがしたのに、みつからなかったものが、おやしきでみつかったのです。番犬のシロよりもおどろいたのは、いうまでもありませんでした。つかれはてて、ごしゅじんは、窓女に近づけませんでしたが、やっと、話すことが、できました。
 「窓女さん、わたしには、たつての願いがあるのです。わたしは、おとうさんと、おかあさんと暮らしたことが、ないのです。すこしだけおぼえているのは、りょうしんが、暮らしていた家のあたりの様子だけです。それというのも、わたしが生まれて、すぐにりょうしんは、わたしをのこして、その家を出て行ったそうです。もし、生きているのなら、わたしをりょうしんに会わせてください」ごしゅじんは、いくつものなみだを、ぽろぽろと地面におとして、こうべをたれました。

 「それは、できません」窓女は、答えました。ごしゅじんは、こうべをあげて、「お願いします、どうかりょうしんに会わせてださい」と、さけびました。じっと窓女は、ごしゅじんをみつめたあと、「わたしは、そのようなちからはもってはいないのです。ひとびとが、わたしがなにかふしぎな力をもっているように、もうしております。それを、おききになって、信じられたのですね」。
 窓女は、うでにつけたきれいな玉をなでました。「あなたさまの、おはなしは、この玉がうけとめました」。といって、窓女は、窓枠をうごかしはじめました。窓女のすがたが、きえようとしたときです。「お願いだ、りょうしんにあわせてくれ」と、ごしゅじんはおこっていいました。窓女のすがたに、ふしぎなもようがあらわれました。
 「あなたのごりょうしんは、しんでしまったのです。はるかむかしに。それよりも、タァブーと、いっしょになかよくくらしてくださいますように」。そういいのこして、窓女はすっときえました。窓枠もきえてなくなっていました。

 ごしゅじんは、ぼうぜんとなり、その日から、いちにちじゅう、じっと遠くをみて暮らしました。ごしゅじんの目は、だんだんびょうきになり、やがてみえなくなりました。おやしきのなかで、はたらいていたひとたちも、ごしゅじんのようすをみて、いつまでこのおやしきではたらけるかと、心配になりました。ひとり去り、ふたり去り、ごしゅじんと、タァブーのお世話をするひとが、ふたりのこっただけに、なりました。ひろいおやしきも、だんだんクモの巣がおおきくなり、タァブーが、ろうかをはしると、ほこりがまいあがるように、なりました。
 タァブーは、目のみえないごしゅじんにつきそって、そとのみちをあるいたり、ようすをはなしたりするように、なりました。タァブーは、だんだん、あべののことばを、おぼえていきました。

 その日は、ごしゅじんのところへ、となりの天王寺のおやしきのかたが、おみまいにきました。ごしゅじんの、かなしい、むかしの話をしっている、ただ一人のおともだちでした。このかたが、お船にのってとおいくにへ、行ったときに、タァブーをつれてかえってきたのです。タァブーは、天王寺のおやしきのかたに、ていねいにお茶とお菓子でおもてなしをしました。それから、ふたりがはなしだすと、ひさしぶりに、ひとりで外へあるきにいきました。

 畑と泥沼のあいだをとおり、たかい塔のあるほうへあるいていきました。きょうのお客さまのおやしきのちかくにある、お寺のほうへむかっていきました。タァブーは、海をわたって船からおりてから、しばらくは天王寺のおやしきにいたことがありました。毎日、塔のあるお寺であそんでいました。そこは、この国で、さいしょにたてられた、お寺でした。

 天王寺までは、さかみちをのぼっていきました。タァブーは、とちゅうでのどがかわいたので、泥池のみずをのんでしまいました。たくさんのんだので、おなかがいたくなり、とうとうしゃがみこんでしまいました。「おなかがいたいのですか」。と、こえがきこえたので、タァブーはそのほうをむきました。窓女がたっていました。
 「あなたはだれですか」と、タァブーは、おなかをおさえてくるしみながら、たずねました。「わたしは窓女と申します。あなたのすがたは、よく天王寺のお寺でみました。」タァブーは、「わたしは、あなたをみたかもしれませんが、ちいさいころのことなので、おぼえていないのです」。と、こたえました。「うごけないのですか」と、窓女は、たずねました。「はい、池のみずをのんでおなかがいたくなったのです」。
 
