人は見返りを求めずに他者のために行動を起こせるのかどうか
誰かに何かをしてあげる。あげるというと横柄かな。して差し上げる。まあ、どちらでもいいや。「人は見返りを求めずに他者のために行動を起こせるのかどうか」という話。
結論、何かしら求めているのではないかというのが持論。自分を振り返ると、少なくとも「ありがとう」という言葉の見返りを求めて行動している部分があると思う。あるいは、最初はそう思わなくても、人のために行動を起こした後にそう言われないと寂しいというか損した気分になる。
感謝の意も求めずに第三者のために行動する。ここまで出来て「人は見返りを求めずに他者のために行動を起こせる!」と言うのなら、相当ハードルが高い気がするのは気のせいだろうか。
「ありがとう」や「ありがとうございます」と意を表さない、表せない人もいるのだろうが、何かしらのサインは出ていると思うし、それを見逃さなければ見返りを得たことになる。
ふと、スーパーボランティアとして一時期メディアに取り上げられていた尾畠春夫さんとかはどうなんだろうと思ってしまった。あそこまで色々と人のために行動され、でも、やっぱり「ありがとうございます」「ありがとうございました」という感謝の言葉に、また次も人のためにがんばろうと思うのではないかな。直接聞いたことも話したこともないので分からないけど。
逆に何かをしてもらった際に「ありがとう」や「ありがとうございました」と伝えることで、行動を起こしてくれた相手が喜んだり、この人のためにして良かったと思ってもらえるなら、遠慮なく恥ずかしがらずにどんどん言った方が良いということになる。
この「ありがとう」という感謝の言葉を結果的に求めている時点で、もしかしたらまだまだ未熟なのかも知れない。が、求めたいのはお金でもなく、モノでもなく、5文字の言葉なのだ。それくらいは求めても良いのかなと思う。起こした行動の内容に関わらず。
「ありがとう」または違う言葉でも良いのだけど、感謝の意は人の次の行動に大きく影響するのは確かな気がする。
最後まで読んでくれて「ありがとう」。
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