見出し画像

情報が錯綜する時代に哲学が教えてくれること(Vol.3‗ベーコン)

前回のルネ・デカルトに続き、近代哲学を切り開いた立役者の一人「フランシス・ベーコン」について紹介したい。

神様ありきの時代からルネサンスが興り、自然科学が発達したことによって様々な自然現象が論理的に証明されていく近代へと時代が進んでいった。
フランシス・ベーコンが生きていた時代は、地動説を唱えた近代科学の父、ガリレオ・ガリレイとちょうど重なる。
どれだけ大きなうねりがあったか時代だったかは想像に易い。

ベーコンはイギリス生まれの哲学者であり、政治学者や法学者の顔を持つ。

「知識は力なり」は彼の有名な言葉の一つである。
神様に委ねるのではなく、人間が自ら力をつけることの重要性を説いているあたりが、ルネサンスの時代背景を思い知らされる。

そのベーコンは、帰納法という様々な事象を調べて集めた事実から、原理原則や法則などを見出す方法を体系化した人である。
そして、帰納法的な思考により、あらゆる事象を調べ続けていくと、真理にたどり着けると考えた。それは哲学の世界では「経験論」と言われている。

しかし、ただがむしゃらに多くの事象を調べていけばよいというわけではないとベーコンは警鐘を鳴らしている。

代表作「ノヴム・オルガヌム」(岩波文庫)で、以下のように述べている

「人間の知性は乾いた光のようではなく、意志や情念から影響を受ける、それが『人々の望みに応ずる諸学』を生み出すものなのである。というのは、人は真であって欲しいと願うものを、強く信ずるからである。」

つまり、人間は物事をそのまま理解するのではなく、自分のこうありたいという想いや抑えきれない感情の影響を受けて解釈してしまう。
自分の求める方向で物事を都合よく理解してしまう。
ということだ。

そういわれると確かにそのような経験をよくしている。

例えば、仲の良い友達が「〇〇君にこんなことを言われてとても悔しい」と言ってきたら、自然と〇〇君に対して苛立ちをおぼえる。
そして次に会ったときには、怒りの感情のまま接してしまうこともあった。
また、仕事で新しい企画を提案するための資料を作っているとき、顧客ニーズを調べているとき、数あるデータの中で自分に都合の良いものだけをピックアップして資料に盛り込むようなこともあった。

そのような状況、すなわち偏見や先入観を持つことは人間にとってごく自然なことであるとベーコンは述べている。
そのうえで、真理を見誤らないように気を付けるべきこととして、
「4つのイドラ」
を提唱した。

イドラとは英語のアイドル、すなわち「偶像」という意味のようだ。
人間に偏見や先入観を与えてしまう偶像が存在することを認識したうえで真理を見出す必要性があるということだ。

4つのイドラは以下の通り。

種族のイドラ:
種族は人間のことを指す。人は事実そのものではなく、人間の尺度で物事を歪めてみてしまうということ

洞窟のイドラ:
人間の個人的な偏見、すなわち各人が受けた教育や影響を受けた人や本の考え方にもとづいた考え方をもってしまうこと

市場のイドラ:
人とのかかわりや社会生活での会話によってもたらされる誤解や偏見などを信じてしまうこと

劇場のイドラ:
影響力のある人から言われることを鵜呑みにしてしまうこと

この4つのイドラを見て、僕はこのような様々な状況による偏見や思い込みは自分の身近なところで本当に多く存在していると感じた。

ベーコンは続けて次のように述べている。
「人間の知性には、否定的なものよりも肯定的なものに、より大きく動かされ刺激されるという誤りは、固有でかつ永遠的なものである」と。

人間は、自分を肯定してくれる人、肯定してくれる言葉を信じる傾向にある。それは決して悪いことではなく、むしろ私のように自己肯定感の低い人間にとっては、心を支えて後押しをしてくれるとても大切なことだ。

ただ、物事を判断するとき、様々な雑音を取り除き、冷静に真理を見出したうえで判断することが重要だ。
心が弱っているときに、甘い言葉にすがり付きたくなる。
怒りの感情が出てくるとき、感情に任せて行動してしまうこともある。
親や上司に言われることを、そのまま鵜呑みにしてしまうことがある。

その時には、人間には常に4つのイドラが存在していることを認識し、自分の状況を冷静に見つめ、判断できるように心がけていたい。

様々な意見や情報のシャワーを浴びることができる現代社会。
何が正しいか分からなくなることも多い。
事実なのか、解釈なのか、

判断に迷うとき、デカルトの4つの規則、ベーコンの4つのイドラを思い出しながら冷静に考え、行動できる人になりたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?