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脳や神経の体調不良

コロナが始まった2020年から 地味な体調不良が約3年間続いた。 何回もいろんな病院に行ったけど長い時間、治らなかった。 今後の自分のため、同じ症状があって どうしたら治るか悩んでいる人のため ここに残しておこうと思う。 《目次》 □精神疾患と向き合う事□ □3年間で診断されたものまとめ□ □良かった対策方法/効いたと思われる事□ □詳しい症状や改善していった流れ□ □自分で思いつく体調不良/ストレス原因□ □感想□ □精神疾患と向き合う事□ 私は小さい頃から度々、

    • 3[HOW TO 虐待サバイバル]②安心出来る場所を探す

      何かが私には足りない、 このままみんなと同じように生きていったら 崩れてしまう。 いつからか、漠然とそのような感覚がありました。 それがなにかも分からず、見つけ方も分からず、 やる事や目指すものに一生懸命になり、 未来を想像する度にその不安は襲ってきました。 その不安を解消しなければなにをしても ダメな気がしていました。 みんなが持っているはずの何かがないから まずは何を始めるよりも先にその何かを 持たなければならないような気がしていました。 前回のお話でようやく私は

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      • 2[HOW TO 虐待サバイバル]①逃げる

        今回から何投稿かに分けて私がしてきた (自然にしていた) サバイバル術を紹介していきます。 サバイバル術の紹介の前に まずは私がいた環境の説明から始めます。 私は生まれてすぐ 関東の大型団地で暮らしていました。 両親は共働きで、15歳の時に離婚し、 離婚後は母親と1つ違いの姉、 6つ離れている妹と暮らしていました。 祖父母は県外にいて、私達姉妹が直接連絡を とれるような関係ではなく、 いつも親を通してでの関係でした。 私は0歳か1歳くらいから保育園に通っていて、 交友関係

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        • 1 自分の存在や健康に生きる権利の主張を持つまで

          抵抗が出来ない相手から長く続いた 暴言、暴力、侮辱などから出来あがった 無力感や無気力を脱却し、 自分の存在や健康に生きる権利 の主張を持つことはとても難しいこと だと思います。

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        • 3[HOW TO 虐待サバイバル]②安心出来る場所を探す

        • 2[HOW TO 虐待サバイバル]①逃げる

        • 1 自分の存在や健康に生きる権利の主張を持つまで

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          0私は虐待サバイバーです

          私は虐待サバイバーです 虐待サバイバーって名前つけた人、 上手いな、と思いました。 本当に、生きる感覚がサバイバルなんです。 私も今現在サバイバルの真っ只中です。 そしてこのサバイバルが 今後終わることはないかもしれません。 でも今やこれからを大事にして生きやすくなる方法を 考えていき、実践していきたいと思っています。 そしてここには、 How to サバイバルや私のやってよかったこと、 おすすめのことなどを書いていこうと思います。 また虐待を受けた子供が大人になって

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          歪み

          新宿の学校に通っていた頃、 疲労がピークに達していたその日、 私は街のどこかで座っていた。 また手のひらをじっと見て、 自分の体が動く不思議さを考えていた。 ぱっと顔を上げると今見ていた手と 同じ素材のものが目に入った。 その素材の物質はそれを囲っている 直線から明らかに浮いていた。 まるでその物質だけ違う惑星のもののように あるべき場所でない場所にあるように歪んでいた。 それはキリンやゾウが街の中を歩いているような、 メタモンが街を徘徊しているような。 パリッとしたもの

          フィリピン

          私がフィリピンにいた時にいた町は バギオというマニラからバスで6時間くらい 北に上った町だった。 その町はフィリピンで一番治安のいい町で、 昔は避暑地に使われていたくらい 涼しく、16~28度くらいしかなかった。 (少し町の外に出れば30度を超える) 着いた初日にまたまたやらかし、 空港のなかのターミナル間で迷子になり、 約束から2時間も遅れて学校のお迎えに 来てくれたスタッフと合流してしまった。 一緒の車で学校まで向かった メンバーは台湾人の女の子3人。 相手も英語を上

          フィリピン

          1言語不便(2)

          ロンドンでの英語は自主学習と たまにミートアップに参加して 実践をしたり交流をしたりして なんとなく聞き取れるような 気分になっていたが、 全く喋れないままだった。 それではまだまだ他文化や 価値観の交流が 出来ないと思った。 そこで格安で短期集中の フィリピン留学に行くことにした。 日本人が少ないところを 選んでいったので 少し高くなってしまったが、 1カ月約15万円ほどで宿泊、 3食の食事、洗濯、掃除、 授業込みの金額だった。 実際に行くと日本人が少ないことは とても

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          ロンドン生活

          外国にいくってお金持ちしか出来ないと 思って小さい頃は諦めてたけど割と 色んな方法がある。 ちゃんとした英語の学校いって休日は 観光地行っておいしいもの食べて長期間 いたらそりゃお金なくなる。 何を目的に外国にいくのか決めていけば 無駄なお金は使わないはずだ。 私の場合の目的がたまたまとても 安くすむものだったのかもしれないが、 きっと他の道でも何かしらの 手段はあったであろう。 私はその国の日常に染まりたかった。 違う文化で生きている人達の 価値観を知りたかったし体験したか

          ロンドン生活

          1言語不便

          全く英語が出来ないまま、 行くと決めた1カ月後に日本を出てしまい、 初めて着いた国がイギリス。 最初の思い通りにいかないストレスは言語だった。 日本語でも聞き取りが苦手な 私に違う国の言語なんて聞き取れない。 全部歌を歌っているように聞こえた。 (今では他国の言葉をしゃべる時歌を歌っているようで楽しい) そして洋画もみなかったので外国のノリが あまりわからない。 なので初めての入国審査でまずやらかした。 入国審査官の彼は言った「How are you?」 私は言った「I'm

          1言語不便

          HELLO

          2020年4月24日 きっと今の状況は今後歴史に残るであろう 世界大チェンジタイム。 全て出尽くした、新しいものがだんだん 無くなってきて、物を持ちたがらない、 固形物より情報、目に見えないものに 価値がみい出されてきた時代に 目に見えないものによって起こった大ハプニング。 あまりにも快適だった娯楽の世界からいきなり 現実に戻されたよう。 きっとこのハプニングが私たちの世代の 一大ミッションなのかもしれない。 2016~2018年頃の約2年間、 私は世界を放浪していた