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上海へ

もう30年も昔のことなので、記憶も定かではありません。
それでも強烈な印象とともに記憶に焼きついていることはあります。

偶然か必然か、思い描いていた進路を歩めず、ひとつだけ合格した天理大学の外国語学部へ行くことになりました。第一希望は中国語。第二希望はロシア語としていました。そこだけは第一希望に通り、中国学科へすべりこみました。

まさか高校時代に目にした新聞記事が影響するなどとは思いもせず、大学生活を始めましたが、先輩の勧めもあり、1回生の終わりにひとり中国へ旅することになります。そこで初めての海外へいくのに船を選びました。大阪南港から上海へ渡る「鑑真号」。新聞記事に出ていた貨客船です。

確か2泊3日の航海だったと記憶しています。船内はもう中国でした。会話も食事も空気も。お客さんもほとんどが中国のひとたちで、少数のバックパッカーが乗船していました。そのなかで小学校の同級生に出会い、びっくりしたのも懐かしい思い出です。

とにかく旅は、驚きの連続でした。習ったはずの中国語はほとんど通じず、上海では上海話が中心でした。ぼくが学習した普通話は、一般的でなかったのです。それでも旅の生活はつづけなければならず、なんとかできる範囲で会話や筆談をつづけながら、成都、昆明、重慶、北京、上海を旅します。もっとも普通話が通じなかったのが、北京でした。なまりが強すぎて理解不能でした。

いまの中国はほとんど普通話が通じます。
時代とはそういうものなのかもしれません。

あのときの強烈な経験から学んだことがたくさんあります。
少しづつ紹介する機会をつくっていきたいとも思います。

そのあと、つかずはなれず中国とかかわることをつづけています。仕事ではなくライフワークとして(笑)。いつか何かの役に立つような気がします。

上海1

30年前の写真を引っ張り出してきました。租界風景は変わりませんが、トロリーバスが走っていますね。すぐそばの黄浦江の港に鑑真号は停泊していました。またいつか上海を訪れるときが来るでしょうか。
その時を、いまから楽しみにしています。



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