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新幹線はいろんな想いを乗せて、今日も走る。


23年前。

いわゆる無職、フリーター、経歴なしの私は、ひかり号のデッキに立っていた。

東京で、システムエンジニアになるために。

コンピューターが何であるかもわからず、
だけど、画面の向こうのつくる側の人になりたいという気持ち、
技術を身につければ、一生食べていけるというもくろみ、

そんなこんなで、何とか父のツテを頼って、何とか社員の端っこに入れてもらいスタートラインに立っていた。


一人前になるまで、帰らない、そんな決意で最低限の荷物だけ持って新幹線に乗っていた。

窓から見える建物が、どんどん高くなっていく、そんな景色を見ていた。




それから23年の月日が流れた。

私は、今、自分の会社を経営している。と言っても、シャチョーと2人だけの小さな会社だけれども。

だけど、何とか続いている。7回目の決算も終わり、数年前からようやく黒字になった。




たくさんの人が使うシステムをつくる側の人間になっていた。

憧れた画面の向こう側だ。そこでは、素晴らしいこともたくさんあり、苦しい辛いこともたくさんあり、挫ける時もたくさんあった。



私はこの仕事が大好きだ。大好きになるように、ずっと進んで選んで時に止まって、また進んできた。




ありがとう。

なんとか頼った父のツテ。


父は、たくさん頭を下げて頼んでくれたんだと思う。

嫌だったかも、しれない。その時の私は、何一つできることはない、社会人としても未経験の若者だった。


東京に到着して、私は、私を採用してくれた会社に行った。

社長さんが、


本当なら、未経験者の採用なんてしない。
けど、健ちゃん(父の名前)の娘なら、大丈夫だろうと僕は信頼して
採用したから、頑張れよ。


というのを聞いて、父は信頼を裏切らない仕事をしてきたんだろうと思った。




私は、今、のぞみ号に乗っている。


新幹線はいろんな想いを乗せて、今日も走る。


これが最後かもしれない父を見舞いに。

痩せ細って、小さくなってしまって、ほとんど喋れない父を見て、ただただ涙が出てきた。


どうしていいのかわからなかった。

毎日面会はしても、ほぼ眠っている状態の父に一言だけ伝えてきた。



ありがとう。
私がエンジニアになれたのはあの時のパパのおかげ。
私の天職だと思う。
ありがとう。


細くなった左手で、OKマークを作って、かすかに何か言ってた。




父が仕事で得た信頼を裏切らないように、私も仕事を続けよう。


ずっとずっと続けられる限り。


暗い窓がどんどん明るくなってくると、東京駅だ。
今日も走る。新幹線はいろんな想いを乗せて。


#天職だと感じた瞬間

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