 窓女はにっこりして、うでにつけた、うつくしい玉をあけました。玉はふたつにひらくようになっていたのです。中から黒いちいさな虫をいっぴきとりだして、タァブーのくちに、むりやりいれました。「この虫をのみこんだら、いたみはなおります」と、窓女はいいました。タァブーは、虫にはくわしかったので、どくむしではないのがわかり、のみこみました。すると、いたみが、だんだんひいていき、おきあがれるようになりました。
 「もう、いたみがひきました。ありがとうございます。お礼になにかわたしにできることは、ありますか」と、タァブーは、窓女にたずねました。「お礼にはおよびません。あなたのおなまえは、なんというのですか」と、窓女は、ひらいた玉をとじて、いいました。「タァブーと、もうします。こちらの国では、青蓮丸となまえをつけていただきました。」「どちらのなまえでおよびすればよいのでしょう。おしえてください」と、窓女がたずねました。
 タァブーは、いっしゅん迷いました。ずいぶん前なら、「タァブー」とよばれたときしか、返事をしませんでした。ごしゅじんが、目が見えなくなってからは、「青蓮丸」とよばれたときにも、返事をするようになっていたからです。ごしゅじんの、あべのになれてほしいと、おもう気持ちは、つきそってあるいているうちに、わかってきたのです。しかし、ここは「『タァブー』とよんでください」と、返事をしました。
 窓女は、「めずらしい、なまえだこと。あなたは、海の向こうからきたのですね。わたしも、そのなまえのあるところへ、行ったことがあります」と、いいました。タァブーは、海のむこうの国をしっているときいてからは、窓女とすっかりうちとけて、ここへきてからのことや、畑と沼地のようすをはなしました。窓女も、ずっとわらいながら、ときおり、海のむこうのことばで、タァブーに、天王寺やほかのところや、タァブーの知らない国々のはなしをしました。ふたりは、天王寺のお寺までそうやっておしゃべりしながらあるいたので、あっという間にお寺の門につきました。

 「塔のうえにのぼりましょうか」と、窓女はいいました。タァブーは、のぼったことがなかったので、よろこんでながい階段をかけあがりました。窓女も、ちからづよく、ずんずんのぼっていきました。塔のいちばんうえに、ふたりはいました。回廊をまわってみると、いろんなものが、ちがってみえました。あべののようすも、ちがいました。虫や、葉っぱはみえませんが、かわりに、みちのまがりかどや、いけのかたちが、絵にかいたようにわかりました。
 お日さまが沈んでゆく方は、お寺をでてすぐでした。そこはもう、海でした。タァブーが、のってきた船がとうちゃくした港も、みえました。あべのと、はんたいのほうには、森がありました。もりのあいだをぬって、川がうみまで続いていました。海のはんたいがわは、とおくに山がみえ、さえぎるものがなく、湿地に草花がさいていました。タァブーは、たのしくて、なんかいも回廊をくるくるまわったので、どっちがおやしきのあるほうか、わからなくなりました。「窓女さん、もう日がしずむので、かえらなければなりません。どちらの方にむかっていけばいいのですか」と、タァブーは、たずねました。

 窓女は、指をさしていいました。「あの白くひかっているところをよくみてごらんなさい。あれは、青い蓮の咲いている泥沼です。」「青いものが、どうして白くみえるのですか。私の知らない白い蓮の泥沼に見えます。」と、タァブーは、いいました。「続きは、またおはなししましょう。あなたのおやしきの、ごしゅじんさまが、しんぱいなさっているころですよ。おやしきのところまで、ごいっしょしましょう」と、窓女はいうと、タァブーをからだに引きよせて、窓枠の中にいれました。
 タァブーのにおいと、窓女のにおいは、おなじでした。窓女は、さっと、からだのむきを、かえました。きがつくと、タァブーは、ひとり、おやしきのまえにたっていました。「シロ、きょうは、なつかしいものと、あたらしいものをみたよ」。

