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『来るべき民主主義』國分功一郎
先日読んだ『目的への抵抗』(2023.4出版)から遡って、2013.9に出版された『来るべき民主主義』を読んでみました。
副題に「小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題」とあるように、著者が地元、小平市の道路計画見直しを求める住民運動に参加する中で、民主主義とはなにか、議会制民主主義の問題点はなにかを考察した内容です。
いろいろな提言がありましたが、興味があった「ファシリテーター」について感想を。
「住民参加」や「住民自治」を実現していく上で、おそらく最初に認めなければならない事実とは、対話や議論は自然に生まれたりはしないということである。
(中略)
行政と住民の双方が参加する舵取りの難しい議論には、それ専門の様式がなければならないし、それをうまく調整する役割を果たす人が必要だろう。その役割を果たす人を「ファシリテーター」という。
「対話や議論は自然に生まれたりはしない」というのがわたしには驚きで、意見や立場が異なる人が集まれば自然に議論は成り立つんじゃないか、と漠然と考えていたけれど、なるほど哲学者はその前提から疑うんだなあと感じました。
ではどうすればいいか?という問いに対して、國分さんはファシリテーターの導入や活用を提案しています。
ファシリテーターの役割としてこんな記述がありました。
皆が議論において不自由であるという前提に立ち、議論を容易にし、促進するための様式を用意し、場を企画・運営していく。
これだけだと、ちょっと想像しづらいのですが、ここで具体例としてコミュニティデザイナーの山崎亮さんの活動が紹介されていました。詳しくは割愛しますが、プロの仕事だ!と思いました。
わたしの持っていたファシリテーターのイメージは、「ファシリ」と呼ばれてミーティングの場などにいる司会進行役、バラエティ番組などでいう「場を回す」役…という雑なものでした。でも手法も様々なものを使い分け、なによりも実りある議論を成立させるために大きな役割を果たす人なんだ!と分かったのが今回の読書の収穫でした。
文中で紹介されていた、山崎亮さんの『コミュニティデザインの時代──自分たちで「まち」をつくる』も読んでみたいです。
今日はこの辺で。それではまた。
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