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未来のつくりかた「そのひぐらし」

いま、日曜日の朝。ヒグラシの声は聞こえませんが、クマゼミとアブラゼミの大合唱ははじまっています。梅雨が終わると短い夏を思いっきりいきる蝉たちが土から這い上がってきます。いつもこの時期に思う不思議なこと。なぜその一瞬のためだけに蝉は生まれてくるのだろうという、単純なこの想いです。

ひとはなぜ生まれてきて生きているのだろうという疑問とおなじだと思うのですが、ひとからみると蝉の一生は短くみえます。たぶん蝉にとってはあたりまえのはずなのですが…。

自分のあたりまえは、ひとにはあてはまらない。それが「あたりまえの奇跡」なのだろうと思います。そのひとにだけ、その日だけにしか起こらない奇跡を想います。毎日、たくさんの「一瞬」を自分で選んでいるという自覚のないままに流れていく時間。奇跡だと気づいても立ち止まることができないのがもどかしい日もあります。

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百鼠いろの空にほんのりと青がもどってきて、満月に近づいているお月様が顔を出しました。空に毎日描かれる絵は、いくら見ていてもあきないものです。あるときは架空の動物に変身する雲。その絵の中を遠くの異国へむかう飛行機と、遠い国からやってきた鳥が飛び交います。自由はそこにあり、地上にいるぼくらもまた本当は自由なのかもしれません。

気がつかないだけ。気がついているのに、気づかないふりをしているだけかもしれないと、雲を見ているとおもいます。

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よるに星座板をもって、空を見上げました。おちびさんと一緒です。みているものは同じでも、見え方は違うようです。いつまでも自分の星の世界へ旅をする小さな命。父は首が痛くなり、地上をみていることにしました。たぶんどこにでも自由がひろがっていると信じたいからなのでしょう。

その日、その一瞬が、あすをよび、未来をつくります。その選んだ道が自分のつくりあげたりっぱな道になるはずです。小さなこどもが自分の世界をつくりあげているその瞬間に、毎日立ち会うことができている、その小さな奇跡に乾杯したいとおもいます。星のかけらをグラスにすこしいれて♬





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