 それから、タァブーと窓女は、まいにち会うようなりました。窓女といっしょにいるときは、タァブーは、おやしきのごしゅじんのことを、わすれていました。タァブーは、青蓮丸という名前をつけてくれたはなしを、窓女にしました。窓女は、じっと腕の宝玉をみていました。そして、ゆっくりといいました。
 「もう、わたしはタァブーとあうことはありません」タァブーは、きょとんとして、そのあとは、なぜかわからないので、「どうしてなのですか」と、くりかえすばかりでした。「おやしきの、ごしゅじんさまのところで、くらしてください」と、窓女の声が小さくなり、すがたもきえてしまいました。
 タァブーは、かなしくて、なきじゃくるしかありませんでした。まわりにいる虫や、蝶が寄ってきても、ふりはらい、やがて、けものの声でさけびました。「りょうしんにあいたいのです。あなたなら、わたしのくにのこともしっていたし、いつかいっしょに、船にのろうとおもっていたのです。あなたは、何者なのですか。その窓枠があれば、あなたとあえるのですか」。

 おやしきでは、ごしゅじんが、タァブーの帰りをまっていました。「ただいまもどりました」と、いうこえを聴いて、ごしゅじんは、おどろきました。「なにか、あったのかい青蓮丸」と、おもわず、タァブーの肩に両手をおいてひきよせました。「なにもありませんでした。きょうもいつもの道をあるいていたのです。」と、タァブーは、かすれた声で言いました。ごしゅじんは、くろうをかけているのではと、いつも青蓮丸をきづかっていました。ですから、すこしくらい、タァブーがおやしきから、はなれていてもしかたないとおもっているのです。
 ごしゅじんは、タァブーのかおりが、はじめてあったときのようだと、おもいました。「あしたは、ごしゅじんさまと、ごいっしょします。どこへいきましょうか」と、タァブーは、息をひとつはいていいました。「つかれているようすだから、やすみなさい、青蓮丸。あす、きめればよいことだろう」と、ごしゅじんはタァブーをやすませました。「おまえがいてくれて、それでじゅうぶんなんだよ」ほこりのついた床に、ごしゅじんは、横になり、ねむりました。

 よくあさ、ごしゅじんは、タァブーがおきてこないので、やしきにのこったものと、タァブーの寝床へいきました。タァブーは、息をしていないかのように、じっとしていました。「青蓮丸や、ねているのかい」と、ごしゅじんは、タァブーのからだをゆすりました。タァブーは、泣きはらした目をあけ、ごしゅじんさまのかおをみました。そして、なにか口をうごかしていました。

タァブーは、声がでなくなっていたのです。

 空はうすく、くもっていました。それは、ごしゅじんさまには、見えませんでした。風がふいていました。それはごしゅじんも、タァブーも、かんじることができたので、わかりました。寒くなるとこまらないように、おやしきにのこったひとは、うさぎの短いチョッキを、タァブーにきせました。タァブーとごしゅじんは、いっしょに、外へでました。

 「青蓮丸よ、どうしておまえは声がでなくなったんだろう。どうして、わたしは、目がみえなくなったんだろう」と、いつもよりゆっくりあるきながら、ごしゅじんは、はなしかけました。タァブーは、ごしゅじんの方を見ずに、じっと前を見ていました。ちょうど、畑をよこぎって、青い蓮のさいている泥沼のところにやってきました。タァブーは、まだ、おやしきがりっぱだったころに、ひとびとが、この泥池をみると、貧しくなると、はなしていたのを、おもいだしました。
 タァブーは、そのときに、会うひとに、必ずたずねたものでした。「どうして、泥池をみると、まずしくなるの」と。どのひとも、「青い蓮の花はほんとうにきれいだろう。わたしたちも見たい。まいにちあの泥池のまえで、すごせたらどんなにしあわせだろうか。でも、そうすると、こころが泥池でいっぱいになって、そのことばかり。働けなくなって、しまいには、びょうきになってしまうんだよ。青い蓮は、なにもしていない。そこにさいているだけなんだがね」と、話しました。ごしゅじんと、タァブーは、まったくそのとおりになってしまったのです。


