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「自分と相手は違う」という認識


前回に引き続き、2021年の振り返り、思い出しを。



2020年の年末頃に結婚をした。1年間過ごしてみて。

学生時代に考えた所謂「結婚生活」とは多少イメージは違うものの、
カルチャーショックを受けるほどでもなく、あっさりとした感じだ。
書類を出したら、婚姻契約が結ばれるんだもん。

責任がどうとか、あるかもしれないけれど、子供もまだだから実感は薄いかもしれない。「俺が食わしていくんだ!」ってほどの活力に至っていない。(一般的には一緒になりたくない類の人間かもしれない。笑)

今考えるとよく一緒にいてくれるなと、感謝しかない。
お互いにそういうスタンスだから、10年も一緒にいて、結婚とかっていうところに至れるのかもな、とも。


これが絶対とは全く思わないけど、長い付き合いで学んだこととしては、
適度な距離感と自分とは違うということを認識することだと思う。


個人的には、自分の時間が凄く大切だと感じていて。というか好きで。
誰かと一緒にいる時間も大切だけれど、一人で作業したり、本を読んだり、ぼーっとする時間が余裕を作り出す時間になっているのかなと。
余裕がなくなると感情的になったり、周りが見えなくなってしまうこともあって。


どんな感情も波があると思っていて。仮にどんだけ好きって思っていても、落ち着く場面があって、その時は自分を優先したいなーなんて思うタイミングが来ると。

そういう時があるんだなって理解があるのと無いのとでは、心の平穏さが違いますよねお互いに。笑

逆に理解を得られないのであれば、無理して一緒にいる必要もないし、その程度なんだなって割り切ってしまうのも一つなのかなぁと。


その関係性や相手への理解という流れから、「自分とは違う」というのを認識すべきだと思う。

何もこれは恋愛とかそういうのだけではなく、人間関係全般に言えることだと思う。会社の上司と部下とか、親と子とか。
血が繋がっていようがいまいが、自分以外はみんな他人だ。
本当に同じ気持ちになったり、同じ経験をすることは難しい。

だから相手を思い通りに動かすことなんてできない。相手も人間だ。
ロボットじゃない。アクセサリーでもない。

その人を思ってやったことだって、その人は望んでいないかもしれない。
距離が近すぎて、そもそも相手が自分の所有みたいな感覚だと、そうしたことに気づくことができずに、勝手にイライラして言うのだ。
「なんでわかってくれないの。」

そりゃそうだ。分かろうとしていないのはあなた自身なのだから。

相手は自分とは違う人間である。故に、期待や思った通りの行動をすることはあり得ない。たまたまシンクロしていれば、ラッキー。

そのくらいのスタンスでいれば、依存も強制もないし、ストレスもそこまでかからないのでは?



とまぁ言ってみたものの、常にそんな理性的でいることもできないよね。
それがすごく人間的な営みだと思います。
経験に勝るものはないだろうから。

また10年、もう10年と深みと余裕のある人間になっていきたいですね。

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