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読書は間違いのない時間

「読書というのは間違いのないものだ。」という認識を持っています。
例えば休日をずっと寝て過ごしたとか、ずっとテレビを見ていたとか、ずっと動画を見ていたとか、1日を振り返って後悔することがありますが、ずっと読書をしていた、であれば、後悔することはないと思います。そういう意味で、読書というのは間違いがないというか、何も考えずに、絶対的普遍的に有意義だということになります。こういう状態を恐らく、手段の目的化、というのかもしれません。
何のために読書をしているか、目的は何なのか、となると、少し考えないとわかりません。つまり目的を持たずに読書をしていた、ということです。後付けというのか、無意識に目的を持っていたのか、途中で動機づけが変わったのか、いろんな可能性があるかと思いますが、結論としては、別世界を持つ必要があると感じたから、だと思います。
年齢を重ねると、そして同じ組織で年数を重ねると、居心地がよくなって、成功体験に縛られる、しがみつく、そんな危機感を感じています。とはいえ、ジョブチェンジできる状況でもないし、そもそも今の組織は自分に合っているように感じています。居心地が良い組織に身を置いて、幸せに働きながらも、危機感を抱き自分を成長させなければならない。そんな命題と向き合ったところ、読書が間違いないような気がしました。他に方法がないわけではないですが、いろんな制約やコストを鑑みると、継続性を保てるのは読書です。
成果はまだわかりませんし、死ぬまでわからないかもしれません。でも、死ぬ間際まで、成果が出なかったとしても、それを失敗とは呼ばないようにするつもりです。失敗と呼ぶのは諦めたときです。死ぬ間際まで諦めなければ、失敗とはなりません。死後、何と言われようと、死んだあとのことが、私に影響することはないですから。

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