 しばらくあるいたところで、ごしゅじんは、「つかれたから、ちょっとやすませておくれ」と、地面にすわりました。タァブーは、いっしょにこしをおろしました。すると、きのうの、窓女とのわかれのくるしみが、蘇って来ました。声にはでないので、タァブーは、なんかいも息をすったりはいたりしました。歯をカチカチかみあわせて、足をゆらしていると、はるかかなたに、窓枠が、いっしゅん見えました。タァブーは、ひとりで、はしりだしました。
 もうれつないきおいで、タァブーは、はしりました。そのせいで、風がつよくなってきました。窓枠はきえましたが、タァブーは、そのままむかっていきました。気がつくと、そこは、いぜんタァブーがよく寝転がって空を見ていたところでした。でも、うさぎのチョッキは、ちいさくなり、毛がぬけて、みすぼらしくなっていました。走って暑くなったので、うさぎのチョッキを地面においてタァブーは、すわりました。寒がりの虫たちがまわりにあつまってきました。小ねずみがでてきて、チョッキの上を転がり回りました。かわいい小ねずみでしたので、タァブーは、小ねずみを手のひらにのせて、じっと見ました。
 「このチョッキは、おまえと、そのきょうだいと、りょうしんとで、使うといいよ。これから寒いきせつになるからね。」そういって、タァブーは、チョッキを残してたちあがりました。
 あるきはじめると、みちがどんどんせまくなり、山のなかに、はいっていきます。「ここは、はじめてきたところだ。でも、いってみよう」と、あしを前へすすめました。山の地面にしろいゆりのはなが、いっぱいさいていました。タァブーは、みちがまがるごとに、ゆりの花を手折っていきました。きがつくと、タァブーは、うで一杯に、ゆりのはなをだいていました。

 とつぜん、窓女の声がしました。「ごしゅじんさまを、おいてここまできたのですね」窓女はタァブーのうでの中から、するりとぬけでてきました。タァブーは、声にならない名前をよび、うなづきました。そして、しろいゆりのはなを、窓女にわたしました。
 窓女はタァブーが声がでないのに気がつきました。泣きながら、ちかづいてくるタァブーに、ほほえみもしませんでした。手にした窓枠を身体にちかづけようとしました。タァブーは、よくふたりで遊んでいたので、窓女がすがたをけそうとしているのが、すぐにわかりました。タァブーは、窓枠をうばいとりました。うでの宝玉だけになった、窓女の目から、涙がこぼれました。「わたしの窓枠を返して下さい。おねがいします。」タァブーは、くびをよこにふりました。「おねがいです、返してください」窓女の目からは、なみだがどんどんあふれてきました。タァブーは、くびをよこにふりつづけました。「しかたがありません」と、窓女は、置いていた、たらいのなかに、しろいゆりのはなを投げ入れ、布袋をひろげました。

 窓女は、ひろげた布から、みたこともない宝玉でかざられた、獣の爪をとりだして指にはめ、すかさず、じぶんの右肩にくいこませました。
窓女のからだの皮が、するりとかたちをのこしたまま、地面に落ちました。宝玉は、地面をころがっていきました。タァブーは、目の前の窓女が、ただの肉のかたまりになったのを見て、ひめいをあげましたが、声になりません。からだじゅうがぶるぶるふるえだしました。

 「これが、ほね」、「これが、筋」と、窓女は静かにせつめいしていきました。「これは肺」、「これは子宮」、「これは胃」、「これは精巣」、「これは心臓」と。そして、血管や、そのほかの、からだのなかの液体を、流れるように、爪でたどりました。爪でたどられたくだは裂け、液体がながれだしました。赤い赤い血が、窓女の足下にたまっていきます。タァブーは、窓女にだきつき、血だらけになりながら、泣きました。窓女から窓枠をとりあげたからです。
 タァブーも、目から、鼻から、尿道から、液体をながしました。口からも、胃にたまっている液体があふれて、唾液と混ざり、地面にながれだしました。ぜんしんから、塩のあじのする液体が、どっとあふれて、窓女の足下でどんどんたまって、赤いみずたまりになっていきます。タァブーのからだが溶けそうになったとき、きらきらと光る宝玉がなげこまれました。

