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月の砂漠のかぐや姫 第8話

「そうなんだよ、竹、駱駝だよ。多分、俺が結わえた前足のひもが緩かったんだ。ここらには見当たらないから、あいつ、どこか遠くまで餌でも探しに行ってしまったのかも知れない」

 悔しそうに下を向きながら話す羽の言葉を、大伴が引き継ぎました。

「そうなんです、竹姫。おそらく羽の言う通りどこかに行ってしまったと思いますが、あいつを探すにしても、どこを探したものか手掛かりがないのです。まだ、ここにきたばかりで、今年の草地の状況もわかりませんし。とはいえ、竹姫もご存知のように、駱駝は貴重なもの。万が一、狼に襲われたり、野生の駱駝の群れに戻ってしまわないように、早急に探さないといけないのですが」
「あの、わかります、わたくし、わかります」

 深刻な表情を見せる大伴に、竹姫は勢いよく話しました。何やら、思い当たることがあるようでした。

「どうしました。竹姫」
「わたくし、見ました。なにか引っかかることがあったんですけど、いま気が付きました。あの駱駝の赤です。赤なんです」

 始めは、背伸びして大伴に話しかけんとするような竹姫の勢いに押されがちな大伴でしたが、彼女の話を聞くうちに真剣な表情に変わってゆきました。
 竹姫は、水汲みに行った際に、オアシスの周囲を見渡していました。その時に、小さな違和感があったものの、それが何かわからずに忘れていたのですが、今つながったというのでした。
 大まかに地形を捉えると、オアシスを挟んで宿営地がある側にはゴビが広がっており、そのところどころでは草地と呼べるほどに草が生えていました。一方で、反対側は同様にゴビが広がるもののその奥は砂丘になっていて、棘に守られたアカシアの木やラクダ草が、ところどころに点在しているのでした。
 竹姫の感じた違和感とは、オアシスを挟んだ向かい側、つまり、ゴビと砂丘が混在しアカシアの木とラクダ草が点在する、ゴビの赤茶と砂地の白黄そしてアカシアとラクダ草の灰緑の世界に、何かの赤色があったということでした。そして、今考えると、おそらくその赤はラクダの首に巻かれた敷布の赤だと思われるというのでした。

「なるほど、砂丘の方になるとここからかなり離れてはいますが、あそこにはあいつらの好むアカシアなどがありますから、十分考えられますね」

 大伴は竹姫の話を聞いて深く頷きました。遊牧民族の財産は家畜の数で数えられるほどですから、駱駝は貴重なものです。ましてや、放牧のものではなく騎乗用として訓練を施したもの、それも、竹姫の騎乗用として使用するほど気性の良いものとなると、万が一に備えてすぐにでも探しに出たいところでした。

「すみません、父上。俺の失敗です。俺に探しに行かせてください」

 その大伴に、羽が真剣な顔で頼みました。駱駝の足を結わえるなどは、遊牧の際の基本的な動作であり、羽は何とか自分でその大きな失敗を取り返したいと願っていたのでした。
 大伴は、自分の長男である羽に近づき、その顔を正面から見つめました。
 まだ成人を迎えていないとはいえ、多くの遊牧の経験があるしっかりとした少年でした。また、大伴には、自分の後継ぎとして、羽に大きな荷を背負ってほしいという思いもありました。ここでの経験は、少年を大きく成長させてくれるかもしれません。大伴は、羽の視線の力強さを確認すると、決断を下しました。

「わかった」

 おおっと幾人かの男たちから驚きの声が上がりました。なぜなら、彼らは大伴本人が駱駝を探しに行くと考えていたのでしたから。

「羽、おまえに任せよう。竹姫から駱駝を見かけた場所の詳細を聞いて、お前がそこを探してくれ。我々は、あいつが移動していることも考えられるので、手分けしてこの周囲を探すことにする」

