見出し画像

Twitterじゃリアルワールドに勝てない

 こんにちは、Bodayboと申します。読み方はボダイボです。最近は弟と居間で海外ドラマに釘付けですが、アマゾンプライムにて配信中の「lain」を一気見しました。ゲーム版はバッドエンドだってことは知っていましたが、アニメはハッピーエンドでしたね。

 現実と仮想世界の境界を壊した玲音が、「現実の肉体は必要あるのか?」と自問自答する描写がとても印象的だった本作。リアルとネットの境界が狭まり続ける昨今において、「現実」の尊さをこれ程までに考えさせられた作品には初めて出会いました。しかも98年のテレビアニメなんだから驚きです。

 本作での玲音の理屈として、記憶というものはとても曖昧で、人に覚えられていなければ自分は存在しないも同然。記憶はただの記録にすぎないので、嫌な記憶は書き換えれば良い。肉体を失って神になれば良くね?という考えを持ちながら、何故かかつての親友にだけは嫌な記憶の書き換えを行わない玲音。
 自問自答する中で、ワイヤード(ネットの世界)では情報を共有するだけの機能しかなく、新しい情報が流れる機能はなかった。つまり、現実での記憶は単なるレコーダーではなく、今や未来を生み出す力があると解釈し、ハッピーエンドとなります。
まぁ何をもってハッピーエンドとするかは人それぞれですが。

 作品を鑑賞する中で、記憶を簡単に書き換えることが出来るようになれば、本当にネットの世界のみで生きることが可能になるのではないか?と考えましたが、現実でしか時は流れないという、なんともルルーシュ的な考えに論破されました。

 確かに、長年生活の中心がインターネットの私が人間的に成長したと実感する場面は、現実での出来事が大半ですね。
 ここで私の中にある疑問が生まれました。それは、ネットでの有名人はリアルで幸福なのか?ということです。

 もちろん今現在ではまだリアルとネットの境界は壊されていないので、TwitterのTLにも時間は流れています。 
今ではフォロワーが多ければ仕事が舞い込む時代です。動画投稿や執筆、漫画にPR等と、もうインフルエンサーが立派な職業として成り立っている訳です。
 ですが、彼らは本当に幸せを実感しているのでしょうか?玲音のように、ただ情報を共有する世界に自らの時間を削って、情報を流し続ける行為に虚無感を抱いているのではないでしょうか?

 僕のように大してバズったこともないしょうもないオタクですら、日常生活において虚無感を抱く場面は多々あります。僕は彼らのように仕事で忙しい訳ではないですが、それならなおさらですよね。
 僕は単純に「働いていない」ので虚無感の正体も自己責任なので仕方がない、と消化していますが、彼らにっとてはそれが仕事で、辞めるに辞められない訳ですよ。

彼らにとってはチーズバーガーを20個積み重ねた上に蝋燭を突き刺したりだとか、スライムに画鋲を1000個投入したり、カラーコーンを頭に被る行為が全て仕事なんですよね。楽な仕事だと捉えるかは人それぞれですが・・・

 有名な話で、年収で感じる幸福度のピークは900万円というものがあります。有名Youtuberはとっくの昔に超えているだろうし、そうなると金銭以外の仕事に対してのやりがい、アイデンティティーを確立する何かが必要になる訳です。それをなくしてセイキンがあの虚無感満載の動画をほぼ毎日編集・投稿しているのだとすれば、本当に怖いですね。結婚して子供まで居ることが不思議でしょうがない。
ビル・ゲイツが慈善活動を行う感覚に似たようなものが、彼らインフルエンサーの中には存在するのかもしれませんね。

 ネットはリアルに絶対勝てないぞ!というnoteにしたかったのですが、人類の生み出した強力な武器であることは確かで、上手に扱える人間が日の目を浴びている現実を直視すると
あれ?じゃあ一体俺はなんなの?
と虚無感で胸がいっぱいになりました。フォロワーで負けて、リアルでも負ける。それが私です。

次世代では、僕に合った武器、待ってるよ~

冴えないオタクに幸を