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1言語不便(2)

 ロンドンでの英語は自主学習と
たまにミートアップに参加して
実践をしたり交流をしたりして
なんとなく聞き取れるような
気分になっていたが、
全く喋れないままだった。
それではまだまだ他文化や
価値観の交流が
出来ないと思った。
そこで格安で短期集中の
フィリピン留学に行くことにした。




日本人が少ないところを
選んでいったので
少し高くなってしまったが、
1カ月約15万円ほどで宿泊、
3食の食事、洗濯、掃除、
授業込みの金額だった。
実際に行くと日本人が少ないことは
とても当たりだった。
私がついてから2週間後には
7人いた日本人が3人になった。
丁度、最初の空気になじむまで
日本人の生徒から色々聞いて
他の国の生徒とも一緒に
ご飯に行ったり、学校の周りを
案内してもらったりできた。
そのあと日本人が3人に
なってしまったが、
私以外の2人が未成年だった
ので食事や旅行や飲み会などの
日本人は実質私1人の状態で
日本語を話す機会がほとんど
なくなった。
入学の際のインタビューで
色々聞かれたが、全く聞き取れない
レベルでまず何を聞かれて
いるのかも分からず、
当然なにも返すことが出来なかった。
やっと少し聞き取れるように
なったイギリスの喋り方とは
今度は全く違う発音で喋る
フィリピンの先生や同級生との
会話は最初は本当に苦痛だった。
また0からスタートする
気分だった。
(あとから気づいたが、
ネイティブ圏内の国で
生活しない限り、
英語はネイティブと話すよりも
ネイティブじゃない人と話す
機会の方がものすごく多い。
だから色んな国の人の発音を
知っている方が確実に良いし、
そもそも私が英語を話したい
目的が色んな文化や価値観を
知る事なのでなおさらいろんな
発音に慣れていた方がいいと思った。)



最初の2週間は深海に落とされて
呼吸が出来ない、なにも見えないレベルで
1カ月たったあたりから海藻を見つけた感じで
2カ月たったあたりで水面の存在を知り、
3カ月くらいで泳いで水面から出れた感じだ。
こんな経験は今までなかった。
喋らなくちゃいけないのに喋れないって
喋りたいのに喋れないのは
とても苦痛だった。
それは言葉を知らない赤ちゃんと
同じだなあと思い、
そう考えたらずーっと英語の学校に
通っていない限り短期間で英語を
取得するのは無理だと思った。
そんなわけで私の英語取得計画は
5年の計画に伸びた。
(5歳になればぼちぼち話せるように
なるだろうということ!)
なによりも自分が喋れないことで、
偽物の自分で友達になっているような
気分が嫌だった。
しかしまあみんな明るかったし、
喋れない私のことをまた気にして
いないようだった。
そんなわけで今度は感情での
コミュニケーションに付け加えて
リアクションとオリジナルの手話が
自然と開発されていった。
そして英語勉強の苦痛から
韓国語にも走った。
喫煙者も飲酒者も韓国人の友達が
多かったので自然と言語の交換を
するようになっていったのだ。
そこからはまった。
それは3年たった今でも続き、
ふといきなり韓国語のアップデートを時々試みる。

そんな感じで卒業する3カ月後
にはまだ言葉はきちんと
伝わらないけど感情の
コミュニケーションのおかげで
気持ちはがっつり通じ合っていたので
家族のようになっていた。
この時の感覚はまた特別なもので
今はもうこの時ほど英語を使って
人と通じ合うことに感動が無くなって
しまったというか、たぶん私は
言葉で理解するよりも感覚で
感情で理解する方が好きなのだと思う。
この感覚をもう一度体感したくて
また違う言語に走っているのだと思う、、、
「言葉が話せない」という言い訳を
使って存分に人と感覚でコミュニケーション
をとることが出来るからだ。

そしてこの時の友達とは今でも
その子の国に
行ったときに会っている。


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