 大伴の言葉を聞いて、羽は深々と頭を下げました。失敗をした自分に対して汚名返上の機会を与えてくれるやさしさと、大事な財産を探す責任を負わしてくれる信頼を、羽は大伴から感じたのでした。
 大伴が危惧するとおり駱駝が移動してしまう恐れも十分にありますから、ひとたび方針が決まれば行動は早い方がいいのはもちろんです。
 皆は、一頭の駱駝に水や松明などの当座に必要になりそうな備品を載せ、轡や敷布などの準備を整え始めました。もし砂丘に入る必要があるのならば、十分に用意をしておかないと、命に係わる恐れがあるためでした。

「それで、竹、具体的にどっちの方に駱駝が行ったのか教えてくれ」

 目的地を定めるために竹姫に尋ねた羽でしたが、竹姫のあっけらかんとした返答に驚かされることとなりました。

「わからないよ」
「ああそうか。いや、わからないって」

 あまりに普通に返答する竹姫に、思わず普通に反応してしまう羽でした。先ほど竹姫本人が駱駝を見かけたと言っていたはずなのに、わからないとはどういうことなのでしょうか。

「なんて言っていいかわからない。わたし、初めて来た場所だし、どう説明すればいいか。だけど」
「確かに、な」

 思わずしかめっ面をする羽でした。竹姫の言うことももっともでした。
 遊牧の経験のあるものなら、夜は北極星、昼は山や岩の位置などから大体の方角は割り出せます。また、お互いに、目印となるオアシスや岩山の名前などを共有しているため、「どこそこの西側から何々の方角へどれくらい行ったところ」などの説明は可能です。ですが、竹姫にはそのような知識はないのですから、せいぜい言葉で伝えられるのは「オアシスの向こう側に駱駝のものと思われる赤色を見た」というぐらいなのでした。

「だけど、あの場所へ行けばもっと詳しいことは言えるよ。どっちからどっちへ歩いて行ったかも、多分わかると思う。ねぇ、羽。わたしも一緒に行く。わたしも駱駝を探しに行くよ」

 思いがけない竹姫の提案でした。竹姫は大伴の顔を、「いいですよね」と少し心配そうな表情で見上げていました。確かに竹姫の言う通り、実際に駱駝の姿を見た者がその場所で方向を示した方が、わかりやすいことは間違いありません。
 竹姫は、羽の大事な行動に少しでも力になりたかったのでした。そして、羽と一緒ということであれば、これから夜が深くなっていく砂漠に、二人で分け入っていくことについての恐ろしさや気後れも、全く感じることはないのでした。
 自分の息子である羽については即断できたものの、竹姫に関しては、さすがの大伴も即座に判断は下せませんでした。しかし、時間をかけて考えることはできません。
 大伴は翁の言葉を思い出しながら決断を下しました。

「判りました。ですが、決して危ないことはせず、羽の指示に従ってください。羽、わかっているな」

 大伴は、竹姫が羽と共に駱駝を探しに出ることを許す決断をしたのでした。
 もちろん、駱駝探索の成功という財産的な問題と竹姫にかかる危険との軽重を考えての事ではありません。ここで断りを入れた場合の竹姫の心情、羽に期待するのと同じようなこの機会を通じての成長、それらと、この探索に伴う危険とを考慮しての判断でした。

「わかっています。父上」

 羽は、気心の知れた同行者が急に決まったことで、少しほっとした様子も見せていたのですが、大伴の言葉にもう一度背筋を伸ばしました。

「大旅行になるわけではないが、念のため水と明かりは多めに用意しておいてくれ」

 大伴は、駱駝の準備をしている男の背を叩き声をかけると、竹姫に安心させるように話しかけました。

「貴方は幸運ですな、竹姫。今日は晴れていて月星も輝いている。天幕から離れても目が慣れてきたら闇夜に溺れることもないでしょう。それに、探す場所の見当もついているのですから、逃げた駱駝もすぐに見つかるでしょう。せっかくの事です、ゆっくりと羽と話でもしてきてください」

 そして竹姫に軽く片目をつぶってみせるのでした。一度決めた以上、不安な気持ちで送り出したくはないという、大伴の気配りでした。
 もう、宿営地の上の空は、夜が広げた深い紺色の幕ですっかりと覆われていました。大伴が言うように、大きな満月が幾千もの星たちと共に、あわただしく動き回る人々を見下ろしているのでした。


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