 ごしゅじんは、ずっとタァブーの後をあるいてきたのです。めがみえなくても、タァブーのにおいで、ごしゅじんはついていくことができました。宝玉は、タァブーの目にあたり、片方の目がみえなくなりました。窓女のあたたかい血のなかで、溶けかかったタァブーの目の痛みは、いままでおぼえた痛みと、混ざりました。そして、やがて、うすらいでいきました。
 タァブーの目は開きました。ごしゅじんがなげた窓女の宝玉をひろって、あしもとの、赤い水たまりを、ぐるぐるかきまぜました。夜がちかづいてきて、タァブーは寒くてふるえていました。それでもタァブーは、溶けてしまった窓女とじぶんの液体をかきまぜていました。疲れてタァブーは、ねむってしまいました。

 目をあけると、タァブーは、うさぎのチョッキを着ていました。窓女のすがたは、なくなっていました。すっかり目覚めたタァブーは、窓女の残した獣の爪で、窓枠にきずをつけ、赤いみずたまりのなかに、いれました。はげかけていた窓枠は、うすく赤いいろにそまり、あたらしくなりました。
 ごしゅじんは、すぐちかくで、物音をきいていました。なまなましいにおいが消え、タァブーのよいかおりが、してきました。「タァブーよ、さあ、かえろう、おやしきへ」と、ごしゅじんは、タァブーをうみのむこうのくにのことばで、よびかけました。タァブーは、うなづきました。

 タァブーとごしゅじんは、窓女の残したものを布袋にまとめ、たらいと一緒に、元の場所におきにいきました。畑と泥沼のあいだのところです。山をおりるときに一本だけ手折った、しろいゆりを、ごしゅじんは、布袋の上におきました。タァブーは、じっとして動きませんでした。
 ごしゅじんはいいました。「もう、おまえは、何もはなさなくてもいいのだから、そのまま暮らしておくれ。なまえも、タァブーにしよう。」
「窓女さん、おとうさんが、ああいってくれています。わたしは、青い蓮の泥沼でまっています」と、タァブーは、はっきりと、大きな声で言いました。
 ごしゅじんは、タァブーが、話すので、びっくりしました。「声が出るようになって、ほんとうによかった。でも、青い蓮の泥沼へいくのは、もうやめておくれ。青い蓮をのぞきこんで、おまえまで失うと、わたしには何もなくなってしまう」と、見えない目をじっとあけたまま、タァブーに話しました。「青蓮丸は、おとうさんのところへ、帰ってまいります。どうか、先におやしきでまっていてください。」おとうさんは、青蓮丸を信じて、おやしきに戻るしたくをしました。「気をつけるんだよ、くれぐれも」。
 
 青蓮丸は、泥沼に入って行ききました。池の生き物には、虫たちがすべてを知らせてくれていました。「窓女は、花の中にいるよ」と、みんな一斉に答えました。青蓮丸は、生き物たちがおしえてくれた蓮の花を、のぞきこみました。はなびらの、青いいろのなかに、空の虹も羨むほどの、ひかりがありました。そして、しろくひかっていました。
 天王寺の塔のうえからみた泥沼のしろい光と、おなじでした。「タァブー、また、わたしをみつけたんですね」窓女が、花の中からでてきました。「青蓮丸と、これからおよびください。なにかをえるときには、なにかを手放さなければなりません。窓女さんは、なにを手放したのですか」と、青蓮丸はいいました。「これです」と、窓女は窓枠のなかに手をさしのべて、つづけました。「わたしは、風景をなくしたのです。ですから、これから、この泥沼に来ても、だれも貧しくなりません。」

 おやしきに、青蓮丸は帰りました。
 「おとうさん、今、かえりました。あすはどこへおでかけですか」
 「ひさしぶりに、海までいきたい気がする。船がみたいのだ」
 「それでしたら、いっそ、わたしのふるさとの国へまいりましょうか」
 「シロが、さみしがるのではないかね」
 「シロも、もちろんいっしょです。おやしきにのこっている方たちも、ごいっしょにまいりましょう」

 青蓮丸とおとうさんたちは、高い塔のあるお寺へ行き、天王寺のおともだちに見送られながら、船の旅に出ました。

これで、物語は、おしまいです。


 ©松井智惠 筆     2011年2月28日発行 「大阪観考」掲載
             大阪市・財)大阪観光コンベンション協会

注)「青蓮丸、西へ」が始まる前の丹徳と青蓮丸のお話です。

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