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月の砂漠のかぐや姫 第30話

「むう、おおげさだなぁ。二人で夜に駱駝を探しに行ったときに夜風に当たったせいで、風邪を引いただけじゃない。高熱で気分が悪くなって動けなくなっていたところを、大伴殿に助けられたんでしょ。それは・・・・・・、わたしだって、寝込んじゃった羽のことが、すごく心配だったけどさ」

 少し恥ずかしそうに下を向きながら、羽の身体を心配していたことを告げる竹姫でした。
 でも、その言葉の後ろ半分は、羽の耳には届いていたものの羽の心には届いていませんでした。それは、竹姫が始めに口にした言葉が、あまりにも衝撃的だったからでした。

 「風邪を引いただと? 今、竹は風邪を引いたと言ったのか?」

 羽は、自分の耳を疑いました。自分たちはハブブに呑み込まれて、意識を失っていたのではないのでしょうか。大伴が砂漠から連れ帰ってくれたことには間違いがないのでしょうが、まったく予想もしていなかった「風邪を引いた」との言葉が、どうして竹姫の口から出てくるのでしょうか。

「えっ、竹、今なんて言ったんだ」
「あ、痛いよっ。どうしたの、羽」

 知らず知らずのうちに、羽は竹姫の両肩を強くつかんでいました。
 竹姫の言葉に我に返り、謝りながら手を離す羽でしたが、それでも、もう一度、問いたださなくてはいられません。「風邪を引いた」とは、一体どういうことなのでしょうか。羽は興奮しすぎないように、苦労して自分を抑えながら、言葉を選びつつ竹姫に問いました。

「さっき、風邪を引いたって言ったよな。あれは、どういう意味なんだ」

 竹姫としては、自分の何気ない言葉に、どうして羽がこれほど興奮するのかわかりませんでした。
 どういう意味も何も、そのままの意味なのに。ただ、何日も寝込んでいた羽の心配をしているだけなのに。
 竹姫は、羽の視線の強さに少し及び腰になりながら、小さな声で答えました。

「どうって、そのままだよ。この間の夜、砂漠に駱駝を探しに行ったでしょう。ちゃんと見つけたはいいけれど、夜風に当たったのと安心して疲れが出たせいで、二人とも高熱を出して、砂漠で動けなくなってしまったって。だって、わたしが目が覚めたときに、大伴殿がそう教えてくれたよ。羽は相当疲れがたまっていたようだから、まだ、熱を出して寝込んでいるが心配ない、とも言ってた」

 そう話しながら、竹姫の視線は、羽の顔から身体、地面へと下がっていきました。そして、最後に、上目遣いに羽の顔を見ながら、付け加えました。

「違うの?」
「違う、違うよっ、竹。全く違うっ」
「痛い、痛いよっ、羽」

 羽は、興奮して再び竹姫の両肩を掴んでいました。また竹姫が痛いと訴えますが、もう、羽にとってはそれどころではありませんでした。

「なんでそうなるんだよ。竹、俺と一緒にバダインジャラン砂漠へ行ったろう。あの時にハブブに襲われて大変な目に合ったじゃないか」
「え、ハブブって? わたし、砂漠には行ったみたいだけど、ハブブには襲われてないと思うよ。ハブブって、ものすごい大砂嵐でしょう、そんなものに出会ってたら覚えてないことはないと思う」
「馬鹿言うな、俺と一緒に駱駝に乗って逃げたのは、ハブブから逃げるためじゃなくて何のためなんだ。じゃあ、なにか、あの場所で俺と話したことも、みんな無かったことなのか」
「話したことって‥‥‥」
「俺と一緒にいろんな話をしたじゃないか。星空を見ながら、昔の事やこれからの事、そう、夢についてだって話したじゃないか」
「痛いっ、手を離してよ、羽」

 竹姫の肩を掴んだ羽の両手にさらに力が加わり、竹姫が悲鳴を上げました。さすがに羽は手を離しましたが、その両手は強く握られて身体の横で震えていました。
 羽にとって、砂漠の中で竹姫と話し合った時間は特別な時間だったのでした。自分の過去の思い出やこれからの希望を話し、竹姫のそれを聞きました。羽は、お互いが飾らずに話せたあの時間が、自分にとってそうであったように、竹姫にとっても特別な時間であったと思っていました。
 そのような大事なことを、まさか、竹姫は忘れてしまったとでもいうのでしょうか。
 それに「竹姫が行きたいところ、どこへでも自分が連れて行ってやる」という言葉は、羽の心の底から出たもので、初恋の女性への告白とでも言うべきものでした。竹姫はそれを「嬉しい」と受け入れてくれて「約束ね」と言ってくれたはずです。
 二人は、お互いに大事な存在になったのではなかったのでしょうか。そう、そして、その約束の証として、羽が竹姫に贈った大事なものがあったはずです。

「竹、大事なことなんだ、しっかり聞いてくれ」
「大事なことって、なんのことなの」

 竹姫は、痛む両肩をさすりながら、それでも、一生懸命に羽の言葉の意を酌み取ろうと耳を傾けました。
 今日の羽はおかしいのです。いつもはこんなに乱暴な振舞いをする人ではないのです。いったい何が彼をこんなに興奮させているのでしょうか。そして、どうして彼はこんなにも寂しそうで、哀しそうな眼をしているのでしょうか。
 竹姫にとって、羽は文字通り余人をもって代えがたい、最も親しい人です。その羽をこんなにも哀しませているものは、一体何なのでしょうか。

「いいか、竹」
「うん、聞いているよ」
「俺が、竹に贈った名は覚えているよな。二人だけの秘密、だものな」
「二人、だけの、秘密?」
「ああ、そうだ」

 羽は竹姫の眼をじっと見つめていました。その眼には「覚えていると言ってくれ」という、懇願の色さえも見て取れました。
 そして、竹姫は。
 ああ、竹姫は、その眼の前に凍り付いたのでした。


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