ぼちぼち君

とあるきっかけで哲学書を読んで以来、考えに考え抜かれた哲学者の言葉は、時代を超えてもの…

ぼちぼち君

とあるきっかけで哲学書を読んで以来、考えに考え抜かれた哲学者の言葉は、時代を超えてものごとの捉え方、苦難の乗り越え方、そして日々の充実した生活のヒントを与えてくれる学びの宝庫であることを知る。 肩肘張らずマイペースで大切な人たちに囲まれた心豊かな人生を満喫したいと願う中年男子。

最近の記事

喧噪の中で必要なナポレオンの名言

高熱で部屋の戸をすべて締め切って寝込んでいるとき、子供と妻の他愛のない日常会話が聞こえてきた。 妻が外出しているとき、子供たちの何気ない会話が聞こえてきた。 妹の行動に突っ込む姉の言葉がとても面白く、思わず一人で噴出してしまった。 その時、何気ない日常を過ごすことができる有難さ、平穏に会話ができる(それを聞くことができる)ことの喜びを感じた。 普段、せっかちな性格も相まって、常に何かをしていないと落ち着かないため、家族の会話もあまりちゃんと耳に入ってきていないことも多

    • 老子の言葉で、しなやかで心満たされた人生を

      最近、老子の言葉が心の琴線にビンビン触れる。 中国古典では儒教の名著である「論語」がとても有名であり、孔子の思想が広く知れ渡っている。 渋沢栄一氏の「論語と算盤」がベストセラーになっているように、論語は「リーダー論」としてビジネスマンを中心に多くの人々に愛されている教えであるし、私自身も読んで感銘を受けた。 孔子はエリートのリーダーが組織を牽引していくために必要な心構えを説いていると私は考えているが、その一方で、道教である老子の教えは、様々な外部環境が変化する中、しなやか

      • 僕が2024年にやりたいこと

        やりたいことを10個作りました。 これまでの生き方や考え方を振り返り、 人生の折り返し、社会人生活の折り返しという節目と位置付けて、 より心豊かな人生を歩むために考えました。 (やらないことリストも作っています^_^) やったことないけど、やってみたいことに一歩踏み出してやってみる 毎日、筋トレとストレッチをして自分の体を大切に労わる 資格試験に合格する 自分で決めたテーマについて勉強して、レポートにまとめる 楽しそうなコミュニティ(仕事以外)に複数参加する 家族

        • やらないことを決めることで心穏やかな2024年に(新年を迎えて)

          「これが今の自分に一番欠けていることかもしれない・・・」 ある方のX(旧Twitter)で「やらないことを決める」ことの大切さが書かれていた。そのメッセージを読んだときに、そう思った。 これまでは、「自分を成長させるために、あれもこれもしないといけない」「抜け漏れがないように、まだたくさん調べておかないといけない」「チームの価値を高めるためにどんどん新しいことを広く実施していかないといけない」という考え方で毎日焦っていた。 常にTo Doリストでやる「べき」ことが埋め尽く

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          情報が錯綜する時代に哲学が教えてくれること(Vol.3‗ベーコン)

          前回のルネ・デカルトに続き、近代哲学を切り開いた立役者の一人「フランシス・ベーコン」について紹介したい。 神様ありきの時代からルネサンスが興り、自然科学が発達したことによって様々な自然現象が論理的に証明されていく近代へと時代が進んでいった。 フランシス・ベーコンが生きていた時代は、地動説を唱えた近代科学の父、ガリレオ・ガリレイとちょうど重なる。 どれだけ大きなうねりがあったか時代だったかは想像に易い。 ベーコンはイギリス生まれの哲学者であり、政治学者や法学者の顔を持つ。

          情報が錯綜する時代に哲学が教えてくれること(Vol.3‗ベーコン)

          情報が錯綜する時代に哲学が教えてくれること(Vol.2‗デカルト)

          前回の投稿の続きを書きたいと思う。 前回は、情報が錯綜する社会において哲学が教えてくれることと題して近代哲学の全体像的なことを書いた。 ルネサンスが興り、これまで宗教に抑えつけられていた人間の内面が様々な形で表現される爆発的な状況になった。 また、これまで神によって引き起こされたと信じられていた様々な自然現象などが科学の発展によって覆されることとなった中世のヨーロッパ。 「いったい何が正しいのか?」 という問いを当時の人が持つことになったのは想像に易い。 その時、人

          情報が錯綜する時代に哲学が教えてくれること(Vol.2‗デカルト)

          情報が錯綜する時代に哲学が教えてくれること(Vol.1)

          人の流動性が高まったことのみならずインターネット、SNSを介して日常的に世界中と交流することができる世の中になっている。 加えて、多様性が尊重され、様々な意見が自由に行き交う状況にもなった。 そんな日常の中で、「いったい何が正しいのか?」「何を信じればいいのか?」と感じることはないだろうか? 僕はよく感じる。 「それは事実なのか?」 「それともその人の解釈なのか?」 特に、偉い人や経験豊富な人が言うことは、何の迷いもなく信じてしまいがちだが、その人の生まれ育った環境や

          情報が錯綜する時代に哲学が教えてくれること(Vol.1)

          偏見をなくすために(ジョン・ロック Vol.2)

          僕たちは知らず知らずのうちに物事に対して偏った見方をしている。 「あの人は〇〇〇だ」「男の人は(女の人は)〇〇〇が苦手だ」 「最近の若者は〇〇〇だから・・・」 「あの店は〇〇〇だから人気がないのだ」などなど このような会話は普段でもよくするし、親しい友人に言われると、「だよねー」「確かに!」とすぐさま同調することも多い。そして、本当にその通りだと思っていることも多々ある。 しかし、本当にそうなのだろうか? 前回紹介したジョン・ロック著「知性の正しい導き方」(下川潔訳、

          偏見をなくすために(ジョン・ロック Vol.2)

          正しい判断に導くために(ジョン・ロック)

          僕たちは、周りの人たちの意見や情報を鵜呑みにして「〇〇〇さんが言っていたから正しい」と信じたり、自分の経験にもとづいて「これは〇〇〇だ!」とすぐに結論付けたりすることが少なからずある。 確かにその方が楽だし、何ら日常生活を送るうえで問題ないことも多い。 しかし、中には偏った判断をしてしまい、その後大きな問題や失敗になってしまう原因になることもある。 僕自身、学生時代お付き合いしていた彼女に「女性はみんなケーキが好きだろう」と考えケーキをプレゼントしたら「私、ケーキ嫌いなの

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          とっつきにくい哲学に触れて

          とあるきっかけで哲学書を読む機会を得た。 その時の衝撃は忘れられない。 学生時代は西村京太郎の推理小説や、たまに自己啓発書を読んでいた程度で、歴史小説も卒論を書くために読むくらいであった。 決して本が好きなタイプではなかった。 社会人になって20代の頃は、仕事がつまらないときやしんどいときに自分を奮い立たせるために簡単な自己啓発書を読んだり、仕事で人よりも成果を上げたい時に手っ取り早く参考にできるハウツー本を読んだり。 その時々のカンフル剤的な役割として活用していたものの

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