「コロナの時代の僕ら」の日々
新型コロナウイルスはひたひたと海の向こうからやってきた。気づけばこの身のすぐ隣までやってきた。
昨年暮れに海の向こうの大陸でウイルスが発生しているという「海外ニュース」があり、「対岸のなんとか」かと思っていれば、年が明けると国内でも感染者が発生した。いったい、どうすればよいのかもよくわからないまま、ぼんやりとした恐怖に駆られていた。
仕事の面では、正月2日から中国人観光客の多い百貨店に出展したものの、すでに来日する中国人は少なく期待したほど売上は伸びず、そこから続いた首都圏や大阪での出展でも外国人観光客の姿を見ることが日増しに少なくなっていく。
突然足音が迫って来た
そんな中でコロナの足音は突然、背後に迫ってきた。2月下旬、友人から一本の電話が入る。あまり外食や飲みにいくのも好きではないので、飲食店に出向くこと機会も少ないのだが、高校時代の友人が仕事で帰省した際に一緒に食事をした時から10日あまり経っていた。
メールやメッセージではなく珍しく突然掛かってきた電話。何があったのかといぶかしげに電話に出ると、いきなり「ごめん。申し訳ない」と謝罪の言葉。「濃厚接触者になってしまった。だから最悪、オレも発症するかもしれないし、そうなればお前も濃厚接触者になってしまうかも」。
聞けば二人で会食した前日に、彼が会食した相手がコロナに感染していたことが分かったということだった。彼は発症していないものの、保健所の指示で会社を休んで自宅待機になったのだという。驚きで頭の中は一瞬混乱したものの、自覚症状は全くない。スケジュール帳を確認すれば、会食からすでに10日余りが過ぎていることを確認した。
発症までの期間が2週間と聞いた覚えがあり、残る数日を家族やスタッフとも距離を置いた生活をし、恐る恐る過ごしたのだった。
そうこうするうちにコロナの感染者は日増しに全国へと広がり、4月に入ればついに店舗も県の休業要請を受けて休みに入ることになってしまった。そこからは不要な外出を控え、長期にわたって在宅で仕事をするという、経験したことがない事態に突入する。
すでに依頼を受けていた取材・執筆の仕事のために最低限の外出はしていたが、にぎわいがあった街中も静まり返り、道を行き交う車の量もめっきり少なく、えも言われぬ毎日を過ごすことになる。
世界で最初に新型コロナウイルスの感染拡大が発生した中国にとどまらず、欧米でも感染は拡大し、とりわけイタリアは医療が著しく崩壊に近づいた国の一つとなった。
ステイホームで手にした一冊
そのイタリアの作家がコロナ禍で記した本が話題となり、すぐさま日本語に翻訳されて出版されると聞いて、書店に出向いて目を通すこともなく、ネット上ですぐに買い求めた。
パオロ・ジョルダーノという初めて目にしたイタリア人作家のエッセイは、ウイルスという見えない脅威に恐れながら、自宅でパソコンに向かう身に、大きな共感を持って心に入ってきた。
日々を数え、知恵の心を得よう。この大きな苦しみが無意味に過ぎ去ることを許してはいけない。
コロナウイルスの「過ぎたあと」、そのうち復興が始まるだろう。だから僕らは、今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元通りになってほしくないのかと。
すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか。
作者自身も経験したことがない状況の中、外出も控えて自分と社会を見つめ直した様がはっきりと伝わってくる文章が綴られている。どれもうなづかされることの連続であり、ページをめくりながら、自分に言い聞かせていた。
あれから4か月。しかし一度は沈静化に向かうかと思われた大きな波は、ふたたびうねりを生み出し、足元に押し寄せている。
何を守り、何を捨て、僕らはどう生きていくべきか。
8月も終わりに近づく今、決して油断することなく、再度この問いを繰り返す日々が続く。
※引用はすべて「コロナの時代の僕ら」(パオロ・ジョルダーノ著、飯田亮介訳)。
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